第四話

「強くない?」

 その言葉は決して賞賛のものではなかった。

 どちらかと言えば引いていた。

「え、普通じゃない?」

 リオスは焦ってそう返した。 

 転校生が珍しかったのか、からかってきた女子の目の前で自分の鉛筆を三本まとめて折った。逃げるように去っていった名前もまだ知らないクラスメイトの女子を深追いすることも無く、初日に親切にしてくれた後ろの席の女子のほうを向き次の授業の話を聞こうと思ったら、そう言われたのだ。

「どうしたの?」

 休憩時間にトイレに行っていたツクヨが戻ってきて、焦っているリオスに心配そうに話しかける。

「いや、実は……」

 リオスの話を聞いたツクヨは大きくため息をついた。

「いやだって、学校に行ったことがないのはすごい貧乏かすごい田舎者かのどっちかだっていうから、どっちもだって言ったらすごい笑いだして原始人みたいに裸で過ごしてたのとかうほうほしか言葉が話せなかったんじゃないかとか、すごい馬鹿にしてくるから」

「確かに、ひどい言い方だったよ」

「規加原さん。かばわなくて大丈夫だよ」

「いや、本当に酷かったよ。どうしようと思ってたらリオスちゃんが鉛筆を……」

 そう言ってリオスの後ろの席の規加原 夏鈴(きかはらかりん)は無惨にも真っ二つになった三本の鉛筆を見る。

「リオスがやったの?」

「だって手を出すわけにいかないから、せめて怒りを表そうと」

「そんなことして、明日からあだ名がゴリラになってても知らないぞ」

 リオスは目を剥いた。

「そんなのヤダ!」

「ヤダって言ったって可能性の話をしただけだし」

「えーどうしよう!もっと可愛いあだ名がいいよぅ」

 リオスは机に顔を打ち付けるように項垂れた。ため息をつくツクヨに夏鈴は恐る恐る話しかける。

「もしかして、ツクヨ君も同じことできるたりするの?」

「できるけど、内緒だよ。ゴリラとか言われたくない」

「私だってまだ言われてないよ!」

 リオスはバシンとツクヨの腕を叩く。ツクヨは大袈裟に痛がり倒れ込むようにリオスの背中に思い切り体重を乗せた。重い、痛いのやり取りをギャーギャーと繰り返す二人を見ながら夏鈴は仲のいい兄妹だな、と感心した。

 夏鈴には兄妹が居ないため少し羨ましかった。遠慮無く言い合える相手がいるというのは兄妹の特権に見えた。

「ねぇねぇ!夏鈴は私のことゴリラとか言わないよね!」

 突然話を振られ夏鈴はビックリして一瞬固まってしまったが、すぐに笑顔を浮かべた。昨日、自己紹介した瞬間からリオスは夏鈴の名前を呼び捨てにしていた。驚いたもののリオスの無邪気な笑顔に一気に距離が縮まったような気がして、すぐに嬉しくなった。

「私は言わないよ。リオスちゃんの味方だよ」

「よかった」

 リオスはホッとしたように胸を撫で下ろした。生まれて初めてできた友達にひどいあだ名で呼ばれたら悲しすぎる。泣いてしまうかもしれない。

「それにしても二人とも力が強いんだね」

「師匠のところでずっと修行してたからね」

「師匠?」

「そう、スッゴい強いんだよ。たぶん大人になるまで絶対敵わないだろうな」

「大人になっても無理じゃない?」

「それは大人になってみないとわかんないじゃん!」

「そういうのは無謀っていうんだよ」

「そんなことないもん。大人になったらもっと強くなってるはずだし未来は誰にもわかんないじゃん」

 どうやらリオスはかなりの負けず嫌いらしい。拳を握りしめて力説している。

「今でも修行はしてるの?」

「してるけど、今は学校の勉強が先だ! って言ってあんまり修行させてくれないんだ」

 リオスはつまらなそうに呟いた。

 どうやら修行とやらのほうが性に合ってるようだ。どんなことをしているのかとても気になるが、これ以上聞くと一緒に修行しないかと誘われそうで怖い。ごく一般の家庭で育った夏鈴にとって修行をしていた人間に会うのすら初めてだ。そんなことをするのは物語の中だけだと思っていた。

 武道で身を立てている人は水地の国にも存在するが、夏鈴の周りには一人もいなかった。話から察するに二人の師匠はとても強くて大きくて怖い人に違いないと思った。修行で付けた筋肉もきっとムキムキで立派なのだろう。それこそ目力だけで人を殺せるのかもしれない。夏鈴の想像はどんどんと大きくなり、頭の中にはニメートルはあるかという筋骨隆々の体にいかつい顔が乗っかり子供を怖がらせないようにニカッと笑う中年の男が出来上がっていた。

 できれば会いたくない。

「夏鈴ちゃんは修行したことないの?」

「無いよ。普通ないと思う!」

 不思議そうに問うリオスに夏鈴は大きく首を振る。

「師匠の言った通りなんだねー」

 リオスは残念そうにつぶやく。小学校に入る前に二人は権蔵に自分達の置かれた状況を丁寧に説明された。一般的に子供には両親というものがいて家族という単位で住んでいる。そして何より子供は山で修行したりしないのだと。よって、リオスやツクヨのように武道に強くもないし、獲物も自分で捕ることはできないし、動物の捌き方を知っている子供など恐らく学校には一人も居ないと。

 みんなと違う生活を送ってきたのは自分たちのほうなのだということをきっちりと自覚して、相手を侮辱することも自分を卑下することも無いようにしっかりと生活しなさいと権蔵に言い含められた。

 最初はそんな馬鹿なことがあるだろうかと思った。修行しないと強くなれないし、強くないと獲物を捕ることができない。そうしたらご飯も食べることができないじゃないかと思ったが、そもそも自分で食料を調達する必要がない生活があるなどとは想像もしなかった。

 世界は狭く、そして広いと言っていた権蔵の言葉がリオスは少しわかったような気がした。

 もちろん、学校生活はどれもが初めてのことでとても楽しいのだが、リオスにとっては体力が余りすぎる。まだ二日目だというのにすでに運動不足を感じていた。

 夏鈴の話からするに一緒に全力疾走で遊んでくれる人も居なさそうだ。ついてこられるのはツクヨくらいのものだろう。

 みんなでウサギを追っかけて走り回ったらきっと楽しいのにな、とリオスは少し悲しくなった。

「リオスは勉強より体動かす方が好きだからね」

「違うもん。子供は遊ぶのも大事って師匠が言ってたもん」

 ツクヨはお手上げとばかりにため息をつく。

「夏鈴ちゃん気にしないでね。運動不足なだけだから」

「あんなに走ったのに……」

 夏鈴は引き気味に呟く。授業の合間の十分間という短い休み時間のたびに校庭を走り回って帰ってくるリオスを見て疲れないのだろうかと思っていたが、まさか足りないなどとは夢にも思わなかった。

「お腹すいたー」

 あれだけ運動すれはお腹もすくだろう。

「あと一時間でお昼ご飯だから頑張って!」

 うなだれてしまったリオスを何とか元気づけようと夏鈴は必死に拳を握ってリオスを応援した。

「あ、ねえ規加原さん」

「なに?」

 ツクヨに優しく名前を呼ばれ、夏鈴は顔を上げる。

「僕も夏鈴ちゃんて呼んでいい?」

 にっこりと笑ってそう言うツクヨに、夏鈴は真っ赤になる。ツクヨはリオスと違ってとてもしっかりしてる。話し方もゆったりとしていて大人みたいだ。優しく笑いかけるその姿は夏鈴には王子様のように見えた。

 夏鈴は真っ赤になったまま、大きく頷いた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る