第2話:冒険者登録とギルド長の絶望


「――おーい。レックス、大丈夫か?」


「起きろ、レックス。もうアルトの瞳術は解けたぞ?」


「レックスさん、しっかりしてください」


 俺・ステラ・ルーンの三人は、昏睡状態のレックスに声を掛ける。


「ん、ぁ……」


 ゆっくりと目を覚ました彼は、寝ぼけまなこのまま上体を起こし、キョロキョロと周囲を見回す。


「……あり? もしかして俺……負けた?」


 瞳術・無限むげん縛鎖ばくさを受けたことで、戦闘前後の記憶が少し曖昧になっているようだ。


「えぇ、完敗だったわよ」


「ほとんど手も足も出ませんでしたねー」


 ステラとルーンの容赦ないコメントを受け、レックスは仰向けにバタリと倒れる。


「これで0勝187敗……。あーくそ、やっぱ無茶苦茶強ぇな……っ」


 満点の星空を見上げながら、彼は心底悔しそうに呟いた。


「しかし、あのレックスをここまで圧倒するなんて……さすがはアルトね」


「アルトさん、本当に一年ぶりの戦闘なんですか? なんだか昔よりも、速くなっていたような気がするんですけれど……」


「一応、最低限のトレーニングは、週末にこなしていたからな。きっとそのお陰だ」


 そんなこんなを話しながら、しばらく歩き続け――王都に到着。


「アルト、わざわざ送ってくれてありがとうね。おやすみなさい」


「んじゃな、アルト! これからは同じ冒険者、またどっかで会おうぜ!」


「アルトさん、おやすみなさい」


 みんなと別れた後、


「さて、と……俺も帰るか。――おいで、ワイバーン」


『鳥』の印を結び、ワイバーンを召喚する。


「ギャルルルルー!」


「おぉ、よしよし。こんな時間に悪いんだけど、俺の家まで乗せて行ってくれないか?」


「ギャル!」


 俺はワイバーンの背中に乗って空を飛び、母さんの待つ家に帰るのだった。



 翌日――俺は再び、王都へ足を運んでいた。


「っと、ここだな」


 ふくろう公園の中央部、時計塔広場に到着。

 ステラ曰く、この場所は待ち合わせの定番スポットらしい。


「よっこいしょっと」


 近くのベンチに腰掛け、背後の時計塔を見上げる。

 時刻は朝の九時三十分。

 約束の十時までは、まだけっこう余裕がある。


(んーっ。それにしても、今日はいい天気だなぁ……)


 気持ちよく日向ぼっこをしながら、ほのぼのと待つこと十五分。


「あ、アルトー!」


 遠くの方から、ステラの声が聞こえてきた。


「はぁはぁ……ごめんなさい、待たせちゃった?」


「いいや、俺も今来たところだ。というかそもそも、まだ十時にもなってないしな」


「そっか、よかった」


 ステラはホッと安堵の息を吐いた後、


「ところでその……ど、どうかな……?」


 右手で美しい茶色の毛先をいじり、左手でスカートの端を摘まみながら、コテンと小首を傾げる。

 少しばかり緊張しているのか、その頬はほんのりと赤くなっていた。


「どうって……あぁ、なるほど」


 質問の意図を察した俺は、彼女の全身をジッと観察していく。


「ほっそりとしつつも引き締まった筋肉・相手に重心を悟らせない姿勢・そして何より――洗練された魔力。さすがはステラ、この一年でさらに強くなったみたいだな」


「…………ありがと」


 彼女は何故かがっくりと肩を落とし、どこか空虚な謝意を述べた。


「あ、あれ……? ごめん、なんか変なことを言ったか?」


「はぁ……まぁいいわ。昔からアルトは、こういうことに鈍感だからね。――さっ、『本部』へ行きましょう」


 なんだかよくわからないけど、ステラが「いい」というのならば、あまり深く考えなくてもいいだろう。


 それから俺たちは、冒険者ギルドの本部へ足を向けた。


 今日は俺の『冒険者登録試験の受験手続』をする予定なのだ。


 本部までの道中、せっかくなので、これまでずっと気になっていたことを聞いてみた。


「そう言えば……どうしてステラは、『無所属のソロ』で活動していたんだ?」


 レックスはB級ギルド『龍の財宝』、ルーンはB級ギルド『翡翠の明星』に所属し、同じギルドの冒険者たちとパーティを組んでいる。


 ギルドに所属し、パーティを組む。これにはたくさんの利点がある。


 単純に戦力が増えることで、クエスト中の安全性が上がる。

 個人受注不可の高難易度のクエストに挑戦できる。

 〇〇ギルド所属という肩書により、社会的信用が確立される。


 パッと思い付くだけでも、これだけのメリットがあるのだけれど……。


 どういうわけかこの一年、ステラは無所属のソロで活動し続けた。


 何か深い理由でもあるのだろうか?


「それはもちろん、アルトを迎え入れたときに――」


「俺を迎え入れたときに……?」


「な、なんでもないわ……っ。今のは忘れてちょうだい!(あ、危なかったー……。もしも私がパーティを組んでいたら、いつかアルトを迎え入れたときに、彼が疎外感を覚えちゃうだろうなと思って、ずっと独り身で居続けたなんて……。我ながら重い、重過ぎる……っ。こんなこと、間違っても本人には言えない……!)」


 そんな話をしているうちに、冒険者ギルドの本部前に到着。

 その軒先にはえらく存在感を放つ看板が立てられており、達筆の太文字で『大総会』と記されていた。


「げっ……。そう言えば今日は、大総会の日だったわ……」


 ステラは露骨に嫌な顔をしながら、一歩後ずさった。


「大総会……?」


「冒険者ギルドの本部では四半期に一度、大口の後援者スポンサーを集めて、ダンジョン攻略の進捗を報告するの。それが大総会よ」


「へぇ、本部ではそういう催しがあるのか」


 地方の下っ端ギルド職員であった俺には、まったくえんも馴染みのないものだ。


「大総会に出席するのは、大貴族や豪商なんかの超が付くほどの有力者。この人たちに目を付けられたら最後、とっっっても面倒なことになるの。間違いなく、今後の冒険者活動にも支障をきたしてくる。だから、絶対に騒ぎを起こさないようにね?」


「わ、わかった。気を付けるよ」


 俺はけっこうな緊張感を抱きつつ、本部の扉をゆっくりと開けた。


 するとそこには――ごく一般的な冒険者ギルドでの風景が広がっていた。


 クエストボードを見つめる冒険者・作戦会議に励むパーティ・商談中とおぼしき商人、貴族の庭園と大して変わらない。


「大総会って割には……なんか普通だな」


「さっき言った有力者たちは、今頃多分、上の階でよろしくやっているんでしょうね。さっ、今がチャンスよ。早いところ、受験手続きを済ませちゃいましょう」


 俺とステラが受付の方へ足を伸ばすと、


「――おや? おやおやおやぁ? これはこれは、愛しのステラちゃんじゃないか!」


 ギルド内に併設された酒場から、いかにも軽薄そうな男がやってきた。


(あれ……。この人、どこかで見たことが……?)


 俺が記憶の戸棚を漁っていると、ステラが大きなため息をつく。


「はぁ……。またあなたなの……パウエル」


 その名前を聞いて、ピンと来た。


 パウエル・ローマコット。


 現在売り出し中の『B級冒険者』で、何度か新聞で見たことがある。

 金色の長髪を後方で束ねた美男子。

 身長は180センチほどで、年齢はおそらく20歳前後。

 とてつもない魔力量を誇り、確か最近、有名な冒険者パーティに加入したと話題になっていたっけか。


(というか、凄いにおいだな……っ)


 まだお昼にもなっていないというのに、パウエルさんはかなりお酒臭かった。

 顔なんか耳まで真っ赤になっているし、これは相当呑んでいるだろう。


「ステラちゃん、ステラちゃん! 寂しいソロなんか卒業して、うちのパーティへ来いよ! 俺と一緒に組もうぜ! うちのリーダーはちょいとおっかねぇが……まぁ悪い奴じゃねぇ! 楽しくやれる!」


「何度も言っていますが、その件についてはお断りします。それから……私はこちらのアルトとパーティを組むことにしたので、もう誘ってこないでください」


 ステラはそう言って、小さくペコリと頭を下げた。


「んなっ!? おいおい、それはないだろう!? この俺が――新進気鋭のB級冒険者パウエル・ローマコット様が、わざわざ直々に誘ってやっているのに……っ。こんな覇気の糞もねぇうえ、大した魔力も感じられねぇヘッポコと組む!? そんなもんお前、正気の沙汰じゃねぇぞ!?」


「あ、あはは……」


 ボロッカスに言われた俺は、苦笑いを浮かべつつ、がっくりと肩を落とす。


(確かにB級冒険者のパウエルさんからすれば、俺なんかそこらの石ころ同然だろうけど……)


 冒険者ギルドのド真ん中で、そんなに悪口を言い散らさなくてもいいのに……。


「あ、アルトが、ヘッポコ……? ふぅー……あのですねぇ、彼はいつも周りに迷惑を掛けないよう、魔力をほとんど――」


 見るからに苛立った様子のステラが、声を荒げ始めたそのとき、


「――パウエル、いったい何を騒いでいるのだ? 今日は大総会の日だぞ?」


 ギルドの奥から、一人の冒険者が姿を見せた。

 両肩に藁人形わらにんぎょうを載せたその大男は、超が付くほどの有名冒険者。


(す、凄い……! 本物のドワイト・ダンベルさんだ……!)


 ドワイト・ダンベル。


 剃り込まれたスキンヘッド。

 身長は約2メートル。年齢は多分……40歳半ば。

 大きく鋭い瞳・鷲のような鼻・真っ黒な太い眉、けっこうな強面だ。

 立派な白い髭を蓄えた彼は、長年B級冒険者として活動を続ける、非常に有名な実力派の魔術師である。


「おー、ドワイトさん! ちょうどいいところに来てくれた! 聞いてくれよ! このどっからどう見てもポンコツの鼻垂れ小僧が、愛しのステラちゃんを盗っちまったんだ! こんなの、ひでぇよなぁ!?」


 泥酔したパウエルさんは、俺の頭を軽くペシペシと叩く。


「はぁ、まったくお前というやつは……」


 ドワイトさんは呆れたようにツルツルの頭を掻き、こちらに目を向けた。


「少年。うちのパーティの者が申し訳ない。後で厳しく叱り付けておくゆ、え……ッ」


 言葉の途中、彼は何故かギョッと目を見開き、凄まじい速度で『人』の手印を結んだ。


「――傀儡かいらい人術じんじゅつにえ!」


 刹那せつな、俺の隣にいたはずのパウエルさんは、いつの間にかドワイトさんの隣へ移動。

 その代わり、俺の右横――先ほどまでパウエルさんの立っていた場所には、ボロボロの藁人形が落ちてある。


(これは……予めあらかじめマーキングをした二者の座標を入れ替える術か)


 中々面白い魔術だ。


「お、おいおい……。あの身代わり人形、一体作んのに何か月と掛かんだろ? なんでこんなとこで無駄打ちしてんだ?」


 いぶかしがるパウエルさんをよそに、ドワイトさんは深く頭を下げる。


「……うちのパーティの者が、大変な無礼を働いてしまった。パウエルはまだまだ半人前の青二才だが、非常に才能豊かな冒険者。どうかこの場は、儂の顔に免じて見逃してほしい」


「み、『見逃してほしい』って……」


 頭を軽くペシペシとされたぐらいで、そんなに怒っていない。


 俺がなんとも言えない表情で頬を掻いていると――それをどういう風に受け取ったのか、ドワイトさんは顔を青く染めた。


「パウエル、今すぐあの少年に謝罪しろ……っ」


「はぁ? なんで――」


「――いいからすぐに謝るんだ!」


「わ、わかったよ……」


 ドワイトさんの鬼気迫った顔と緊迫した声色に押され、パウエルさんは渋々と言った風に一歩前へ踏み出す。


「その、なんだ……すまなかったな」


 彼はまったく納得していない様子で、とても嫌そうに謝ってきた。


「い、いえ、お気になさらないでください」


 俺がその謝罪を受けると同時、ドワイトさんは「感謝する」と言って、パウエルさんの首根っこを掴み、大急ぎでギルドを後にした。


「……なんだったんだ?」


「まぁ気にしなくていいんじゃない? そんなことよりもほら、早いところ受験手続を済ませちゃいましょう(ドワイト・ダンベルは、とても優秀な冒険者。多分あの様子だと、『アルトの魔力』を視ちゃったんでしょうね……)」


「あぁ、それもそうだな」


 こうして俺とステラは、ギルド本部の受付へ向かうのだった。



「――お疲れさまでした。これで受験手続きは全て完了です。試験当日は、こちらの受験票をお忘れなきよう、ご注意くださいませ」


「ありがとうございました」


 テキパキとした受付の人から、受験票などの必要書類を受け取り、俺はペコリと頭を下げる。


 無事に受験手続が終わると同時、上の階がにわかに騒がしくなり――豪奢な服装の人たちが、ぞろぞろと階段を降りてきた。


「なぁステラ、もしかしてあの人たちって……」


「……えぇ、冒険者ギルドの後援者スポンサーね。最悪のタイミング……。アルト、絶対に目を合わせちゃ駄目よ。どんな難癖をつけられるか、わかったものじゃないから……!」


「わ、わかった……っ」


 俺は言われた通りに、明後日の方角に目を向ける。

 冒険者ギルドにいる他の人たちも、後援者スポンサーの集団から視線を逸らしていた。


 すると――。


「もしかして……アルト殿?」


 聞き覚えのある声が、背後から聞こえてきた。

 声のした方に目を向けるとそこには、よく見知った顔。


「あっ、アブーラさん」


 アブーラ・ウルドさん。

 石油産業で財を成した、ウルド一族の当主だ。


 俺の始めた召喚獣のレンタルサービスを気に入って、貴族の庭園をよく利用してくれている。


「おぉ、やはりアルト殿でしたか! 本部にいらっしゃるなんて珍し……はっ!? もしやもしや……次の配属先はこちらなんでしょうか?」


「えっ、いや、それは……」


 俺が言葉を濁していると、アブーラさんの後ろから、妙齢の貴婦人がヌッと首を伸ばす。


「あらまぁーっ! C級ギルドから、いきなり本部勤めなんて……。さすがはアルト先生、栄転でございますねぇ! おめでとうございます!」


 こちらのきらびやかな女性は、シャルティ・トライトさん。

 大貴族トライト家の方だ。


「なんと、アルトさんが立身出世とな!? いやぁ、こりゃめでたい! 今度うちでパーティでも開きましょうかな!」


 とんでもない提案を口にしたのは、バロック・レメロンさん。

 レメロン商店を営む、凄い商人さんだ。


「アルト殿の昇進祝いパーティですか! それはいいアイデアですな!」


「ぜひ当家も参加させていただきたい!」


 貴族の庭園を利用してくれていた人たちが、続々とこちらへ集まってくる。


「あ、アルト……? この人たちとお知り合いのなの?」


「あぁ、うん。貴族の庭園で働いていた頃、とてもよくしてくれたんだ。みんな、凄くいい人たちだよ」


「へ、へー、そうなんだ……っ。(『闇の石油王』アブーラ・ウルド。『鮮血の女貴族』シャルティ・トライト。『無情の大豪商』バロック・レメロン。他にもヤバイことで有名な超大物ばかり……っ。やっぱりというかなんというか……あの・・アルトが、一年間『普通のギルド職員』でいるわけないわよね……)」


 何故か頭を抱えるステラ。

 俺が「どうかしたのか?」と声を掛けようとすると、横合いからアブーラさんの満面の笑みが飛び出してきた。


「――アルト殿、あなたの昇進祝いパーティの日取りを決めたいのですが……。今後の御予定は、いかがですかな?」


「あー……いえ、実はその……」


「はっはっはっ、遠慮は無用ですぞ? こちらの予定など、これっぽちも気にしないでくだされ! 我々はいつも、アルト殿の召喚魔術に助けられっぱなしですからな! 例えばほら、あの危険なヴェネトーラ油田を掘り当てられたのも、下下炎獄かかえんごくの大軍勢をお貸しいただけたからですよ!」


 嬉しそうに微笑むアブーラさん。


「うちの可愛い息子を不治の病から救ってくれた、奇跡の召喚! あの大恩は、一生忘れません!」


 感動に目を潤ませるシャルティさん。


「アルトさんの召喚獣には、何度命を救ってもらったことか……! 全ての予定をキャンセルしてでも、あなたの昇進祝いに馳せ参じますぞ!」


 熱く語るバロックさん。


「え、えっと……みなさんのお気持ちは、本当にとても嬉しいのですが……。実は俺、ギルドの職員をクビになっちゃったんですよ……」


 俺が正直に告白した次の瞬間、


「「「……は?」」」


 水を打ったかのように静まり返った。

 まるで時が止まったのではないか、そんな錯覚を覚えるほどの静寂だ。


「あっ、心配しなくても大丈夫ですよ? お貸しした召喚獣は、レンタル期間中、ずっと使っていただいてけっこうですから」


 こちらの都合で、一方的に契約を打ち切るようなことはしない。

 人として、そんな不義理を働くわけにはいかない。


「アルト殿がクビって、いったい何があったのですか!?」


 全員を代表して、アブーラさんが問い掛けてきた。


「えっと、あまり詳しいことは話せないのですが……。どうやら、ギルド長に嫌われてしまったみたいです」


 さすがに「パワハラを受けて、辞めさせられました」とは言えなかった。


「貴族の庭園のギルド長? …………あぁ、あのパッとしない男か。確か、デズモンド・テイラーとか言いましたかな?」


「テイラー……? そういえば確か、そんな名前の下級貴族がいたよう、な……?」


「アラベス区の三等地だか四等地だかを治める、テイラー子爵でしたかな……? たかだか『子爵』風情が、随分と偉くなったものですなぁ……」


 彼らは小さな声で、何事かをひそひそと話し始めた。


「――アルト殿。少し所用を思い出しましたので、失礼いたします」


 アブーラさんは小さくペコリとお辞儀をした後、随分と険しい顔付きで出て行った。


「私も少々大事な用がありましたので、今日のところは失礼を」


「アルトさん、また後程お会いしましょう」


 シャルティさんとバロックさん、それから他の人たちも、ズラズラと列を成して本部を後にした。


 シンと静まり返ったギルド本部に、


「貴族の庭園……終わったわね」


 ステラの呟きが、大きく響くのだった。



 C級ギルド『貴族の庭園』のギルド長デズモンド・テイラー。

 一日の仕事を終え、自室に腰を落ち着かせた彼は、非常に上機嫌だった。

 その理由はもちろん、自身の城に居座る厄介者――アルト・レイスを追い出したからである。


「ようやく、あの『一年もののゴミ』を取り除けた……今日は記念すべき日だ。ふふっ、久しぶりに『開ける』とするか」


 デズモンドは鼻歌交じりに地下のワインセラーへおもむき、りすぐりの一本『ボルドーニュ』を持ち出した。


「そーっと、優しく優しく……」


 喜色きしょく満面まんめんの彼は、オープナーを使ってゆっくりとコルクを抜き、ワインに刺激を与えないよう優しくグラスへ注ぐ。


「……いぃ……」


 芳醇ほうじゅんな香りを楽しんだ後は、軽く空気と混ぜ合わせ、ワインの味がいい具合に開いてきたところで、グラスをスッと口元へ運ぶ。


「……あぁ、素晴らしい……。やはりこの年の葡萄ぶどうは最高だ……」


 酩酊感めいていかんに気をよくしつつ、机の小皿にサッと手を伸ばす。


「一皿300ゴルもしない安物のピスタチオ。これが存外、25年物のボルドーニュとよく合う」


 最高のワインとお気に入りのつまみを堪能し、至福の一時ひとときを満喫したデズモンドは、ニヘラと口をだらしなく広げる。


「ぷっ、くくくくく……っ。あのときの……クビにしてやったときの、アルトの情けない顔と言ったらもう……はーはっはっはっはっ! 最高だ! 何度思い返しても、笑いがこらえられん!」


 ひとしきりさげすわらった後、葉巻を揺すりながら、自身の明るい将来に想いをせる。


「ふぅー……っ。薄汚い農民を追い出し、我が貴族の庭園はかつての輝きを取り戻した。そして半年後には、夢にまで見た『B級ギルド』へ昇格……! ふっ、ふふっ、ふはははは……っ! テイラー家の未来は明るいなぁ……!」


 まさか明日、自分が絶望のどん底に叩き落とされることになるなど……このときの彼は、想像だにしていなかった。



 翌日の正午過ぎ。

 デズモンドが決裁書類に判を押していると、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。


「で、で、で……デズモンドさん、大変です……!」


 ノックもなしに扉を開け放ったのは、顔を真っ青に染めたギルド職員の男。


「どうしたんだね、ハーグ男爵? 貴族たるもの、いついかなる時でも優雅であらねば――」


「アブーラ様、シャルティ様、バロック様がお見えになり、『貴族の庭園との冒険者契約を打ち切りたい』と仰っているんです!」


「……は?」


 デズモンドの口から出た音は、優雅さの欠片もない間抜けな響きだった。


「ど、どどど……どういうことだ!? アブーラさんたちとの関係は至って良好だったはず……。ついこの前にも、契約期間の延長を行ったばかりなのに、いったい何があったというのだね!?」


 貴族の庭園は、アブーラ・シャルティ・バロックから、大勢の冒険者を回してもらう契約を結んでおり、それらが全て破棄されたとなれば、ギルドの維持運営に甚大な影響が出てしまう。


「私にも何がなんだかわかりません……。ただ、先方からは尋常ではない『怒り』を感じました。とにかく、すぐに応接室へ来てください!」


「わ、わかった……!」


 ハーグに連れられたデズモンドは、応接室の前に移動。


「ふぅー……。失礼します」


 コンコンコンとノックし、ゆっくりと扉を開けば――『闇の石油王』アブーラ・ウルド、『鮮血の女貴族』シャルティ・トライト、『無情の大豪商』バロック・レメロン――錚々そうそうたる顔ぶれが、来客用のソファにどっかりと座っていた。


「……っ」


 裏社会の顔役三名との同時対面、デズモンドの背筋にネバッとした汗が流れる。


「い、いやぁ、本日はお日柄もよく、大変気持ちのよい一日ですなぁ!」


 なんとか必死に明るい声色を絞り出し、ゆっくりと対面のソファに腰を下ろしたのだが……。


「……」


「……」


「……」


 先方の視線はあまりにも冷たい。


 重苦しい空気が立ち込める中、口火を切ったのは、アルトと殊更ことさらに親交の深いアブーラだ。


「――デズモンド・テイラー殿。アルト・レイスという職員をクビにしたとうかがったのですが……。それは本当の話ですかな?」


 ビジネスの場において、空気を温めるために、軽い雑談から始めることは珍しくない。


 この話をちょっとした『雑談』と捉えたデズモンドは、


「さ、さすがはアブーラさん、お耳が早い! ちょうど昨日、アルトという無能な職員をクビにしてやったのですよ! あの薄汚い農民がいたせいで、我がギルドの品位が損なわれてしまい、大変困っておりましてなぁ。はっはっはっ、本当に辞めさせてよかった!」


 これが『地雷』だと気付きもせず、愚かにもベラベラと本音を喋ってしまった。


 すると次の瞬間、


「この馬鹿が……っ。いったいなんということをしてくれたのだ!」


「……っ」


 天をくような激しい怒声が、応接室に響き渡る。


「デズモンド、貴様……アルト殿の召喚魔術がどれほど尊いものか、その足りない脳みそで考えたことはあるのか……えぇ゛!?」


 普段はニコニコと微笑みを絶やさない『表』のアブーラ。

 今はそれが完全にひっくり返り、『裏』の顔が――『闇の石油王』としての顔が露出していた。


「えっ、いや、その……。……お恥ずかしながら、私、魔術の類は門外漢でして……っ」


 これまで冒険者としての修業を積んだことがなく、先代からギルド長の地位を引き継いだデズモンドに、アルトの召喚魔術の価値はわからない。


「私の可愛い息子は、アルト先生が週に一度開いてくださる『召喚魔術の入門講座』を楽しみにしていたのに……っ。いったいどうしてくれるのですか!?」


 恐ろしい剣幕で質問を飛ばすシャルティ。


「た、大変失礼いたしました……っ。それではすぐに、別のもっと優れた召喚士を用意しますので――」


「――あの御方おかたより優れた召喚士など、そうそういるわけないでしょう!」


 紛糾する応接室。


 さすがにこれでは話にならないと判断したバロックが、あいだを取り持つことにした。


「まぁまぁお二人とも、少し落ち着こうではありませんか。デズモンドさんの言い分も聞いてみましょう」


「デズモンドの言い分……?」


「いったい何故でしょうか……?」


「非常に考えにくいことですが、アルトさんを解雇するに足る『正当な理由』があったのやもしれません。例えばほら、裏では真面目に働いていなかったとか、何かとんでもないミスを犯したとか……?」


 アブーラ・シャルティ・バロックから鋭い視線を受けたデズモンドは、すぐに口を開く。


「い、いえ……。アルトは真面目なことだけが取り柄でして、特にこれといったミスもしておりませんが……」


「では何故クビを切ったのだ!?」


「納得できる理由があるのでしょうね!?」


「ことと次第によっては、こちらも対応を考えますぞ……?」


 激怒するアブーラたちに対し、デズモンドはとっておきの回答を口にする。


「そ、それはもちろん、アルト・レイスが農民の生まれだからです……!」


「「「……っ」」」


 僅かな静寂の後、激しい嵐が巻き起こった。


「完全なる不当解雇ではないか!」


「生まれなぞ、したる問題ではありません! そんなことを言うならば、貴方あなたなぞ所詮、吹けば飛ぶような『三流貴族』ではありませんか!」


「愚か者め! いつまで貴族制度に胡坐あぐらいているのだ!」


「さ、三流貴族……っ」


 デズモンドは、「三流貴族」という許しがたいそしりに対し、強い反発を覚えた。


 しかし、目の前にいるのは、『五爵』の頂点――『公爵』の地位を冠する、シャルティ・トライト。

 同席するアブーラとバロックも、それに勝るとも劣らぬ大物。


「……っ」


 純然たる『格上』から発せられた罵声ばせいに対し、異議を唱えることができなかった。


「――我らウルドの一門いちもんは、今後二度と貴族の庭園を利用せん」


「トライト家は本流・傍流問わずして、テイラー家との縁を断ちます」


「同じく、レメロン商会は金輪際、ここのギルドに品をおろさん」


 突き付けられた絶縁状に対し、デズモンドの顔が真っ青に染まる。


「そ、そんな……っ!? 今一度、お考え直しください……!」


 恥も外聞も捨てて、必死に頼み込むが……。


「デズモンド、お前は本当に救いようのない馬鹿だな。アルト殿がいない貴族の庭園このギルドに、いったいなんの価値があるというのだ……?」


「アルト先生に誠心誠意の謝罪をし、その許しを得た場合のみ、再考してあげてもよいでしょう」


「まずはアルトさんに詫びを入れろ。話はそれからだ」


 アブーラたちはそう言って、貴族の庭園を立ち去ってしまった。


 わずか三十分と経たぬうちに、大口の契約を全て打ち切られたデズモンドは、


「……どうして、こんなことに……っ」


 顔を絶望一色に染め、ただただ呆然と立ちすくむのだった。

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