第二話

 水地の国は学校制度が充実している。

 六歳で小学校に入り、そこからは中学校、高校と行き、希望者には専門的なことを学べる学校に進学することもできる。授業の内容も多少はレベルが低いと思うが憂う程ではない。この国の教育をある程度受ければどこでもやっていけそうだ。足りない分は補えばいいだけだ。

 学校指定のグレーの制服を着て二人は鏡の前で嬉しそうにポーズをとっている。ありがたいことに水地の国の学校はみな同じ服を着て通う学校が多い。何事にも完璧で非の打ち所がない権蔵でも、毎日着ていく服を考えるのは多少の難がある。はっきり言ってしまえば面倒くさい。

 どのくらいの頻度で新品を買い、同じ服を週に何回までなら着ても違和感がないのかまで調査をするのは億劫だと思っていた。

 制服ならば汚れたりサイズが合わなくなることだけを心配すればいいのだからかなり楽だ。

 この日のために新調した同じようなデザインのスーツを権蔵も揃えたため親子三人でお揃いを着ているように見えるが、このくらいが目立たなくていいだろう。

「いいな、絶対に自分に恥じない行動をとること。この国の人間の迷惑になる行為をしない事。私たちは来たばかりで分からないことが多いことをしっかりと自覚すること。約束できるな」

 登校初日、今まで嫌という程言ったことをさらに重ねて注意する。

「分かってるって。大丈夫」

 胸を張るリオスに一抹の不安がよぎる。ツクヨは大人しく人の言うことを聞くのだが、このリオスは所謂はねっかえりだ。何かに興味がわくと今まで注意されたことなど頭から飛んでしまう。愚かな性格ではないと思うがどうにも性格が強い。初日にクラスメイトと喧嘩したと言われても不思議ではない。

「頼んだぞ、ツクヨ。リオスを抑えるんだぞ」

「えー。リオスが僕の言うこと聞くわけないよー」

 ツクヨがおっとりした口調で文句を言う。

「そこを何とかするんだ。お前しかいないんだからな」

「えー」

 ツクヨは不満そうだ。同い年の保護者になれと言われても不満なのはわかるが、今は頼るしかない。

 学校指定の背中におぶる形の鞄を持たせる。ランドセルというらしい。作りは頑丈でリオスは赤、ツクヨは黒い鞄を持っている。色々あった中から二人が自分で選んだ色だ。二人とも気に入っているため特に重いなどの文句は出ない。

 国民はこのかばんを背負い六歳から学校に通っている。転校という形で学校に通うのだが、子供にとっての日々の濃さは大人とはまるで違う。小学四年生から参加する二人がすでに人間関係ができている人たちの輪に入るのは大変だろう。だが、この経験がきっと将来役に立つと思っている。他人の中に入らなくてはならない時は必ず来るのだ。

 願わくば、この国が二人にとって相性がいいことを祈るばかりだ。

(私も変わったものだ)

 昔は、誰かの為に祈ることなど全くなかった。つまらない程、政策は思い通りだったし、人の能力を見誤ることもなかった。自分の思い通りにならない生き物などつまらないと思っていたが、思いのほかワクワクしている自分を自覚していた。まあ、悪い気分ではない。



 学校に到着すると、校長室に通された。校長室には全体的に丸い印象の優しそうな男性の校長と担任だという女の教師が待っていた。黒く長い髪を一つに束ね、グレーのパンツスーツを着ている。清楚な印象の女だ。

「初めまして。担任の志士宮凪子(ししみやなぎこ)と申します」

 深々と志士宮は頭を下げる。

 転校の手続きの時に好調とは対面していたが、担任の先生とはこれが初対面だった。年はまだ二十代だが、やる気あふれる教師だと校長が言っていた。年の割に落ち着いた雰囲気で印象は悪くない。

「初めまして。これからよろしくお願いいたします」

 権蔵は同じように頭を下げる。最初の印象はよくしておきたい。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。早速ですが、初めての学校という事で緊張しないように二人とも同じクラスに編入となっておりますが、何か不安なことがあったら遠慮なく言ってください」

「それは有難いです」

 余所行きの笑顔でニッコリと微笑むと、校長も女教師も頬を染める。権蔵は自分の見てくれがいいのを知っている。一つに束ねた肩甲骨まで伸びる艶やかな漆黒の髪に、黒の中に少し赤みを帯びた色の瞳。本来権蔵の瞳は緋色なのだがこの国の人間は皆、黒か薄い茶色の目をしていたため、難なく溶け込めるように赤みを抑えている。

 陶器の様に白い肌に血色が良く形のいい薄い唇、少しつり上がった瞳は子供っぽくも大人っぽくも見えとても魅力的でどんな人間でも少し微笑むだけで舞い上がる。

 権蔵はその自慢の容姿を二人の為に最大限に生かすつもりだ。

「学力は申し分ないですね。家で勉強を?」

 担任の女教師は緊張で少し上ずった声で尋ねる。

「はい。私が修行をしながらあちこちを回っていたものでほとんど私が教えていました。なにぶん自己流なのでお恥ずかしい限りです。見たところ校長先生も担任の先生もとてもご聡明のご様子。こちらの学校できちんとした学業を学べることを嬉しく思います」

「そんな。大したものではありません」

「稲咲さんのご期待に沿えるように頑張ります」

 校長と女教師は嬉しそうに破顔する。

 そのやりとりを隣で聞いていたツクヨとリオスは呆れたように権蔵を見ていた。今までで一番余所行きの顔をしている。おそらくお前たちには勉強の内容も教師も程度が低すぎで退屈だろうが、復習だと思ってしっかりやるようにと言っていたのはつい昨日の事だ。

 二人は顔を見合わせると小さくため息をつく。師匠の事は好きだが、大人って生き物は信じられない。気を付けようと心に刻む。

 しばらく雑談をしていると、ふいに校長室の扉をたたく音がした。担任の女教師が腰を浮かせる。

「おそらくお迎えですわ。同じクラスの子に来てもらうように伝えていたんです」

「それは有り難い。二人だけで教室の扉を潜るのはさぞ心細いでしょうから」

 ツクヨは退屈であくびを噛み殺しているリオスを見る。自分はともかく、このリオスにそんな殊勝な心はない。

 どうぞ、と言う校長の言葉の後に扉があく。現れたのは先日、定食屋で見た男の子だった。敬語を使う大人の男二人と食事をしていた子供だ。同い年くらいかと思っていたが感が当たったらしい。

「失礼します」

 ハキハキした声とともに軽く礼をして校長室へ足を踏み入れる。

「同じクラスの灰島エルト君です。エルト君、この二人が話していた転校生の真原リオスちゃんとツクヨ君よ」

 女教師の志士宮がエルトの背中を軽く押す。紹介されたエルトは少し緊張した面持ちで二人と対面した。

「エルト君も二年前に転校してきたのよ。今ではもうすっかりこの学校の一員になってるわ。きっと二人のいいお友達になれると思う」

 リオスとツクヨにそう紹介した後、今度はリオスを見る。

「この二人はね、学校に通うのが初めてなの。色々わからないことがあると思うから少しづつ教えてあげてね」

「はい」

 緊張して幾分か上ずった声でエルトは返事をする。

「では、教室に行きましょうか」

 校長と権蔵に軽く頭を下げると子供三人を引き連れて志士宮は校長室を後にした。

 後に残された権蔵も席を立つ。本心を言うと教室までついていきたい。大丈夫だと確信しているし何も心配することはないがとにかく教室に入って同級生を吟味しリオスとツクヨの性格を言葉穏やかに紹介し、同じクラスの生徒の中でも自分の眼鏡にかなう人物を見繕い、何かあったら一言一句漏らさず報告をするように頼み挨拶をしてから学校を立ち去りたかったが権蔵は必死に我慢した。そのような行為は過保護であると権蔵は理解していたからだ。

 初日から子供たちに恥をかかせるわけにはいかない。余裕のあるしっかりとした保護者であると先生にも生徒にも印象付けなければならないのだ。

「では、私もこれで。二人をよろしくお願いします」

 深く校長に頭を下げ天上の微笑みを浮かべ、校長の頬を赤く染めさせたまま権蔵は学校を後にした。

 校門を出たところでもう一度学校を振り返る。校門に大きく第三中学校と書いてある。地域ごとに区切られているため学校の名前は数字が一般的らしい。

 一学年五クラスづつ六年生までがこの大きな建物で勉強している。

(教師の資格を取るべきだったか……)

 一瞬そう思ったが、それではツクヨとリオスにつきっきりで教育することができない。二人が無事に卒業し行く先を見届けてから教師になっても遅くはないだろう。教壇に立ち、自分が育てた優秀な生徒に囲まれ先生と呼ばれ完璧な授業を行う自分を想像し、悪くない、と権蔵はほくそ笑んだ。



 二人が学校へ通っている間に家の中の雨漏りやがたつきは全て綺麗にしておいた。物の構造さえ解かれば後は力を使い一番より良い形へ直すだけだ。直すところへ意識を集中し頭の中で思うだけでできる。時間は一時間もかからなかった。

 外見は突然変わってしまってはいろいろ怪しまれるだろうとこの国の業者においおい頼むつもりだ。それで水地の国の程度もわかる。適当な修理しかできないようであればあまりよくない人間が集う国だということだ。

 家の中が終わると買い出しに出かけた。下調べの時に食料品店や雑貨屋は調べてある。歩いて三十分ほどの場所にある日用品店まで散歩がてら歩き、そこで籠付きの自転車を購入し、道すがらにある小さなスーパーで食料品を買いだすと買ったばかりの自転車の籠に乗せ帰路につく。

 水地の国の気候は一年を通して温暖だが、二か月ほど骨も凍るような寒さになる季節があるらしい。それまでにいろいろ揃えなければならない。

(それにしてものどかな国だ)

 帰り道には田んぼが多く、聞こえるのは風の音と虫の声と遠くで遊んでいる子供の声。森に暮らしていた時とはまた違う自然の匂いは妙な郷愁の念を抱かせる。故郷と呼べるような帰りたい場所など、無いというのに。

 その日、二人は学校から興奮した様子で帰ってきた。

 ランドセルを背負ったまま夕飯の準備をしてる権蔵の傍を犬のようにうろうろしている。

「落ち着け二人とも。まずは鞄を下ろして服を着替えるんだ」

「だって、だって師匠! あんなにたくさんの子供と一緒に勉強するんだよ! わたし名前覚えきれない!」

「すごいんだよ師匠。給食っていうのが出てみんなで同じご飯を食べるんだ。しかも毎日メニューが違うんだよ!」

 リオスとツクヨが交互に学校の報告をする。こっちの言うことはまるで聞いていない。

 権蔵は気が済むまで二人に話させることにした。話し終わるまで興奮は冷めそうにない。学校に通うという選択は正解だったようだ。同じ年の人間と一緒に勉強するだけでこの興奮だ。大勢の人の中にいることに慣れるための絶好の場所だろう。

 一時間目から放課後までリオスとツクヨは事細かに説明した。権蔵は頷きながら二人の話を全部聞いた後にやっと話すことができた。

 「面白かったか?」

 それだけを短く聞くと二人は「うん!」と声を揃えて、大きく頷き満面の笑みを浮かべた。

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