妹までは何メートル?

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妹までは何メートル?

 最近妹の様子がおかしい。

 高校一年生の妹、涼(りょう)は要領のいい方ではなく、親の都合で全国を転々としていたこともあり、うまく友達を作れなかった。

 ある時はじいちゃんと山に篭るような場所に住み、山菜採りに出かけたり、罠に嵌った子熊を助けたりした。

 またある時は、ばあちゃんと海に寄り添い、潮干狩りをしたり、珍しいヒトデを探したりした。

 そんな生活を送っていた為か、涼は勉強が苦手で、人間関係も構築出来なかった。

 二つ年上の兄である俺から見ても引っ込み思案で、家族とすら最低限以上の交流を持たない。

 朝は鈍い動作で学校へ向かい、放課後すぐ帰ってくる。

 夕食を摂ったら自室へ引き込もり、後は先述した朝へ戻るだけ。

 独りで完結する日常を送っていた。

 涼のことを考えると不安になり、こっそり家族会議を開いたこともあった。

 父親と母親と俺でウンウン唸った挙句、


「スマートフォンを持たせた方がいいのだろうか……」


 とか、


「たまには門限を破って友達とファミレスへ行ったりしないかしら……」


 とか、


「近づくな、バカ兄貴! 半径3m以内に入ってきたらぶん殴るから!」


 とか言って欲しいなど、それぞれに明後日な見解を漏らすだけに終わった。

 それだけに涼が突然、満面の笑顔で帰って来た時は家族みんなで驚愕した。

 朝食の準備を手伝い、学校では勉学にも取り組み、放課後は日が傾くまで帰って来ない。

 あまりの変化に却って家族の方が戸惑ってしまった。

 いや、喜んでるよ? みんな。

 ある朝、


「兄さん、一緒に学校行こう?」


 って、笑顔で言われた時は泣きそうになったし。

 人間変われば変わるんだなあと感慨にも浸った。

 ううう、お兄ちゃんは嬉しいよ。

 で、ふとある日思ったのだ。

 きっかけは何だったんだろう? と。

 放課後、一年生の教室へ向かい、心当たりがないか聞き込みを行った。


「あ、涼ちゃんのことですか? あの子、彼氏できてから変わりましたよね~。いい方向に」


 あっさりと真相は明かされたが、俺は地獄へ突き落とされたかのような気分だった。

 男、だと……。

 ううう、お兄ちゃんは悲しいよ。

 原因が男なんて。

 黙っておれぬ、とばかりに家へ帰ってきた涼に直球で訊ねた。


「え、ええ? バレちゃったんだ。う、うん、実はそうなんだ。って言っても片思いで、私が一方的に会いに行ってるだけなんだけど……」


 毛先を指で持て余しながら困ったように笑う。

 どこで覚えた、そんな笑顔と仕草。

 切なさで俺が死ぬ。

 どんな男なんだ、そいつは?


「うーんとね、名前はほむらって言って、カッコよくて、すごく優しくて、逞しいんだよ!」


 は、ははあ、な、ナイスガイじゃないか。

 そんな幸せそうな言葉を聞いてしまったら、会いに行くななんて言えないわけで。

 しばらくは看過していた、していたのだが……。

 いつしか、打撲痣や引っかき傷以外の何者でもない怪我をこしらえて来るようになってしまった。

 我慢できず、詰問すると以下のような答えが帰ってきた。


「え? や、やだなあ、ちょっと機嫌が悪かっただけだよ。私のアプローチにも問題があったかもだし。ホントは気を使ってくれてるの知ってるから、大丈夫だよ!」


 ちょっと寂しそうに微笑する。

 いや、それあかんやつや。

 毎日のように暴力を振るい、金を巻き上げられつつも、「私が支えないと彼がダメになっちゃうから……」とか言って悪循環に陥る典型的なDVの思考だ。

 これは早めに手を打たなければならない。

 俺はそう思って、涼の後を付けることにした。

 涼は学校を出て、バスに乗る。

 そして着いたのは動物園だった。

 園内を歩き、人気のない場所のドアを開けて中へ入っていく。

 ……従業員用通行路?

 俺は迷ったが思い切ってそのドアを開けて先へ進んだ。

 通行路を歩き、視界が開ける。

 そこは鉄格子に囲まれた大きなドーム状の部屋だった。

 左右の扉にはかんぬきがかけられており、ちょっとした闘技場のような構造になっている。

 戸惑ってきょろきょろしていたら背後から声をかけられた。


「ここは一般の人は入っちゃいけないよ?」


 そこにいたのは四十代程の男性だった。

 泥や汚れの染み込んだ薄緑のトレーナーを着ている。

 あ、いえ、怪しいものじゃないっす。

 ただ妹を追いかけてきただけで……。

 正直に答えると男性は破顔した。


「ああ、涼ちゃんのお兄さんか。彼女ならそろそろ出て来ると思うよ?」


 出て来る?

 何が?

 首を傾げていると、右側の扉のかんぬきが外される、がちゃんという音が響き、一人の少女が出て来た。

 身体にフィットするインナーにハーフパンツ、頭部には赤いヘッドギア、そして両手には分厚い拳サポーターという姿だった。

 ……あれ?おかしいな。

 いつから俺の妹のジョブはグラップラーになったんだ?

 さっきまで学生じゃなかったっけ?

 そんな当惑を他所に、今度は左側の扉が開く。

 遠目に見ても分かる筋骨隆々のボディ。

 無駄な贅肉などない2mを軽く超える体格。

 地面を揺らす力強い足運びは見る者の本能的な恐怖を煽る。

 ただ、彼(?)は剛毛に全身を覆われており、目には確かな殺気を宿して涼を睨んでいた。

 舌で顎を舐め、獲物を噛み砕かんとしているような錯覚すら覚えさせる雰囲気だ。

 熊だった。

 まごう事なき凶悪アニマルがそこにいた。

 涼はそんな野獣を目の前にしても一切動じず、むしろ挑戦的な視線を投げる。

 そして全身で喜びを表現しながら熊の胸へ向かって走り出した。


「わはは、ほむら、ほむら~!!」


 そしてクマの1m程前で跳躍し、思いっ切り鼻頭へ飛び蹴りを叩き込んだ。

 しかし彼(?)はそんな打撃などまるで頓着ない様子で中空にいた涼へ剥き出しの鉄骨のような腕を振り下ろした。

 まともに喰らった涼は地面を弾みながら鉄格子に身体をぶつける。


「った~。やるなあ。最初の一撃が入ったからいけるかと思ったんだけど」


 そんなことを言いながら涼は軽快な動きで、ひょい、と立ち上がる。

 あれ?

 今のって、さらっと流していいところ?


「今日もほむらと涼ちゃんは元気だなあ。励まされる、励まされる」


 男性は楽しそう。

 あ、熊の名前って涼が言う通り、ほむらなんですね。

 改めて二人は地を蹴り、右拳を打ち合った。

 巨石同士がぶつかり合うような衝撃波が円状に広がる。

 ほむらは腰を落とし、タックルを繰り出すが、涼はその場から一歩左足を踏み出し、そこを軸にして右足の回し蹴りを放った。

 側頭部へ向けた延髄切り。

 短時間に二度頭部へ打撃を受けたほむらは、たたらを踏む。

 涼は更に一歩踏み込み、「はあッ!!」と言う気合と共に肘鉄を、ほむらのみぞおちへ叩き込んだ。

 互いに距離を取って仕切り直す。

 涼は親指で口端の血を拭い、ほむらはぶるぶると頭を振った。

 何か今、二人が笑い合っているように見えたのは錯覚だろうか?

 そして再び始まるフルコンタクトの異種格闘技戦。

 ……色々聞きたいことはあるが、一番気になっていたことを男性に尋ねる。


「ん? 何?」


 あの、ウチの妹はどこでほむらさんとお知り合いになったんですか?


「ああ、ちょっと前に涼ちゃんがここへ来ていたことがあってね。そしたらほむらが急に騒ぎ出したんだ。それぞれお互いが誰なのかすぐに気が付いたんだろうね」


 ……? 既知の仲だったと?


「ああ、何でも小さい頃に飼っていたとか。その時の名前は何て言ったかな。サ、サー、何とか。あれ、何だっけ?ほむらって名前もそこから取ったんだけど」


 飼っていた?

 あんなバイオレンスを?

 ……いや、ちょっと待った。

 サー、だって?

 それってもしかして。

 サーラマ、じゃないですか?


「あ、そう。それ」


 男性が頷く。

 俺はその様子を見ながら過去へと想いを馳せていた。

 幼少期、じいちゃんと山に篭もり、罠に嵌っていた子熊を助けたこと。

 涼と一緒にそれを飼い、サラマンダーから取った「サーラマ」と言う名前を涼が付けたこと。

 理由はカッコよさそうだったから。


「ほむらは幼い頃に人里へ降りて来ちゃってね。捕まった後この動物園で保護されることになったんだ。サーラマって名前は地元のおじいちゃんから教えてもらった」


 あ、それ俺と妹のじいちゃんです。


「みたいだねえ。で、保護されてからのほむらは檻の生活に適応できなくてずっと苦しんでいたんだ。そこに涼ちゃんが現れたってわけ」


 なるほど、ダウナーな生活を送っていた者同士、シンパシーがあったのかもですね。


「でもそこからは早かったよ。最初はじゃれあう程度だったけど、段々手加減がなくなっていって。涼ちゃんも明るくなって、ほむらも活動的になって」


 ……いや、そこは止めましょうよ。

 今も鋼と鋼がぶつかり合うかのような打撃音が聞こえてきますし。

 ほむらはともかく、涼は下手をすればワンパンで死ねますよ?


「あはは、それを言われると辛い。……止めるかい? 家族が言うならすぐに止めさせるけど」


 んー……。

 俺は腕を組んで黙考。

 気が付けば打撃音はもう聞こえず、静寂が周囲を満たしている。

 まさかの事態を思い、視線を檻の中へ戻した。

 そこにはルールなし、容赦なし、まったなしのデッド・オア・アライブを終えた一人と一匹が抱き合うように身を寄せ合って眠っている姿があった。

 俺は小さく笑い、男性に背を向けて出口へ向かう。

 背中越しに届く問い。


「いいのかい?」


 構いません。

 こうなったら本人達の気が済むまで続けさせましょう。

 だってあんな光景見たら止めることなんで出来ません。

 それに――。


「それに?」


 ガチで殺し合っても壊れない友情なんて、そうそうあるものじゃないんですから。


「違いない」


 男性は笑う。

 そして俺は誓う。

 今後不用意に妹の半径3m以内に近づくまい、と。

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