第11話 傷だらけの黒狼

飛翼ひよくの廻廊、巡り巡る息吹を吹き、燦々たる三叉路から飛び立ち、溺れ謳え! ――流歌ながれうた誘翼ゆうよく!!」


 詐夜子は意を決して、自分の自室から魔法を使って飛び降りた。

 スカートの裾を抑える必要はなく靴のつま先で魔法の風から地面に降りる。


「……よし」


 段々と体が動かしやすくなったので、屋敷から外に出てみることにしたわけだ。

 もちろん、日奈や他の従者の護衛などは無しである。

 いつまでも部屋に籠っているのも窮屈だし、魔法の行使はいつまでも花園でやるわけにもいかない。日奈も離れている今がチャンスだった、というわけだ。


「ごめん日奈、後で美味しいケーキあげるから」


 私は一人、屋敷近くの森へと踏み出していくことにした。

 告鵺国のことを今後のためにも情報収集して、もし傷の男に関連するものが少しでもあるなら、一般人を装って情報収集するのは物語の中でも内政物の小説によくある話だ。事前に日奈から屋敷の外にある森については大丈夫だと教わっている。


『サヨ様ぁ、本当にいいのかぁ? ヒナちゃんに何も言わないで来てぇ』

「問題ないわ、日奈が気づく前に戻ってくればいいだけの話だもの」


 サイラスは木の枝に上った状態で私に声をかけてくる。

 私が移動する度に彼は周囲の枝を伝って移動している様は、潔一の記憶で言う猿にも見える。もし危険を察知したら、サイラスが教えてくれる手筈になっている。

 ジークの面会に来る日数もまだあるわけだから、問題はないように手短に済ませよう。


「……静かな森ね」

『確か、メイドたちが言うには黒闇くろやみの森って呼ばれてるらしいけど……どういう意味なんだろうねぇ』

「おそらく、告鵺国と常闇お父様からもじっているのよ。お父様はこの国の第六帝王とされているもの」

『へぇ? それも調べたんだ』

「……6歳児とはいえ、記憶力がいいほうでよかったわ」

『タハハ、意地が悪い言い方だなぁ……何かいるぞ』


 先に気が付いたのは青年、サイラスの方だ。

 真剣な面持ちをしている彼を見て、私は周囲を警戒する。

 暗闇の森の静謐な静けさに一人の少女と青年は周囲の警戒を怠らない。念のため、詠唱の準備をした状態で、詐夜子は森中を一歩ずつ進む。


『奥の方だ、血の匂いがする』

「……本当に?」

『暗殺者の鼻を舐めないでもらっていい? 行かないのか?』

「……行きましょう」


 詐夜子はサイラスが指示する道を進んでいく。

 草木の足場を踏みながら、段々とサイラスが指し示す場所へと近づいていくと、一匹の小さな黒狼が怪我を負っていた。


「……どうしてこんなところに」

『どうする? もう死にそうだけど』


 月のない夜空の黒をそのまま映したと感じられる綺麗な黒い毛並みの狼を目にして、詐夜子は腹の傷口から血が流れているのがわかる。


「……ワウ」


 小さな呼吸をする狼をじっと見つめる。

 おそらく子供の狼なのだろう。親と離れてしまった、というところか。

 ……それは、まるで助けられなかった耀昴の時を思い出す詐夜子は目に決意を募らせる。

 

「助けるわ。後で助けないで死なれたら後味が悪いもの」

『じゃあ、処置が必要だね』

「包帯は持って来ていないわ……どうすれば」


 ――今、治療を施さないとこの子は死んでしまう。


 治癒魔法は図書室の中になかったため、詠唱もできない。


『あるでしょ、包帯代わりにできる布が』

「……悠長なことは言っていられないものね」


 だったら今自分ができることはこれしかない。

 詐夜子はスカートの裾から念のために持って来ていたナイフを取り出す。

 サイラスの指示のもとスカートの裾をナイフで裂いて、狼の体に包帯状に巻いていく。


『後は、安全な場所でこの子の傷が治るのを見ておかないと』

「なら、屋敷に連れて行きましょう」

『怒られない?』

「その程度で怒られるからと、復讐を諦めるわけにはいかないもの」

『……それはそうだ、じゃあ、はやく屋敷に帰ろうか』


 私は狼を胸に抱え、急いで屋敷の方へと走り出した。黒狼から後ろの暗い森の中で、何かが詐夜子たちを見つめていたことにも気づかずに。暗闇とも評せる黒闇の森を抜け出た詐夜子は、日の光を浴びながら屋敷にたどり着く。


「……まず、日奈のところに行かないと」

『屋敷から出たのバレんじゃねえの?』


 サイラスは私の胸に抱かれた狼を見る。

 私は少し強く狼を抱きしめる。


 ――庭にいたら、怪我した子が現れたで済むでしょ。


「はやく、ちゃんとした治療を施さないと」

『……ま、それもそうだわなー』


 サイラスは首の後ろで腕を組み、私がはやく走り出そうとすると日奈の大声が聞こえてくる。


「詐夜子様ぁああああああああああ!! こんなところにいらっしゃったんですねぇええええええええええええええ!?」

「……日奈。声が大きいわ」

「当たり前じゃないですか!! 詐夜子様を屋敷中探しまわったんですからっ!! ぜぇ、はぁ、っ……? ひぃっ! どうしたんですか!? その恰好!!」

「これは……その、」


 日奈の一喜一憂する様は今でも見慣れないが、面白い子だと思う。

 見ていて飽きないというか、私の専属メイドがこの子でよかったと思う点はここにもある。


『サヨ様より素直そうだしなー』


 顔を覗き込んできて挑発するサイラスに視線だけ送る。

 うるさいわよ、サイラス。


『へいへい』

「詐夜子様!! そのお姿は……!?」

「サルマン、どうして貴方がここに……?」

「日奈が詐夜子様がいないと泣きついてきましたので。スカートが破れているのと言い、胸に抱えていらっしゃるのは一体……?」

「この子の手当てをお願いできる? 庭を歩いていたらケガをしていたの」


 胸元に抱えた狼をサルマンに見せると彼は顎に手を当てて呟いた。


「シェイドウォルフ……? どうして屋敷に――」

「それはこの狼の種族名なの?」

「……まず、詐夜子様はお着換えになられたほうがよろしいかと、他の物の目に触れますので」

「だったら、手当の仕方を教えて。今後のことも考えて必要なことだと思うの。着替えはその後するわ」


 サルマンは驚きを隠せず、思わず詐夜子に向かって目を見開いた。

 決意が強い、と言う目をしている詐夜子にサルマンは動揺を隠せない。

 傷の男の襲撃の前の時の詐夜子とは考えられない発言だったからだ。

 サルマンは詐夜子の急激な成長の片鱗を感じながら、日奈が先に話を切り出した。


「それは従者の私たちがしますから、詐夜子様ははやく着替えましょうっ!」

「嫌よ、怪我をしたのを見たのも私なのだから、私が手当てする。だからサルマン、手当の仕方を教えて」

「……詐夜子様がそうおっしゃるなら、手順をお伝えします。日奈は詐夜子様の着替えを持って来なさい」

「サルマン様!? でも……」

「主人の命に反するのですか? 日奈、貴方は詐夜子様の専属メイドでしょう。さぁ、詐夜子様今すぐ治療室へ行きましょう」

「ええ」


 詐夜子はサルマンの指示に従い、治療室へと向かった。


「……どう? サルマン」

「そう、ですね」


 上ずった声を上げるサルマンに違和感を抱く。

 じっとシェイドウォルフの子供をじっと見つめるサルマンに疑問を抱く。

 ……もしかして、シェイドウォルフって何か特殊な種族だったりするのだろうか。


『少なくとも、サル爺はお嬢の手当てに驚いてる、って当たりじゃね?』


 確かにサイラスの意見も一理ある。


 ――だとしてもよ。


 シェイドウォルフを見て、目が変わったのよ?

 私はそっちの方が気になるわ。

 私は注意深くサルマンの変化をじっと見つめる。


『……危険な魔獣だったりして』


 サイラスは私の顔をしたり顔で覗き込む。

 私はまっすぐと、シェイドウォルフの子供を見据える。


 ――だとしたら、親を殺すだけよ。


『うわ、怖っ』


 すっと引くサイラスに心の中でイラつきながら言う。

 貴方は、暗殺者だったはずでしょう? 何を怖がる理由があるというの。


『そういう発想、王族だから出てくるのかねぇ』


 ――貴方は、王族が大嫌いだものね。


『……お嬢? 過去は振り返らねえんじゃねえの?』


 復讐するといった私が、過去を振り返らないはずがないでしょう?

 昔話のきっかけを口にしたのは貴方の方よ。

 詐夜子はじっと固まっているサルマンにしびれを切らして声をかける。


「サルマン?」

「あ、い、いえ。必要な処置はある程度できているかと……」

「じゃあ、今度包帯での処置の仕方を教えて頂戴」


 これを言っていれば、問題なく適切な処置の仕方を教えてもらえるはずだ。

 はっきりと言う私に、サルマンはしどろもどろに戸惑う。


「で、ですが、それは詐夜子様がなさる必要は、」

「もし、この子のように目の前で倒れている者を見捨てるのが、王族のすることなのですか? 時にはそういう判断も必要になってくるかもしれなくても、このシェイドウォルフの子供を助けなければ、後でどんな被害があるかもわからないでしょう?」

「いえ、違うのです。違うのですよ。詐夜子様」

「違うって、何が?」


 真剣に聞いている私に、サルマンは一度口元に手を当ててからゆっくりと手を下ろし恐る恐る口にする。


「シェイドウルフは、我が国、告鵺国の四大神獣にも等しいレベルの存在であり、王族である詐夜子様の半身でもあるのです」

「……私の、半身?」

「そうです。告鵺国ははるか昔、夜の国とされてきました。初代女帝、漆黒女帝が今の夜明けの黎明を起こし、現在の告鵺国を作り上げた偉大の人物の従者であり、子孫たちを助言役として存在しています」

「子孫たちの助言役って?」

「子孫たちの魂の繁栄を願った漆黒女帝は、己の心を最も許せる相手がいなければならないと言って、シェイドウォルフたちと契約を必ず行うことが告鵺国の王族では規則となっております。これは本来詐夜子様が16歳で成人になる前の15歳の時にお話しする予定だったのですが……まさか、こんなことになっているとは」

「じゃあ、サルマンたちは私の半身の怪我を放置した、ということ?」

「いいえ、何度も処置をしようと向かったのですが、兵士が皆攻撃を受け、瀕死の兵士も出たほどでして……」

「それは、どうして?」

「幼いシェイドウォルフは半身である詐夜子様の状態に影響されやすいので……」


 ぴくり、と私は肩を揺らす。

 私は自分の額に手を当てて目を伏せる。

 ……つまり、復讐しなくちゃと思っている私になってから、他人を信用できないから攻撃した、と。つまり、いえ、つまり……そういうことね。


『じゃあお嬢が悪いんじゃん』


 ――少し黙って地面を舐めてなさい、サイラス。


『お断りしまーす、タハハ。お嬢だっせー』


 けらけらと笑うサイラスにイラつきを覚える。

 実体があれば、一発殴ってやれたものを……!!

 詐夜子は頭を抑えながらサルマンに聞く。


「……ちなみに、もし私の半身であるシェイドウォルフを治療しなかったら、私はどうなるの?」

「新たなシェイドウォルフが産まれるだけですよ。もちろん詐夜子様は死にません。あくまでシェイドウォルフは漆黒女帝の子孫を敬愛しているので、シェイドウォルフ自身が半身を襲うような真似は滅多なことがない限りしません」

「……そう」


 ……滅多なこと、の条件が気になるんだけど。


「ですが新しいシェイドウォルフにすると、詐夜子様の望む助言者にならない可能性が出る可能性があり……早急に処置を行おうと勝手に晩兎様が暗闇の森に行こうとしましたので手を焼きましたね」

「晩兎お兄様が?」

「はい、それはもう。今回の事件の件を聞いてすぐに」

「……そう」


 はぁ、と重い溜息を漏らす。

 ……想像できるなぁ、晩兎お兄様だもの。ああ見えて結構度胸あるんだよなぁ、そこが終来兄様が晩兎兄様に好感持っているところなんだろうけど。

 詐夜子は顎に手を当てながら考え込む。


「この子の余命は後どれくらい?」

「見たところ持って、数日の命のようです」

「……! この子を助ける方法は?」

「本来成人の儀を行ってから、契約をするの規則ですが……緊急事態ですので、契約の儀をこの場で行えば、もしかしたら」

「……助かるのですね?」

「はい」


私は目を伏せるのをやめ、サルマンの目をまっすぐに見据える。


「――――選択肢は一つよ、契約の準備をして頂戴」

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