第3話 ひとりぼっちのカンタータ ⑧

 今日の最後の授業は体育で、三組と四組の合同だった。

 内容はバドミントンで、先日のバスケよりもギャラリーには多くの生徒が集まっていた。

 甲高い声を上げながらスマホを構える女子たちや、「可愛い」を連呼しているマッシュルームみたいな髪型の男子たち。中には何らかの部活の顧問と思われるジャージを着た教員の姿まであった。まるでスポーツ選手のファンのような賑わいだ。


「すげぇ人」


「どうせみんな最初だけだ。物珍しさで最初こそもてはやすくせに、何か月かすればみんなすぐ飽きる」


俺と直は、体育館の壁際で足を伸ばしながら自分たちのコートが空く順番を待っていた。

 

「そういや衣彦、休み時間に女と二人でいたって噂聞いたけど、本当か?」


「女と二人って……みずほ姉ちゃんと小早川のことか? 別に、同じ下宿だし俺と一緒にいたって変じゃないだろ」


「いや、わかんねーけど……それ以外でいないのか?」


「いないって。二人以外って言ったら、優希先輩とウルくらいしか……」


 言いかけて思い出す。

 いた。

 俺の中で男女の関係として意識していなかったせいで、相手が女であるという認識が遅れていた。

 さらに言えば、今日の休み時間にも会っていた。

 直の言う話が直近のものだとしたら、きっと俺の思い当たった人物に違いない。

 だが、それを言うと変にいらない誤解を招きそうだ。 


「なら良いんだけどよ、あんまり──」


 おぉっと観衆がどよめき、直の言葉がかき消された。

 俺と直は同時に声のする方を向く。すると、体育館の中央で、線の細い男子と潤花が激しいシャトルの打ち合いを繰り広げていた。

 潤花は相手が打ち込んできたスマッシュをネット際の至近距離から軽々と返し、放物線を描いたシャトルが相手の頭上を越える。相手は素早く反応してバックステップで後方へ下がったが、ラケットを精一杯伸ばしてやっと届いたシャトルは山なりを描いた甘いロブとなり、潤花側のコートに飛ぶ。

 当然、そのチャンスを逃す潤花ではない。

 バシュッ! 

 えげつない音が鳴り響く。

 シャトルは相手コートに叩きつけられ、コツン、コツンと床を跳ねた。


「──しっ!」


 ポニーテールになっていた潤花の黒髪が踊るように跳ねる。同時に、ギャラリーが沸き上がった。

 スコアは圧倒的だった。

 

「……相手、中体連で県大会出たことあるんだってよ」

 

「へぇ……」


「なんだよ、リアクション薄いな。もう見慣れた光景か」


「いや、すごいとは思うけど……どっちかっつーと相手の男子の方に感情移入するんだよ。良い晒し物だろあんなの」


「あぁ、そういうことか」


 俺は悔しさの滲む表情を浮かべている対戦相手を気の毒に思いながら、手元でいつぞやのゴキブリのオモチャを弄っていた。ついさっき本来の持ち主である直に着き返してやろうとしたが、断固として受け取ろうとしなかったため、こっそりポケットに入れてやろうと隙をうかがっているのだ。


「それなりに自信あって試合に臨んだんだろうけどな。あの点数差みたらさすがに同情する」

 

「そういえばあいつ、こないだ超可愛い女子と手繋いでるの見たな」


「何やってんだウル! 目だ! 目を狙え! 顔面の穴という穴に羽根突っ込んで顔面ハト時計みたいにしてやれ!」


「同情は⁉」


「感情移入できないやつに同情なんてするか! 俺の心にそんなキャパはねぇ!」


「俺、お前のそういうちっちゃい人間性を恥ずかし気もなくさらけ出せるところ、嫌いじゃないぜ」


「よせ……俺はいつだって心の貧しい自分の味方だ。褒められるようなことは何もしてない」


「確かに、本当にしてないな」


「謙遜を鵜呑みにすんな! いいからお前は早くこのゴキブリ持って帰れ!」


 俺は強引に直のポケットにゴキブリのオモチャをねじ込もうとするが、寸前で直に手首を掴まれてゆく手を阻まれる。


「いらねー! 絶対いらねー! そもそも衣彦がいるって言ったんだろ!」


「俺じゃなくて先輩が欲しそうって言っただけだっつーの! おら! 早く! 手をどけて大人しくしろ!」


「やめろってバカ! マジでいらねー!」


 俺はむきになってゲラゲラと笑う直を押し倒した。

 馬乗りになった状態で直にのしかかるも、直は腕を掴まれながらも抵抗をする。


「キャーーーー! 助けてーーー!  エロ同人みたいにされるーー!」


「おい! 公衆の面前で誤解を招く発言は──」


「ウッソでしょ……こんなの……ッ!」


 ふいに至近距離から声がして、俺たちはぴたりと動きを止めた。


「…………えぇっと」


「…………みずほよぉ」


 俺たちの視線の先には、両頬を押さえて期待と興奮の入り混じった表情をしているみずほ姉ちゃんと、その後ろでおずおずとバドミントンのラケットを胸に抱える小早川の姿があった。


「あっ…………あっ、なんか違うね! ごめんね、あははは! ──続けて!」


「いや止めろよ!」


「おら! 観念しろ!」


「え、えぇっと……ダメだよ! 衣彦! めっ!」


「だってみずほ姉ちゃん、直が悪いんだぜ? こいつ人の財布に勝手に偽ゴキ入れてさぁ……」


「あー、それは直が悪いかなぁ」


「待てって! 衣彦が欲しいって言ったんだよ! だからサプライズでやったんだって!」


「『欲しい』なんて一言も言ってねーよ!」


「言った! 絶対言った! 百万賭ける!」


「絶対だからな⁉ お前その百万で世界中の発展途上国に持続可能な事業生み出すところまでやれよ⁉」


「二人とも! もう、高校生にもなって子供みたいな口喧嘩しないのっ!」


「猫に赤ちゃん言葉で話しかける人に言われてもな」


「違うぞ直。赤ちゃん言葉で話かけたのは猫じゃなくてビニール袋だ」


「おぉそうだった。『どぉしたのぉ~?♡』」


「人をバカにするときだけ息ピッタリなのやめてくれる⁉」


「あの! ふ、二人とも……!」


「ん?」


「んだよコバ」


「みんなで、バドミントン……しない……?」


 俺と直はきょとんとして目を合わせた。


「どうする?」


「……まぁ、やってもいいけど」


 馬乗りの体勢から立ち上がり、壁側に転がっていたラケットを拾う。

 てっきり適当にあしらうかと思っていた直も何も言わず俺に続いた。小早川に気を遣わせてしまったかもしれないという引け目でもあるのだろうか。あんなのはいつものふざけたじゃれ合いなのだが、俺たちの間柄をよく知らない小早川から見ると確かに喧嘩に見える可能性はある。欲を言えばそういう気遣いを俺にも向けて欲しいものだ。どうすんだよこの偽ゴキ。超いらねぇ。


「真由か私にハンデ付けてね! どっちかが点入れたらプラス十点とか!」


「絶対クソゲー。ぼったくり過ぎ」


「えー? じゃあ八点?」


「その前に小早川はバドミントンできる方なのか?」


「小学校の頃、ちょっとやってた……くらいかな」


「それなら足してもせいぜい三点くらいでいいとこ──」


「隙あり!」


「──っぶね!」


 俺がみずほ姉ちゃんたちと話している最中に、直がネットの向こうから奇襲を仕掛けて来た。

 ある程度は手加減をしていたのか、顔面付近を目がけて打たれたシャトルは意外にも緩やかなスピードで、俺がほとんど反射的に打ち返すと綺麗な放物線を描いて相手側ネットへと返っていった。


「二人とも適当に入って!」


「二人ともこっち来いこっち!」


「わかった!」「うん!」


 パシッと直が打ち返してくるのと同じタイミングで、みずほ姉ちゃんと小早川が同時に返事をした。こうして二、三回ラリーを繰り返しているうちにうまいこと男女二対二のチームに分かれるだろう……そう思ってチラリと相手コートに視線を移すと、

 

「何で三対一なんだよ!」


 女子二人は、迷わず直のコートに入っていた。


「え! だって!」


「こっちって言われたから……!」


「ハンデだよ! ちょうどいいだろ! 目ぇ悪いやつ二人と、運動神経悪いやつ!」


「私だけ悪口! ──えいっ!」


 遺憾の意を示しながらペシッとシャトルを打ち返すみずほ姉ちゃんだったが、シャトルは明後日の方向へ飛んでいき、あっさりとラインの外へ落ちる。

 

「はい、ゼロ対二百億ー」


「ねぇ! どんな配点⁉」


「このポイントは信じて送り出した仲間に裏切られた俺の悲しみの分だ!」


「衣彦だってこないだ一緒に帰ろって言ってたのに勝手に帰ったでしょ! マイナス二百一億だよ!」


「勝手にクソルール生み出してんじゃねーよバカップル! 今のは一点だ! 正々堂々勝負しろ!」


「三対一って、正々堂々なのかな……」


「バ、バババカップルとかやめてよ直! ちょ、そんなの実質カップルみたいじゃない!」


「おらっ」


 俺は仲間割れ(?)が始まった三人の隙をついて、みずほ姉ちゃんの足元にサーブを狙った。勝負は残酷だ。いかなる私情があろうとも、弱点がわかっていればそこを狙うのは定石である。これはもう絶対取っただろうと確信を持った俺は勝ち名乗りを上げようと腕を高らかに上げ、煽りのセリフを考えていた。

 しかし、その予想はあっさり裏切られる。

 ──パシッ。

 シャトルが落ちる寸前のところで、小早川が絶妙なタイミングでレシーブを返したのだった。


「ウソだろ⁉」


「やったーー! 真由! ナイスナイス!」


 普段は私服で芋ジャージを着ている陰キャ丸出しな小早川が、予想に反して良い動きをしていた。打ち上げられたシャトルは俺の頭上を遥かに超えて後方へと飛んでいく。

 まずい。このままだとサイドラインにギリギリ入る。

 俺は大慌てで後方へ飛び、思いっきり跳躍して振りかぶる。


「あぶねー!」


 振りかぶったラケットはギリギリのところでシャトルにミートし、高い放物線を描いって相手コート側に返った。

 しかし、無理な体勢で飛んだせいで、着地のときにバランスを崩して身体がコートの外側に向いてしまう。俺は半身に開いてしまった体勢を慌てて立て直し、軸足を踏ん張って急いでコート中央に戻ろうとした。そのとき、


「────」


 体育館の奥にいる。潤花と目が合った

 一瞬、時が止まった。

 気のせいじゃない。

 確かに、潤花はこっちを見ている。

 無機質な瞳。

 色を失ったような表情。

 そんな瞳が

 ──パシッ。ゴッ

 突如、意識に介入してきた二つの異音と同時に、左目に激痛が走った。


「目がーーーーーッ‼」


「衣彦ーーーーーー‼」


 シャトルが直撃した左目を押さえながら、その場でゴロゴロのたうち回る。

 痛ぇ。超痛ぇ。

 焼けるように熱い左目の激痛は俺を地獄の苦しみで苛(さいな)んだ。最悪の災難だ。


「衣彦くんごめん! 大丈夫⁉」


 狙撃犯の正体は小早川だった。


「痛っ──たくねぇし……! もう全っ然! 全っっ然痛っ──てぇ! やっぱ痛ぇ!」


「あーっはっはっは! ムスカ! 超ムスカ! ひーっひっひ! 腹痛ぇ!」


 直が悪魔のように甲高い奇声を上げる傍ら、体育館のいたるところでも笑い声が聞こえた。

 誤算だった。潤花を見に来たギャラリーまでこっちを見て俺の醜態をせせら笑っている。


「本当にごめんね! どうしよう、保健室……!」


「大変! 目が充血してる!」


「目薬のCM! そのセリフ、目薬のCMまんま! だぁーっはっはっは!」


「もー! 直はうるさーい!」


 直が余計な茶々を入れたせいで、再び体育館で爆笑が巻き起こった。

 視界の隅では、潤花の取り巻きの連中や対戦相手までこっちを見て笑っている。

 滑稽(こっけい)な姿を大衆に晒しながら、俺は胸中で一つの可能性に賭けていた。

 この哀れな道化(ピエロ)を一笑に付すか。

 それとも、頑なに線を引いたままか。

 霞んでいた左目の視界が徐々に鮮明になっていき、再びすべての元凶、潤花と目を合わせる。

 ──みんなが笑っている中で、潤花はただ一人、笑っていなかった。

 眉尻を下げて、まるでどういう顔をしていいのかわからないような様子で、戸惑っているように見えた。

 ぼやけた視界が、少しだけ晴れる。

 やっぱり嫌いだ。

 お前の、そういうところが。



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