第3話 目覚めた新たな私

 海に沈む感覚を覚えて、聞き慣れた声が耳を掠める。


「――――夜子様、詐夜子様っ」


 誰だろう、私の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 ずっと、誰かが呼んでいる。この声は、彼女は――――、


「――――ここ、は」

「お目覚めですか? 詐夜子様!」

「……日奈?」


 私は瞼を開けると、そこは私の自室のベットの上だった。

 隣には心配げに顔を覗き込む少女が一人。

 セミショートの茶髪に、琥珀色の瞳をした可愛らしい若いメイド。

 私の最も信頼する従者の一人である彼女は、涙目になりながら私を抱きしめた。


「よかった、詐夜子様が目覚めなかったら……私っ!!」

「日奈……」


 私は気が付けば、自分の部屋で眠っていたようだ。

 抱きしめられて、少し戸惑いながらも私は思考を回す。

 ……ああ、思い出した。

 白崎潔一が、前世の私の言った通り、私は前世の記憶の全てを思い出した。

 私は地球で、107回目の人生を白崎潔一として事故死で己の生を全うした。

 私は、転生したんだ。108回目の転生を。嫌になるくらい、私は前世の記憶を引き継がなくちゃいけない呪いにでもかかっているのだろうか。

 ……でも今は黒居詐夜子として、彼女を安堵させなくては。


「……大丈夫、日奈。私は生きてるわ」

「詐夜子様っ……」


 私は軽く片手で彼女の背を優しく触れる。

 情報の整理も大事だけれど、今は一人になるまでは黒居詐夜子としてふるまわないといけないな。

 コンコン、とノックオンが扉の方からする。


「……入って」

「失礼します」


 花園ところでも聞いた彼の声だ。

 私は警戒心を解き、彼にも安堵させるために口角を上げて穏やかに微笑んだ。


「詐夜子姫様、お目覚めになられましたか」

「ええ、じいや……あの時貴方がいなかったら、きっと私は死んでいたわ」

「貴方様がご無事で本当に良かった……ところで、日奈もまだ詐夜子様も目覚めたばかりなのはわかっていますね?」

「あ、す、すみません! サルマン様!」


 日奈は血相を変えた顔で私から慌てて離れる。メイドの彼女にとっては執事であるサルマンは上司になるわけだから、当然の反応か。


「……あっ」


 少し、まだ頭がくらくらする。傷の男に胸元を切られたせいだろうか。

 サルマンはふらつく私を花園の時と同じく腕で支えてくれた。


「詐夜子様、無理をなさらないで眠ってください。今の貴方の仕事は休息を取ることですよ」

「……ありがとうじいや。日奈……少し、寝ます」

「はい」


 サルマンは横目で日奈を見ると、彼女もその意図を組んでか詐夜子に頭を下げる。


「では詐夜子様、私共は下がりますので」

「……お願い」


 二人が私の自室から去っていくのを確認して、私は一人の時間を得た。

 ……今、冷静に状況の整理できる時間は今しかないだろう。

 私はとりあえず、情報をまとめるために頭の思考を回すことにした。

 詐夜子は自分の部屋の広さに驚きながらも、ふぅと小さな嘆息を漏らす。


「……貴族に転生したことはあったが、王族になったことは一度もなかったな」


 天蓋や自分の自室のカラーコーディネイトが青と白を基調としたこの室内は、私の、いや、前世に気づく前の詐夜子の趣味を反映されたものだ。他の家族……と、呼ぶにしては忌々しさもある兄弟や姉妹たちだが、今は冷静になるためにも家族のことを振り返るのはまた別の時にしよう。

 今は休養が必要なわけだし。


「……ふぅ」


 詐夜子は頭を冷却するため、一度深く深呼吸をする。

 今の私なら理解できる。

 そして、転生したと気づいた今なら、気づく前の記憶も私の頭の中にある。

 私が転生したのは告鵺国こくやこく第三王女、黒居詐夜子くろいさよことして転生した。この世界の名称は、無冠之檻むかんのおりと呼ばれる異世界だと思われる。この世界の世界観はまた今度考察するとして、重要なのは今後どう振舞うか、にもかかっている。

 ……ただ、はっきり言って、言いたいことがある。


「……女の子、なのよね」


 今までのほとんどの転生した時、性別が男だった。

 というか、今まで数えても女性になったのは3回目だ。

 ……一番最初に女性として転生した時は、ひどく慌てったっけ。


「……胸の傷、治るかな」


 転生して最初に前世の記憶を思い出した日に自分の胸元に大きな傷ができるとか、誰が想像できようか。

 今度から詐夜子の裸体は見慣れないといけないかな。

 安静にしてとサルマンたちに言われたけど、ここは素直に甘えておこう。

 私は瞼を閉じて、体を休めることに集中した。



 ◆ ◆ ◆



「では、詐夜子様。胸元を見せてくれますか?」

「ええ」


 今日はさっそく私の自室で医者に診てもらっている。

 日奈に服を脱がしてもらって、自分の胸元を担当医である写木研創うつぎけんせいに見せる。30代ほどの男性とはいえ、私の主治医でもある彼だ。

 記憶を思い出す前の日からの記憶を読み取るに、詐夜子の母親である帯刀寂音たてわきさびねの主治医もしていた人物だ。

 若いとはいえ、信頼を寄せるのも自然である。

 写木は自分の顎に手を当てて私の胸元の傷をじっと見る。


「やはり特殊な武器で切られたせいか、回復魔法では治しきれないようですね。傷跡は残るかと」

「魔法以外では消せる?」

「……魔法以外でも消せそうにないですね」

「どういう武器だったのかは特定は?」

「獲物のマーキングに近い魔法が付与されているのは既に確認済みです。しかも他の複雑な魔法が施されているようで、一歩解呪をしようと下手に間違えれば詐夜子様が死んでしまう可能性が八割ほどあるかと」


 ……五割じゃなく、八割と言い切るか。

 つまり、下手にこの傷跡を消そうとすると傷の男の居所を探れなくなるし、下手に私の体で調べようとしたら私が死ぬということか。

 ……面白いじゃないか。その挑発,乗ってやろう傷男。

 私は胸元の傷に触れて彼へと微笑んで見せた。


「……この傷は残します。あの傷の男を探すためにも必要なことだろうから」

「いいんですか?」

「下手に傷跡を治そうとすれば私が死ぬなら、そうしたほうがいいでしょう?」

「で、ですが詐夜子様!」

「日奈、いいの。服を着させてくれる?」

「……っ、はい」


 私は日奈に胸元をボタンで留めて行ってもらっていると、彼女の目を見ると不安や憤りにも近い目をしていた。


「では、私はこれにて」

「ええ、ありがとう写木。また今度もお願いね」

「はい」


 写木が去るのを確認すると、日奈は目を潤ませる。


「……詐夜子様、やはり、納得できません」

「日奈?」

「だって、詐夜子様は嫁入り前なんですよ!? しかも、まだ6歳だというのに……! せっかくの綺麗なお体に、傷なんて……」

「……いいの、むしろ好都合だから」

「それは、どういう……?」

「こっちの話」

「?」

 

 いつか、絶対にあの男の尻尾を掴んでありとあらゆる拷問にかけて殺してやる。

 決して、忘れたりなどするものか。

 

「――――あの男は、私が絶対に殺してやる」


 おどろおどろしい淀んな瞳は、月白色の瞳でさえもとてもおぞましい凶器の月に日奈の目には映って見えた。

 今までにない、詐夜子の表情にぞわりと体を震わせる。


「詐、詐夜子……様?」

「日奈はもう下がって、私はやりたいことがある」

「やりたいこと?」

「そう、やりたいこと。ついてきたらダメよ、いい?」

「は、はい……」

「うん、いい子ね」


 私が微笑むと日奈は照れたのか、耳まで顔を赤くする。

 詐夜子様は、こんな風にかっこよく笑えるなんて……っ、なんて心の中で日奈が思っていることも露知らず、詐夜子は彼女が去ってから自室を出ることにした。

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