第3話:試験本番と破滅


 アブーラたちとの大口おおぐち契約を――ギルドの財政基盤を一瞬にして失ったデズモンドは、幽鬼ゆうきのような足取りで歩き出す。


「て、テイラーさん、どこへ行かれるのですか?」


「……帰る」


 ポツリと一言。


「か、帰るって……この後の仕事は、どうするのですか!? 大至急、中期成長計画の見直しをしなくては――」


「今日は……もう、疲れたんだ……。後のことは、委細いさい任せる……」


「デズモンドさん……!」


 心神喪失状態のデズモンドは、呼び止める職員の声を無視し、覚束ない足取りで帰宅した。


「「「――おかえりなさいませ」」」


 メイドたちの統率の取れた出迎えに対し、


「………あぁ」


 一言だけ、力なく返事。


「今日はとても疲れている。誰も部屋に入れるな」


 メイド長にそれだけ言い付け、デズモンドは私室にこもった。

 仕立てのよいスーツを纏った彼は、皺になることもいとわず、そのままベッドにバタリと倒れ込む。


「………く、そ。くそくそくそくそ……っ。あの卑しい農民生まれめ……! いったいどんな汚い手を使って、アブーラたちをたらし込んだのだ……! くそ、くそ、くそがぁああああ……!」


 まるでせきを切ったダムのように、なく溢れ出す怨嗟えんさの言葉。

 その醜い叫びに紛れて、部屋の黒電話がジリリリリと鳴り響く。


「うるさい!」


 デズモンドは枕元の照明器具を投げ付け、黒電話を黙らせた。


「はぁはぁ……っ。何故だ。どうしてこんなことになってしまったのだ……ッ」


 絶望のどん底に沈み、頭を乱暴に掻きむしる。


 そんなとき、コンコンコンと部屋の扉がノックされた。


「……なんだ?」


「旦那様、ラーゲン様より緊急の連絡が入っております」


 扉の奥から聞こえてきたのは、メイド長の平坦な声。


「……ラーゲン殿から?」


 連絡の主は、ラーゲン・ツェフツェフ。


 デズモンドが持つ、中央政府との大切な『パイプ』だ。


「……ちっ」


 相手が相手ゆえ、無視を決め込むわけにはいかない。


 仕方なくベッドから這い上がり、扉をガチャリと開けた。


「こちらをどうぞ」


「あぁ」


 メイド長から電話の子機を受け取り、ゴホンと一つ咳払い。


「はい、お電話代わりました。デズモンドで――」


「――デズモンド、お前いったい何をやらかしたのだ!?」


 開口一番、受話器から飛び出してきたのは、鼓膜を震わせる怒鳴り声。

 尋常ならざる事態であることは、瞬時にわかった。


「ど、どういう意味でしょうか……?」


「たった今、冒険者ギルドの上層部からお達しがあった! 貴族の庭園をB級ギルドに昇格させるという話、あれが全て立ち消えになってしまったぞ!」


「そん、な……っ」


 アブーラたちの怒りを買った時点で、いずれこうなるであろうことは予期していた。

 しかしまさかそれが、今日の今日に来るとは、夢にも思っていなかったのだ。


「アルト・レイス……あの薄汚いドブネズミめ……! この私が一年も面倒を見てやったというのに、恩を仇で返しおって……!」


 デズモンドの怒りの矛先は、アルトただ一人に向けられた。

 アブーラ・シャルティ・バロックといった格上には逆らわず、自分より下の立場の者にのみ牙をく。

 これがデズモンド・テイラーという男なのだ。


「アルト・レイス……? その名前、確かどこかで……?」


「うちで飼っていた農民生まれです……っ!」


「農民生まれ……あぁ、あの少年のことか。そう言えば今日、本部で冒険者登録の受験手続をしていたような……?」


「なっ!? ラーゲン殿、その者を絶対に冒険者にしてはなりません! アルトは強き者にびへつらい、その懐に滑り込む天才! あんな寄生虫を野放しにしては、ギルドの本部が内側から食い荒らされ、ダンジョン攻略どころではなくなってしまいます!」


「……お前がそこまで言うほど危険な男か……わかった。そのアルト・レイスとやらが受験する日には、私の息が掛かった試験官をあてがい、不合格にしておくとしよう」


「あ、ありがとうございます……!」


 それからラーゲンと二言三言を交わした後、電話を切ったデズモンドは、邪悪な笑みを浮かべる。


「ふ、はは……ふはははは……っ! 残念だったなぁ、アルト! 『人を呪わば穴二つ』! 私の輝かしい未来を潰したことを、一生後悔させてくれるわ……! ふぅはははははははは……!」


 人を呪わば穴二つ。

 まさかこの言葉が、自分の元へ降りかかってくることになるとは……このときのデズモンドはまだ、知るよしもなかった。



 受験手続から三日が経過し、今日はいよいよ、冒険者登録試験の本番だ。


「……よし、いい感じだ」


 昨日はいつもより早く床に就き、しっかりと睡眠を取ったから、体調は完璧。

 これなら本番でも、全力を出し切れるだろう。


「それじゃ母さん、行ってくる!」


「あぁ、気を付けるんだよ!」


 自宅の前に召喚しておいたワイバーンに乗り、


「おはよう。王都までお願いしてもいいかな?」


「ギャルル!」


 一気に王都まで飛んでいく。


「――あっ、アルトー! こっちこっち!」


 前回同様、ステラとの待ち合わせ場所は、ふくろう公園の中央部にある時計塔広場だ。


「ごめん、ステラ。待たせちゃった?」


「ううん、私も今来たばかりよ」


「そっか、それはよかった」


 無事に合流できたところで、試験会場である冒険者ギルドの本部へ向かう。


「ステラ、今日はありがとうな」


「えっと、何が……?」


「ほら、わざわざ付いて来てくれたことだよ」


 今日は俺が試験を受ける日。

 本来、ステラまで一緒に来る必要はなかったのだけれど……。

 優しい彼女は、「応援に行くわ!」と言って、本部まで付いて来てくれたのだ。


「もう、そんなこと気にしないでよ。私とアルトの仲でしょ?」


 ステラはピンと人差し指を立て、柔らかく微笑む。


 ちなみに……本部で待ち合わせをせず、こうして一度別の場所に集まるのには、ちょっとした理由があった。


 ステラは歴代最速で、『B級』に駆け上がった天才冒険者。

 彼女がソロであることは有名な話であり、本部の中でボーッとしていると、他の冒険者からパーティに誘われてしまうらしい。

 有名になったら、いろいろと大変なことがあるようだ。


 その後、王都の道を右へ左へと進み、冒険者ギルドの本部に到着。

 奥の受付で受験票を渡すと、すぐに会場へ案内された。


「アルトなら絶対に大丈夫! 頑張ってね!」


「あぁ、ありがとう」


 ステラの心強い応援を背中に感じながら、本部二階の試験会場へ向かう。


 会場の扉を開けるとそこには――屈強な『冒険者見習い』たちが、ズラリと立ち並んでいた。


(う、うわぁ……。みんな強そうだなぁ……っ)


 冒険者学院を卒業した後、ほぼ全ての卒業生は、どこかのギルドに所属して冒険者見習いとなる。

 そこで先輩冒険者の指導を受けながら、少しずつ実戦経験を積んでいき、確かな実力が付いたところで試験を受けるのだ。


 ステラ・レックス・ルーンみたく、卒業してすぐに試験を受けて、そのまま一発合格なんてのは、全体から見ればごく一握りの存在である。


(ふぅー……っ。落ち着け、こういうときは、手のひらに『野菜』と書いて食べるんだ)


 俺は目立たないよう会場の隅へ移動し、母さんに教えてもらったリラックス法を実践する。


 緊張が渦巻く中、待つことおよそ五分。


 奥の扉がガチャリと開かれ、試験委員の腕章わんしょうを巻いた女性が入ってきた。

 彼女は正面の雛壇ひなだんに上がり、コホンと小さく咳払い。


「それではこれより、冒険者登録試験を始めたいと思います。その前に一点だけ、連絡事項がございます。――受験番号810番アルト・レイスさんは、この中にいらっしゃいますでしょうか?」


「あっ、はい。自分です」


「アルトさんは、別室での受験になるそうです。本部地下一階にある『演習場』へ移動してください」


「……? わかりました」


 何故俺だけ別室受験なのかわからないけれど、とりあえず言われた通りに地下の演習場へ移動。


 するとそこには、一人の男性が立っていた。


「――君がアルト・レイスか?」


「は、はい」


「私は『宮廷召喚士』のヘムロス・ルクスス。本日、君の試験を担当する者だ」


 ヘムロス・ルクスス。


 男性にしては長めの緑髪りょくはつ

 身長は175センチほど。年齢はおそらく三十手前ぐらいだろう。

 真っ黒なサングラス・手足に巻いた独特なベルト・ところどころ破けたスーツ、ちょっと奇抜な格好をした人だ。


「ふむ……。(アルト・レイス、ラーゲン殿が言うには『危険分子』だそうだが……。この子は――駄目・・だな。一目見ただけで、はっきりとわかる。召喚士としての才能がまるでない。こんな弱々しい魔力では、通常の試験でも間違いなく『アウト』だろう。はぁ……わざわざこの私が出向き、不合格を突き付ける必要はなかったな)」


 ヘムロスさんはジッとこちらを見つめた後、小さなため息をこぼした。


「えっと……?」


「いや失礼。さっ、それでは早速、試験を始めようか」


「その前に一つ、よろしいでしょうか?」


「なんだ?」


「どうして俺だけ、別室での受験なんでしょうか?」


「それ、は……だな……。先日アルトが提出した受験願書。そこの役職欄に『召喚士』と記載されていたからだ。召喚士には専用の試験が用意されており、別室で受験してもらう決まりとなっている。そして今回はたまたま、召喚士の受験生が君だけだったのだ(本当はラーゲン殿の指示なのだが……。まぁ適当な作り話で誤魔化しておくとしよう)」


「なるほど、そういうことだったんですね」


 召喚士は後方支援職ということもあり、最前線で活躍する華やかな剣士や魔術師なんかと比べて、あまり人気がない。

 今回の受験生の中で、召喚士が俺一人だったとしても、別におかしな話じゃないだろう。


「さて、疑問も解消されたところで、試験を始めようか」


「お願いします」


「よし。今回の試験では、召喚魔術の『質』と『量』をテストする。この二つをクリアすれば、その場で合格にしてやってもいいぞ」


「本当ですか!?」


「あぁ、男に二言はない」


 ヘムロスさんは鷹揚おうように頷き、パンと手を打ち鳴らした。


「それではまず、『量』の試験から実施しよう。手順は簡単だ。消費魔力の少ない低級の召喚獣を呼び出し、そこに増殖術式を付与。その後は魔力の続く限り、呼び出した召喚獣を増やし続ける。――さぁ、やってみろ」


「はい!」


 俺は手持ちの召喚獣の中で、最も消費魔力の少ないスライムを選び、そこへ増殖術式を加える。


「――増殖召喚・スライム」


 一匹の青いスライムが飛び出し、


「「ぴゃぁ!」」


 すぐさま二匹に分裂、


「「「「ぴゃぁああああ!」」」」


 さらに四匹に分裂。


 その数は、爆発的な速度で増えていく。


「ほぅ、百を越えたか……せ、千……? なっ、こ、これは……ッ!?」


 俺の召喚したスライムは、瞬く間に数千・数万と増殖し、あっという間に『億』を超えた。


「す、ストップ……! 十分、もう十分だ……ッ!」


「あっ、はい。わかりました」


 魔力の放出を止め、増殖術式を解除。

 演習場を埋め尽くさんとしていたスライムは、一瞬にして消え去った。


「はぁはぁ……っ」


 ポジション取りが悪く、スライムの軍勢に呑まれ掛けていたヘムロスさんは、四つん這いになって荒々しい息を吐く。


「あの……大丈夫ですか?」


「あ、あぁ……問題ない。ときにアルト、あのまま増殖術式を解かなかった場合、最大でどれぐらいまで増やせるのだ?」


「そう、ですね……。多分、『兆』を超えて『けい』、いや『がい』ぐらいまでなら、全然問題ないと思います」


「な、なるほど……(ば、馬鹿な……っ。そんな規模の増殖召喚、聞いたこともないぞ!? ……だがしかし、この目で数億匹のスライムを見たのは紛れもない事実。それに、アルトが嘘をついているようにも見えない……。この少年、いったい何者なのだ!?)」


 突然押し黙ってしまったヘムロスさん。


 自分の口からはちょっと聞きにくいけれど、さっきの『結果』を聞いてみることにした。


「ところでその、『量』のテストの結果は、どうだったんでしょうか……?」


「……んま、まぁまぁというところだな……! 私が君ぐらいの頃は、もっとたくさん召喚できたんだが……。『最低ライン』は突破している、と言ってやってもいいだろう」


「やった! ありがとうございます!」


 よかった。

 これでひとまず『量』の課題はクリアだ。


「ふぅー……では次に召喚魔術の『質』を見ていこうか。(アルト・レイス、思っていたよりも遥かにできるな。依然として魔力は、弱々しいところを見るに……。おそらくは『魔力コントロール』に長けた術師なのだろう。ならばどうするか……答えは簡単! 消費魔力の高い召喚獣を呼び出させればいい! そうすれば、簡単にボロを出すだろう!)」


 ヘムロスさんはパチンと指を鳴らし、頭上をビシッと指さした。


「優れた召喚士であるならば、多種多様な召喚獣を操れなければならない。例えば、遥か上空より敵勢力を監視するワイバーン!」


「おいで、ワイバーン」


「「「ギャルルルルー!」」」


 せっかくなので、三匹ほど呼んでみた。


「も、モンスターは水中に潜んでいるかもしれないぞ? そういう場合には、強力な水の精霊が必要だ!」


「おいで、ウンディーネ」


「ヒュォルォ……!」


 天より清らかなしずくが落ち、水の精霊ウンディーネが顕現けんげんした。


「だ、ダンジョンには、灼熱のマグマ地帯がよく見られる! 巨大な岩窟人形は必要不可欠だ!」


「おいで、ゴーレム」


「ウ゛ゴゴゴゴゴ……!」


 足元の大地を引き裂き、岩窟人形ゴーレムが現れた。


「~~ッ(召喚契約の難しいワイバーンが三匹、四大精霊の一つであるウンディーネ、魔力効率の悪いゴーレムの同時召喚。そのうえ全て無詠唱だと!?)」


「あの……どうでしょうか?」


「ふ、ふむ……。まぁ、アレだ……悪くはないな」


「『質』と『量』のテストをクリアしたということは、つまり……!」


 期待に胸を膨らませながら、問い掛けてみたのだが……。


「…………」


 彼は長い長い沈黙の後、


「そ、それでは『最終試験』を始めよう……!」


 上擦うわずった声で、とんでもないことを口にした。


「え……? 最終試験、ですか……?」


「あぁ、そうだ! 冒険者になりたければ、この私を――宮廷魔法士ヘムロス・ルクススを倒してからにするのだな!」


「『質』と『量』のテストさえクリアすれば合格だという話は……?」


「そんなのは知らん」


「さっき言っていた、『男に二言はない』というのは……?」


「それも知らん」


「……そうですか、わかりました」


 正直、全然釈然しゃくぜんとしないのだが……。

 試験官であるヘムロスさんが、かたくなに『最終試験』だと言い張っているので、仕方なく受け入れることにした。


(少々腹立たしいが……もはや認めざるを得ん。ここにいるアルト・レイスという少年は、天才的な召喚士だ。単純な召喚技術においては、宮廷魔法士である私をも遥かに上回る。だがしかし……! 今の私にはラーゲン殿より賜った、あの『秘宝』がある……!)


 彼は懐から、妖しい光を放つ結晶を取り出した。


(あれは……封魔ふうま結晶けっしょうか)


 封魔結晶。

 任意の魔術を封じ、それを好きなタイミングで解放できるという、とても貴重な魔具だ。

 しかも、結晶の色は『赤』。

 相当高位の魔術が込められていると見て、間違いないだろう。


「それではこれより、最終試験を開始する! さぁ刮目かつもくせよ! 我が『究極の召喚獣』を……!」


 封魔結晶が赤黒い光を放ち、莫大な魔力が吹き荒れ――煉獄れんごくまとった隻腕せきわんの剣士が召喚された。


「こ、これは……!?」


「ふはははは、驚いたか! 下下かか炎獄えんごくべる炎鬼オルグの忠臣、ロクティス! かつて大天使ミカエリスを打ち破ったという伝説の剣士だ!」


 確かにロクティスは、とても強力な召喚獣なのだが……。

 一つだけ、致命的な弱点がある。


「おいで、オルグ」


 俺の呼び掛けに応じて、下下かか炎獄えんごくを統べる炎鬼オルグが降臨。


「……は!?」


 ヘムロスさんがあんぐり口を開けると同時、ロクティスはすぐさま膝を突き、深くこうべを垂れた。


「オルグ様。常世とこよでお会いできましたこと、恐悦きょうえつ至極しごくにございます」


「ホゥ、コレハ珍シイコトモアルモノダナ。――ドレ、一戦交エルカ?」


「滅相もございませぬ。どうして主に刃を向けることができましょうか」


 ロクティスは慇懃いんぎんに首を横へ振った後、ヘムロスさんの方へ視線を向けた。


「――名も知らぬ召喚士よ。申し訳ないが、此度こたびの召喚は破棄させてもらおう」


 彼はそれだけ言い残し、霧のように消えてしまう。


「……」


「……」


 なんとも言えない沈黙。


「……最終試験、どうしますか?」


「――スゥー…………アルト・レイス、合格!」


「ありがとうございます!」


「うむ、素晴らしい召喚魔術だったぞ。これから先も、精進するといい(……ラーゲン殿。申し訳ないが、私ではこの化物の進撃を止められませんでした……)」


「はい!」


 こうして無事に冒険者登録試験に合格した俺は、『D級冒険者アルト・レイス』としての人生をスタートさせるのだった。



 アブーラ・シャルティ・バロックから絶縁宣言を受けた日から一夜明け、なんとか気力を取り戻したデズモンド。

 彼はほとんど丸一日掛けて、中期成長計画の見直しを図り、午後六時を回った頃、ようやく一段落することできた。


「ふぅー……」


 束の間の休息。

 眠気覚ましのコーヒーをすすり、部下の運んできてくれた夕刊を広げ――言葉を失う。


「な、ななな……なんだこれ・・は!?」


『あの宮廷召喚士ヘムロス・ルクススが絶賛! 期待の新人冒険者アルト・レイス!』


 デズモンドは泡を吹きながら、ヘムロスとインタビュアーの対談記事に目を通す。


ヘムロス「なんというか……一目見てピンときましたね。この少年には、途轍とてつもない才能がある、と。えぇ、はい。私にはすぐにわかりました。なんというか、そう……優れた召喚士同士、惹かれ合うものがあったんですよ。ん……? ははは、違いますよ。『試験を実施した』というよりは、『稽古を付けてやった』という感じですね。召喚士としての心得や術式、そういったものを丁寧に教えてあげました。もはや彼は、私が育てたと言っても過言ではないでしょう」


 その内容はかなり一方的かついびつなもので、真実からは程遠いのだが……。

 デズモンドにとって、問題はそこではない。


「何故、だ……っ。何故アルトが、試験に合格しているのだ……!? ラーゲンの奴め、しくじりおったのか!?」


 怒りのままに受話器を取り、ダイヤルを回す手を――ピタリと止めた。


(お、落ち着け……。ギルドの一般回線を使っては、私とラーゲンの繋がりがバレてしまう……っ。ひとまず今は急いで帰り、自室の秘匿回線を使って、連絡を取るとしよう……!)


 なんとか冷静さを取り戻した彼は、大急ぎで自宅へ向かい、すぐにラーゲンへ電話を掛けたのだが……。


「くそっ、何故出ない……!」


 どれだけコールを鳴らしても、繋がることはなかった。


 その後、苛立ちに満ちた長い夜を乗り越え――デズモンドはさらなる衝撃を受けることとなる。


「なん、だと……!?」


 メイド長より手渡された朝刊。

 そのヘッドラインを飾っていたのは、衝撃的な大事件だ。


『中央政府の高官ラーゲン・ツェフツェフ氏、緊急逮捕!』


「あのラーゲンが……何故……!?」


 目を白黒とさせながら、記事に目を落とす。


『ラーゲン・ツェフツェフ氏の所有する口座に、不正な金銭の授受が見つかった。当局が調べた結果、一部の冒険者ギルドから、多額の献金を受けていたことが判明。これは冒険者ギルド法第七条三項に違反するものであり、此度こたびの緊急逮捕に至った。当局は現在、余罪を追及すると共に、献金を行ったギルドを洗い出している。なお、今回の緊急逮捕の裏には、大富豪アブーラ・ウルド氏からの情報提供があったとされている』


「ま、マズい……っ」


 デズモンドの顔から、サッと血の気が引いていく。

 今からおよそ十年前――貴族の庭園がまだ『D級ギルド』だった頃、デズモンドはラーゲンに多額の現金を支払い、『C級ギルド』に昇格させてもらったことがあったのだ。


(こ、このままでは、私まで捕まってしまうではないか……ッ)


 視界が明滅し、平衡感覚が失われていく。


「く、そ……こうなったのも……全てアルトのせいだ! どうせ今回の件もまた、あいつが裏で糸を引いているに違いない……っ。何故だ。何故なんだ。どうしてただの農民風情が、ここまでの権力を持っているんだ……ッ」


 実際のところ、アルトはまったく何もしていないのだが……。

 そんなことは、デズモンドが知るよしもなかった。


「とにかく、何か手を打たなければ……。このままでは、貴族の庭園が……いや、我がテイラー家が滅びてしまう……っ」


 必死に解決策を模索していく中――脳裏をよぎったのは、アブーラ・シャルティ・バロックが去り際に残した『あの言葉』。


「アルト殿がいない貴族の庭園このギルドに、いったいなんの価値があるというのだ……?」


「アルト先生に誠心誠意の謝罪をし、その許しを得た場合にのみ、再考してあげてもよいでしょう」


「まずはアルトさんに詫びを入れろ。話はそれからだ」


 この苦境から唯一逃れる手段。

 それは――アルトに謝罪し、彼の許しを得ることだ。


「ぐっ、がっ……」


 だが、デズモンドにとってそれは、死よりも苦しい選択である。

 選ばれた高貴な血統『貴族』である自分が、卑しい農民生まれに頭を下げることなど、決して許されないのだ。


「しかし、このままでは……っ」


 このままでは、テイラー家の破滅は不可避。

 もしもそんなことになれば、自分は貴族ですらなくなってしまう。


「う、ぐっ、ぉ、ぉおおおおおおおお……!」


 デズモンドは断腸だんちょうの思いで筆を取り、鬼の形相で手紙をしたためるのだった。



 冒険者登録試験に合格した俺は、すぐにステラと母さんに報告。

 二人はまるで自分のことのように喜び、その晩はちょっとしたパーティが開かれ、とても楽しい時間を過ごした。


 翌朝。


「アルトー。あなた宛てに手紙が届いているわよー?」


 玄関口の方から、母さんの声が聞こえた。


「うん、わかった」


 手紙か、誰からだろう?

 机に置かれた封筒を手に取り、裏面りめんの差出人欄を見て、思わず息を呑んだ。


「……っ」


 そこにはなんと、『貴族の庭園・デズモンド・テイラー』と記されていた。


(デズモンドが、なんで……!?)


 恐る恐る封を開け、その中身に目を通していく。


 親愛なるアルトへ


 とても大事な話がある。

 大至急、貴族の庭園まで来てほしい。


 デズモンド・テイラーより


「……『親愛なるアルトへ』って……」


 あれだけ散々酷い扱いをしてきた挙句、最悪のタイミングでクビにしておいて、よくもまぁこんなことが書けたものだ。


 だけど……。


(貴族の庭園には、ちょこちょこと荷物を置いてきてしまっているんだよな……)


 クビを突き付けられたあのとき、あまりにも悔しくて悔しくて、荷物も持たずに飛び出してきてしまったのだ。

 ギルドから支給された制服も、まだ返せていない。


(デズモンドの『大事な話』は、この際どうでもいいとして……)


 荷物の回収と制服の返却だけは、ちゃんとしておかなければならない。


(とりあえず、行くだけ行ってすぐに帰るか……)


 その後、手早く朝支度を済ませた俺は、かつての職場に向かうのだった。



 数日ぶりに貴族の庭園に到着。

 裏口に設置されたギルド職員専用の扉をコンコンコンとノック。

 いつもなら、警備員の方が鍵を開けてくれるのだが……。


「アルトか!?」


 いったいどういうわけか、何やらげっそりとしたデズモンドが、勢いよく飛び出してきた。


「で、デズモンド、さん……?」


「おぉ、アルト……! よく来てくれた、本当によく来てくれた! おっと、こんなところで立ち話もなんだな。ささっ、どうぞ中に入ってくれ!」


「は、はぁ……」


 予想外の対応に戸惑とまどっていると、なかば無理矢理、応接室へ通された。


「さぁ、掛けてくれ!」


「……失礼します」


 来客用のソファに腰を下ろすと、デズモンドは慣れない手つきで、温かいお茶と白いお餅を出してきた。


「あの、これは……?」


京福亭きょうふくていのいちご大福だ。わざわざここまで足を運んでもらったのに、おちゃけの一つも出さぬというわけにはいかんだろう? さぁさぁ遠慮は無用! 好きなだけ食べてくれ! なんならおかわりもたくさんあるぞ?」


「……」


 お洒落な小皿にちょこんと載せられた、とても美味しそうないちご大福。


 俺はそれをジッと見つめた後、デズモンドに質問を投げ掛ける。


「確かこういうお茶菓子って、俺だけは・・・・食べちゃ・・・・駄目なもの・・・・・でしたよね……? それをこんな風に出してくるなんて、いったいどんな心境の変化があったんですか?」


「うぐっ!? そ、それはだな……ッ」


 デズモンドは視線を右へ左へと泳がせ、しどろもどろになった。


 今からおよそ一年前。

 俺を含めた新人ギルド職員三人が、この貴族の庭園へ配属されたとき、ささやかな歓迎会が開かれた。

 おいしそうな・・・・・・お茶菓子が配られ、楽しそうな・・・・・レクリエーションが企画されたその会で、酷いパワハラが始まった。


「おいおい誰だ? こんな上等な茶菓子を、こんな薄汚い農民に出したのは? ――取り上げろ。農民の口にはもったいない!」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたデズモンドはそう言って、俺の机から茶菓子の類を全て取り上げたうえ、レクリエーションに参加することも禁じた。


 貴族の庭園は、デズモンド・テイラーの『城』だ。

 ここにいるギルド職員で、彼の決定に逆らえる者はいない。

 結局その日、他の職員たちが楽しそうにしている様子を、俺は一人だけ蚊帳かやの外から見続けた。


「……俺が今日ここへ来たのは、あなたとお話しをするためじゃありません。自分の机に置いてきた荷物を持って帰るのと、こちらの制服をお返しするためです」


 手提げ袋に入れた制服を取り出し、ソファの上にポンと置く。

 これで後は、自分の荷物を回収して帰るだけだ。


「それでは失礼します」


 小さくペコリと頭を下げて、職員の執務室へ向かおうとしたそのとき――デズモンドが、がっしりと肩を掴んできた。


「……なんでしょうか?」


「ま、待ってくれ……! 少しだけでいいから、私の話を聞いてほしいんだ……!」


「すみませんが、失礼します」


 どうせこの人のことだ。

 ろくな話じゃないだろう。


「む、ぐ……っ」


 デズモンドは苦虫を噛み潰したような顔をした後、


「す……す……す……っ」


「『す』?」


「すまなかった。私が悪かった。この通りだ、どうか許してくれ」


 額を床に付け、謝罪の弁を述べてきた。


「い、いったい何を――」


「――アルトさえよければ、貴族の庭園うちに戻ってきてほしい。もう一度、私と一緒に働いてくれないか!?」


「……は?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


 俺に酷いパワハラをした挙句、このギルドから追いやったのは、他でもない――デズモンドだ。

 それが何故今になって、こんなことを言い出すのだろうか。


「お前がいなくなってから、全てがおかしくなってしまったのだ……っ。率直に言って、ギルドの経営が立ちいかなくなってしまった。頼む、アルト……もう一度だけ、お前の力を貸してほしい……!」


「……お気持ちはとても嬉しいです」


「で、では……!」


「ですが、俺はもう冒険者として生きていくことを決めました。ここに戻ることは絶対に・・・ありません・・・・・


 人として最低限の礼儀を払いつつ、明確な拒絶を告げる。


 明日からは、いよいよステラと一緒に『ダンジョン攻略』へ乗り出すのだ。

 冒険者ギルドの職員に――ましてや貴族の庭園に戻るつもりはない。


 ここはもう『過去』なのだ。

 俺はこれから『未来』へ進んで行く。


「ぐっ……。冒険者の道を進むという、アルトの気持ちはわかった。ならばせめて、『召喚獣の貸し出しサービス』だけでも続けてもらえないか!? もちろん、それ相応の対価は払うつもりだ……!(こいつの召喚獣さえあれば、アブーラたちを繋ぎ止めることができるはず……!)」


「すみませんが、お断りさせていただきます」


「な、何故だ!? 召喚獣なぞ、別に減るものじゃないだろう!?」


「デズモンドさんはご存じないかもしれませんが、召喚獣をこの世に呼び留める――すなわち『現界げんかい』させ続けるのには、それなりに魔力が必要なんです」


 俺はこの先、強力なモンスターのひしめくダンジョンに挑む。

 万が一の事態に備えて、魔力は常にフルの状態でいたい。


「そ、それならば、週に一度の『召喚魔術の入門講座』だけでも、お願いできないか……!?(シャルティは重度の親馬鹿で、奴の息子はアルトのことをとてもよく慕っている。アルトが講座を開けば、シャルティの息子が釣れる。息子が釣れれば、親も釣れる……!)」


「申し訳ありませんが、そちらもお断りさせていただきます」


「どうしてだ!? 金ならいくらでも払うぞ!?」


「お金の問題ではありません」


 一度ダンジョンに潜れば、数週間帰って来られないことなんてザラにある。

 もちろんそれは、受注したクエストの難易度にもよるのだが……。

 毎週講座を開くのは、とてもじゃないけど無理だ。


「あ、アルトぉ……っ。それならばせめて、せめて『上』に口利きをしてくれないか……? 後生だ。この通り……ッ」


 デズモンドは半べそをきながら、俺の足にすがり付き、必死に頼み込んできた。


「『上』……? いったいなんのことを言っているんですか? というかデズモンドさん、今日は本当にどうしたんですか?」


 俺が小首を傾げた直後、


「……こ、の、クソガキめ! こちらが下手に出てやったら、どこまでも付け上がりおって……!」


 彼は勢いよく立ち上がり、ようやく『いつもの顔』を見せた。


「アルトをクビにした次の日、アブーラたちが息を巻いて、貴族の庭園うちへやってきた。お前をクビにしたことが、よほど気に入らなかったらしく、その場で冒険者契約を打ち切ってきやがったのだ! これでB級ギルドへ昇格する夢も、テイラー家の大発展も、全て水の泡……! どうだ? 嬉しいか? 楽しいか? あぁ、さぞやいい気分だろうなぁ! アブーラたちをきつけて、ムカつく上司の人生を台無しにしてやったんだ! そりゃぁ、最高にいい気分だろう!」


「何か妙な誤解をされているようですが……。俺はアブーラさんたちを炊きつけたりしていません。というかそもそも、それって完全な逆恨みじゃないですか……」


「うるさい! 細かいことなど、もはやどうだっていいのだ! ……お前のような卑しい農民が、よくも貴族である私の輝かしい未来をぶち壊してくれたな……ッ」


 瞳に仄暗ほのぐらい炎を燃やしたデズモンドは、応接室の机から鋭いナイフを取り出し、その切っ先をこちらへ向けた。


「……本気ですか? 俺はこれでも一応、『D級冒険者』ですよ?」


「はっ。一丁前にもう冒険者気取りか? D級冒険者なぞ、素人に毛が生えた程度のものだろう……!」


 緊迫した空気が流れる中、


「で、デズモンドさん……? 少し、よろしいでしょうか?」


 デズモンドの腹心であるハーグ男爵が、恐る恐ると言った風に入室してきた。


「ハーグ男爵、許可なく入ってくるな、と……~~っ!?」


 次の瞬間、応接室の扉が荒々しく開け放たれ、黒服の捜査官がズカズカと踏み入ってきた。

 黒服の集団を率いる女性は、品のある所作で中折れ帽子を取り、ペコリと頭を下げる。


「はじめまして、私は魔術協会捜査一課のレミロス・クレデターと申します。貴方が貴族の庭園のギルド長デズモンド・テイラー氏ですね?」


「え、えぇ、自分がデズモンド・テイラーですが……。そんな大所帯を引き連れて、いったいどうされましたかな?」


「こちらのギルドで不審なお金の動きが見つかったため、ちょっと署までご同行をと思ったのですが……。その前にそれ・・、どうしたんですか?」


 レミロスさんが指さしたのは、デズモンドが握り締めたナイフだ。


「あっ、いや、これは……なんというか、そう……! 今度ギルド内で実施する、演劇の練習をしていたんですよ!」


 デズモンドは手に持ったナイフを慌てて背に隠し、苦し紛れの言い訳を並べた。


 しかし、彼が絶対的な権力を誇り、全てを意のままにできるのは、貴族の庭園の中での話。


 外部の――それも魔術協会の人間に対しては、なんの力も持たない。


「――連れていけ」


「「「はっ!」」」


 レミロスさんの命令を受けた屈強な捜査官たちは、デズモンドを素早く抑え込み、有無を言わさず連行していった。


 シンと静まり返った応接室。


「ところで君……とても『いい魔力』をしているね。もしよかったら、魔術協会うちに来ないかい?」


 レミロスさんは柔和な微笑みを浮かべながら、奇妙な提案を振ってきた。


「いえ、自分は冒険者ですから」


「そっか、それは残念。もしも気が変わったら、いつでも声を掛けてよ。君の」


 彼女はそう言って、大勢の捜査官を引き連れて撤収。


 俺は自分の荷物を手早く回収し、自分の家に帰った。


 これは後で聞いた話なんだけど……。


 デズモンド・テイラーは公務員職権濫用らんよう贈賄ぞうわい供賄きょうわいなどの複数の罪で逮捕され、懲役ちょうえき三十年の実刑判決が下り――子爵の地位は剥奪はくだつ、C級冒険者ギルド貴族の庭園は解体処分になったそうだ。

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