第2話 どいつもこいつも俺を狩る気だ
ルイーズ嬢の話によると、ベアトリス姫はこの世界が『おとめげぇむ』の物語に支配されており、学院内で突如発生する連続殺人事件を主人公である姫とイケメンの攻略対象者たちが解き明かす未来が訪れる、と固く信じているらしい。いや、一から十までおかしいぞ?!
ここは貴族の大事な子弟子女を預かる学院だ。殺人など起きようものなら即時閉校だろ!しかも王立だぞ?国王陛下が激怒して犯人を狩り、関係者は一族郎党ヤバイことになる。間違いない。
まあ、姫の言動がおかしいのは最初から皆わかっているので、とりあえずオリヴィア嬢の身辺警護を厚くしようということでその場は解散した。
「で……大丈夫か?」
周りに生徒がいなくなったのを見計らい、俺はオリヴィア嬢の様子を窺う。
「ええ、まあ……何かあったらサイラス様が守ってくれるでしょ?」
相変わらず生意気を言うが、オリヴィア嬢の顔色は冴えなかった。
……仕方ないな。
俺も姫を煽ったし、このまま放置して彼女に何かあったら寝覚めが悪い。公爵にも恨まれそうだ。猛獣姫の撃退に、俺も手を貸してやるか。
俺は紳士的配慮をフル動員して渋々ハイ・ティーに付き合い、図書館で予習すると言うオリヴィア嬢に同行して時折教えてやりながら短い手紙を書き、従僕に託してジェレミア殿下へ届けさせた。その間、猛々しい視線が何度か顔に突き刺さったが、断固無視した。猛獣と目を合わせてはいけない。
不本意ながらディナーにも誘った。オリヴィア嬢は優雅極まりない所作で俺を唸らせ、最近公爵領で困りごとがあるの、なんて相談をもちかけてきた。びっくりした。彼女は貴族の責務をまじめに果たそうとしているんだな。みくびってスマン。
そして夜。
さすがに女子寮には付いて行けないので、俺は門扉の前で念を押す。
「くれぐれも気を付けろよ。最初の犠牲者は転落死らしいから、ベランダには絶対に出るな」
「わかっているわ。今日はありがとう」
総レースのスカートをひるがえすオリヴィア嬢を、俺は「待て」と制した。
そして左手の指輪を抜き、唇に当てて魔力と呪文を吹き込んだ。次いでオリヴィア嬢の手を取り、穏やかに発光するそれを細い指にはめる。
「《Resize》」
俺の呪文に従い、指輪はしゅっと縮んで彼女の指に馴染んだ。オリヴィア嬢は俺と指輪とを交互に見つめ、頬を染める。
「……これって……」
「お守りだ。万が一があってはいけないからな」
長い睫毛が上下して、オリヴィア嬢は拗ねた声でねだった。
「ねえ、薬指にはめて?」
「勘弁してくれ」
一体何を期待しているんだ。俺はぶっきらぼうに背を向けた。
「じゃ。おやすみ。明日は迎えに来るから待っていろ」
「本当にありがとう。おやすみなさい」
オリヴィア嬢の声が甘すぎて、背中がかゆい。あー俺こういうの無理。猛ダッシュで帰っていい?
だが、まだ仕事が残っている。
姫は気が短い。たいして待たずに済むはずだ——俺は男子寮と女子寮の間にある談話室に入り、本棚の脇に陣取った。一冊を手に取り、開いて十頁ほど読んだところで。
「先生ッ!誰か!!」
案の定、女子寮で騒ぎが起きた。
こういう時、いわゆる男女の間違いを防ぐための煩雑な手続きが俺らの前に立ちはだかる。寮に住むのはやんごとなきご令嬢ばかりだ。間違いどころか、本来噂ひとつも立ってはならないのだ。
ベテランのメイドたちが総員でご令嬢を全員自室に閉じ込め、廊下を見張る。それからやっと女性教員とともに警備員や関係者が女子寮に入る。当然、時間がかかる。
俺はイライラしながら待ち、門扉が開かれた途端、婆ちゃん先生の首根っこを掴んで駆け出した。安心しろ、指輪は右手にもあるから先生に浮遊の呪はかけた。
オリヴィア嬢の部屋は四階らしい。爵位が高いほど上階なのだ。
その上階から悲鳴が響く。階段をちまちま上っている暇はない!俺は焦って飛行の呪文に切り替えた。
まさか。大丈夫だよな?あの指輪が発動しているはず——
螺旋階段の真ん中を文字通りすっ飛んで上がり、手すりを蹴って廊下へ。婆ちゃん先生を振り回したが、大丈夫、どこにもぶつけてないから死にはしない!
あそこか!開きっぱなしの扉に見当をつけ、俺は室内へ飛び込んだ。
女の子らしい居間は乱れ、茶卓は倒れていて誰もいない。ベランダへ続くガラス扉が放たれ、白いカーテンが吹き込む風に舞い踊る。
「オリヴィア!!」
俺の声に驚き、ベランダに立つ二人が振り向いた。
青ざめたベアトリス姫とメイドのアイラだ。
「オリヴィアはどこだ?!」
俺は婆ちゃん先生を放り出し、ベランダへ駆け出した。慌てて左右へ避ける姫とメイドの向こうに——空中で尻餅をついたまま、呆然と座っているオリヴィア嬢がいた。良かった!
俺は手すりから身を乗り出し、オリヴィア嬢に手を差し出す。
「落ち着け。それは俺の魔術だ。『今いる場所から決して下方に移動できない』呪をかけたんだ。ゆっくりこっちへ来い。今なら宙を歩けるはずだ」
オリヴィア嬢はハッとして俺がはめた指輪を確認し、それが発光しているのを見て安堵した。そして恐る恐る、四つん這いで俺の元へ向かう。
彼女の手が俺の手に縋った。
その温もりを感じた瞬間なぜか力が湧いて、俺はオリヴィア嬢の手首を掴み、一気に引き寄せた。手すりの内側へ引き込み、彼女諸共その場にへたりこむ。勢いで抱き締めた。
「無事で良かった……ッ!」
はー焦ったー!これでオリヴィアに何かあったら、俺が公爵に殺されるトコだった!
断崖を吹き上がる夜風にさらされ、オリヴィア嬢の身はすっかり冷えている。頑丈な床の上に戻って安堵したのか、彼女は俺の胸に顔を埋めて泣きだした。
(見た目は)感動の救出劇を、猛獣姫の雄叫びがぶち壊す。
「なによ!なによぉ!何がどうなっているのよぉ?!」
「それはこちらが聞きたい!!」
今度こそ、俺は叫び返した。
「何があった?オリヴィアに何をなさったのですか?!」
怒気を露にした俺に睨まれ、姫はウッと声を詰まらせる。
代わりに、メイドのアイラが報告した。
「ベアトリス姫はオリヴィア様のお部屋に乱入なさるなり、ボールドウィン様の指輪をよこせとお暴れになり、恐れて逃げるオリヴィア様をさんざん追い回した挙句、ベランダへ追い込んで突き落としました」
「ち、違うわぁ!!そんなことしてなぁい!違うちがうちがーうぅ!!」
大声でかき消せば、罪も消えると思っているのか。
ギャアギャア、ジタバタ騒ぎ出す姫に対し、アイラは至極冷静にトドメを刺した。
「私は《王の耳目》です。私が見聞きしたことは全て陛下に伝わりますので、そのおつもりで」
「……へっ?」
猛獣姫の目が点になった。
ここへ来てやっと、騎士アレックスが姿を現す。
「姫を引き取りに参りました」
「遅いぞアレックス」
文句を言う俺を、アレックスは白けた横目で睨んだ。
「こんな任務、誰が進んでやる?」
悪いな、友よ。この危険物を取り扱えるのはおまえだけだ。
姫は無事アレックスに回収され、メイドのアイラは部屋の片づけにとりかかり——
ベランダに二人きりで残された俺は、ようよう泣き止んだオリヴィアの乱れ髪を撫でつけてやった。
「そろそろ立てるか?寒いだろう。ミルクティーでも淹れてもらおう」
「……うん。でも」
オリヴィア嬢は幼子のようにぐずる。
「もう少しそばにいて」
そう言って、彼女は俺の首に細腕をまわし、柔らかな肢体を預けてきた。ちょ!おま!……これ、いろいろヤバくね?
気の利くアイラが、訳知り顔で毛布をかけてくれた。
いやいや、俺は何もしないぞ?マジで。頼むから誤解するな。どうせ全部陛下に報告するんだろ?
俺はオリヴィア嬢に抱きつかれたまま、夜空を仰いだ。ああ月が綺麗だ。
◇◆◇◆◇
ベアトリス姫はその夜のうちに王宮へ強制送還され、学院は姫など最初からいなかった体で授業を始めた。まあ、アレは見て見ぬふりが賢明だ。
風の噂(アイラ談)では、姫は可及的速やかに属国に送られ、そこの王と結婚するらしい。これ以上問題を起こす前に片づけるのだろう。アレを押し付けられる王様、大丈夫かなあ。おそらく莫大な持参金(=迷惑料)が支払われるのだろうが。
ちなみに、俺とオリヴィア嬢の仲は学院の公認になった。どんな仲だよ!クソッ!
それで公爵閣下から再びお手紙が届いた。「サイラス君、今度うちにいらっしゃい」って……これ、呼び出しじゃん!うわぁマジ怖えぇ!毛布被って引き籠っていい?
と。これで決着がついたと思うほど、俺はおめでたくない。
俺は人気のない場所に新たな指定席を見つけ、右手の指輪に魔力を通してもうひとつの指輪の在り処を探った。オリヴィア嬢が頑として返してくれないのだ。
が、それならそれで使い道がある。
指輪同士の共鳴を利用し、あちらへ魔力を送る。さらに風の精霊に頼めば、あちら側で交わされている会話が聞ける。一方の声は俺の指輪をはめたオリヴィア嬢。他方の声は……ジェレミア殿下だな。そう、これは盗聴だ。
「あなたが無事でなによりだ。協力はありがたかったが心配したよ」
「サイラス様がいらっしゃるから大丈夫ですわ。ルイーズさんから『おとめげぇむ』の話を聞いて、放っておけないと思いましたの。ルナさんも似たことをおっしゃっていたので」
「ああ、兄上を狂わせた女性も『おとめげぇむ』の妄想に囚われていたのか。恐ろしいな」
「ええ、関わらないのが一番です。でも姫はどうしてサイラス様にご執心なのでしょう?」
「正妃様に入れ知恵されたのだろう。正妃様のお子は三人いるが、長女は隣国へ嫁ぎ、兄上は廃嫡。このまま私が王太子になれば、正妃様と母上は立場が逆転するからね。ベアトリス姫の婿としてボールドウィンを王族に加え、私の対抗馬にするつもりだったんじゃないかな?彼は父上のお気に入りだから」
「まあ!あの姫にサイラス様がなびくと思ったのかしら?」
「いや。言いにくいが、暴力的に既成事実を作る予定だったのかも……」
「最悪ですわ!」
「本当に。でも、これで正妃様の手駒は尽きた。母上もひと安心だ」
「ではお約束どおり、私との婚約を提示されても拒否してくださいね」
「ああ。いいとも」
……なるほど。
知らぬ間に、俺は正妃と側妃のパワーゲームに巻き込まれていたのか。
あの猛獣の夫として王族入りなんて死んでも嫌だから、結果はオーライだが——オリヴィアめ、結局、最初から俺の親切に付け込んでいたんだな?憶えていろよ。
俺は宙を睨む。そして次の一言に絶句した。
「彼、近いうちに改めて婚約指輪をくれるはずなの」
その自信はどこから来るんだ。誰がやるか!
<了>
ハア?俺が攻略対象者?!2 ~続編があるなんて聞いてねえ 饒筆 @johuitsu
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