第2話 微睡の夢の中の私
詐夜子は微睡の中で、一人白い空間の中にいた。
「ここは、どこ……?」
そうだ、私傷の男にナイフで胸を切り裂かれて、血が、出て。
気が付いたら、じいやの声を聞いたんだ、そこから、そこから――――?
私の記憶にはさっきまでの映像がぷつりとそこで途絶えている。
私、死んだの……?
「お兄様、お兄様は…………っ」
衛兵が、お兄様はもう脈がないと言っていた。
つまり、お兄様は死んだのだ。
「――――っ、お兄様ぁっ」
目じりに涙が込み上げてくる。
痛い、痛い、痛い。こんなにも、貴方がいないと思うと心が凍える。
体中が針で突き刺されて目からは血が出ているとさえ錯覚してしまうほど苦しい。
胸元に激痛が走る、服を引き裂かれ胸元から血が出ているのが露になる。
やっぱり、私、もう死ぬ……?
お兄様だけじゃなく、私まで死んでしまうの?
そんなの、そんなのは――――、
「はじめまして、108回目の俺」
雑音を立てて目の前に映るのは、たった一人の男だった。
白い髪、白いシャツ、銀縁の眼鏡から見える色素が抜けきっているのではないかと思うほど虚ろな目。老人でもない少年でもない、青年としてのアンバランスさが出ているその男は、私に微笑みかける。
「……貴方、誰?」
「
「意味が、わからない……私、もう死ぬの。貴方のお話、もう聞けないわ」
「ああ、君の精神面が傷を負ったままだと感じているからこそ、傷はそのままなだけだよ」
「……精神面?」
「単純に言うと、君が死ぬと思っているから傷があるの。ないって強く思えば、血は止まるよ。やってごらんよ」
「……わかった、やってみる」
私は息を吐いて、目の前にいる男の言葉を素直に従って呼吸を整える。
そっと集中して、死なない、傷がない、と頭の中で反芻する。
次第に手のひらに零れる血の感覚がなくなっていくことに気づいて目を開ける。
「……止まった?」
「うんうん、最初にしてはうまくできたじゃない」
「貴方は、どうしてこんなところにいるの?」
私は初対面の怪しい男に不審感は持ったまま、男を見る。
男はけらけらと陽気に笑う姿に、やはりまだまだ未熟な私の理解の範囲を超えているせいか、この状況がよく理解できていない自分がいる。
「前世の話とか、君のお兄さんから聞いたことはないかな?」
「お兄様が読んだことのある小説とかに出てきた気がするけど……さっき言ってたのが、そういうこと、なの?」
108回目の私、って意味はおそらくそういう意図だと受け取れると思う。
「ああ、流石は俺、察しがいいね。そう俺は君の前世、107回目の君だ。俺は君に俺たち全員分の記憶を譲渡するために現れた助言者と思ってくれればいいさ」
「……前世の記憶の、譲渡?」
「ああ、君が目覚めた時、俺を含めすべての記憶が君の脳に送り込まれる。まずは、その目で見てほしい……とりあえず、一番最初に俺の人生を、ね」
「貴方の?」
「ああ、――――色々理解できないものが出てくるかもしれないが、全部真実だよ、どうか受け入れてほしい」
パチンと、潔一は指を鳴らすとそこから白い世界にありとあらゆる映像が浮かび上がった。まるで魔法で出てくる映像のような、そんなものたちがいくつも。
家族の団欒で一緒に食事する彼は家族と楽しげに笑っている。
『おいしい? 潔一』
『うん!』
『だよなー、潔一ぅ! 今日も母さんの料理は絶品だっ』
潔一が嬉しそうに食事をしながら両親は笑っていた。
とても、幸せそうな家庭だったんだなと思う。気が付けば、映像は違う場面を映す。
『あはははは!』
『やめて、ください。お願いしますっ……』
そこには、暴力を振るわれて泣いている潔一。
他の人々は、私の姉妹たちのような笑みを浮かべている。
私は胸にとげが刺さった感覚を覚えた。いじめを受けたのかボロボロにされる彼。あまりにも非道な言葉や行為にには目を覆いたくなるほどだった。
「……貴方も、こんな日々を?」
「まあ、俺以外の前世の俺も悲惨なものだけどね。まあ、そういう悲しい理に首つりにさせられているってだけだよ」
「……それは、私もということになるのではないの」
「あはは、確かに」
けらけらと余裕ありげに笑う潔一は愉快気だ。
人生を悟り切った笑顔は、まるでお兄様とどこか被る気がした。
一人で自分の部屋で寂しく蹲る彼は、ぼそぼそと呟く。
『みんな、死ね。死んじまえ、世界なんて滅んじまえっ……世界からいじめっ子どもなんて消えちまえばいい!!』
生気を失って、瞳に光を宿さなくなった彼の人生は非常だった。
誰もが体験するであろう人生は、幸福な物が私の知る人生を謳歌した小説たちに多い。しかし、彼は学校に通っている時、あんな惨めないじめを味わった。
最初に見ていた楽しい記憶から徐々に辛く、もの悲しいものに移り変わっていく彼の人生……まるで、今の私を彷彿とさせていた。
潔一は何か、不思議な黒い物体に、何かを指ではじいている場面が映った。
「あれ、は?」
「記憶の映像に映ってる奴、だよね。俺が打ってるのは、キーボードっていうもので、パソコンってものに向かって小説を書いているんだ」
「……小説? 貴方は、作家だったの?」
「この時の俺は、まだアマチュアみたいなものかな、全然売れてない時の物だよ」
私は再度、映像の方に視線を向ける。
パソコンって言う物に向かってあるものが映っていた。
そこには、文章だった。小説と同じ物だろうか。
『……メール? なんで、俺に』
私はじっと潔一の方を見ると、彼はぽそりと呟いたその表情は驚愕と、どことない歓喜の色が混じっていた。
メール、って単語は、他国の言葉でも聞いたことがある。
手紙のようなものだと、お兄様が言っていた。
映像のそこには、こう綴られていた。
『はじめまして! 白崎先生。いつも貴方の小説を読ませていただいているんですが、私、自殺しようと思ってたんですけど、貴方の小説のおかげで生きたい、って思えるようになりました! これからも応援しています!! 書籍化も、応援してます!!』
『……俺の小説、読んでくれてる人、いたんだ』
椅子に座りながら、頬に涙を零す彼を見て私は、思わず声もなく口を開いた。
「潔一、これは……」
「――――ああ、俺が書いた小説で、生きたいって思ってくれる誰かが、いたんだって、思えた。だからこのメールをきっかけで俺は小説家になれたんだ。見てくれる誰かが、いたんだっていう安心、というよりも安堵が、勝ってたかな。この時は」
映像の潔一は、涙を流して震えた声で頭を抱えた。
『……だめ、だ。死んじゃだめだ、アイツらの思い通りに、生きてなんてやるもんか』
彼は、強くパソコンのキーボードが置かれてある机に思いっきり拳で叩いた。
『いじめっこのアイツらなんてどうでもいい!! 過去のことなんざ、どうだっていい!! 俺は、今の俺は、誰かに生きたいって思わせる作家になってやる!!』
潔一の固い決意の言葉が放たれ、私は彼の方を見る。
「……素敵な決意ね」
「あはは、ちょっとこういう記憶まで見せるのは、正直言って恥ずかしいけどね」
潔一は気恥ずかしそうに頬を指で軽く掻いた。
「大人になってからか、いくぶんか穏やかなものに変わっていったよ。作家にもなれたし、仕事関連の仲間とか、SNSにアカウント作って、色々とファンとの交流とか……楽しいことが、たくさん増えた」
「……そう」
前世の私は、彼は、とても大変な人生を味わったようだけど、私とは違うんだなと、少し胸にこみあげてくる冷たい温度に手を軽く置く。
映像はさっきの彼の決意を境に彼の表情が変わっていった。
酒を飲んで友人か誰かと一緒に楽しむ彼は、誰かと真面目に会議を行う彼は、とても楽しそうに見えた。
……順調だった、人生だったと思っていた時だった。
彼の最期のと思われる映像が頭の中に流れ込んできた。
『あー、今日もタマちゃんのご飯買いに行かなきゃだわぁ』
彼はだるそうにしながらも、夜の道沿いを歩いている。
鼻歌を口ずさむ程度には彼の人生が潤ったのかと思えて少しほっとする。
彼が道の通路で、長い首をしたバケモノが緑の目から赤い目になるのを見て、道の真ん中で立っている少女を見た彼は、慌てて駆け出した。
『危ない!!』
少女を押し出し鉄の竜の頭と思われるものが、彼に突っ込んでくる瞬間だった。
眩い光が私の視界にいっぱいに占めた。
「……これが、貴方の人生?」
「ああ、そうだよ」
「……辛く、なかったの?」
「辛かった、でも楽しいこともあったから、俺は生きてこれたんだと思う。だから、君にも、幸せで生きてほしいとは、思ってる」
「……無理よ、私には、そんなこと」
私は彼の人生を見て、彼のような生き方なんて到底できないだろう。
いや、むしろ彼よりも先に死んでしまうのは、もはや確定している。
「……今の私は、貴方たちを思い出して私じゃなくなる。そんなことくらい気づいているわ」
「……わかってるんだな」
気が付けば視界は白から黒へと移り変わった。
海に沈む感覚で、私の思考はそこでゆっくりと落ちていく。
ゆっくりと私が私で亡くなっていく感覚を覚えながら、私は、黒居詐夜子は、新たな私へと作り替えられていくのであった。
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