第3話 ひとりぼっちのカンタータ ⑨
三対一のバドミントン(クソゲー)は僅差で俺の勝利に終わった。
そもそも三人で組んだからといって必ずしも有利になるとは限らないのだ。可動範囲はどうしても狭くなるし、味方のミスのカバーもしにくい。いくら経験者がいるといえど、穴をしつこく狙い続けていれば必然的に空振りやお見合いのミスは重なるし、フェイントもしやすかった。とはいえ、俺も決してバドミントンが上手いわけではないので実際に勝てたのは運の要素が大きい。
厄介事が舞い込んできたのは、体育の授業終了後のことだった。
四組の男女が散り散りに解散し、穴……もといみずほ姉ちゃんにしこたま恨み辛みをぶつけられている内に波に乗り遅れた俺は、男子更衣室に向かう途中で体育教師の古山先生に呼び止められた。
「あー古賀。ちょっといいか?」
「? はい」
「ポールとネット、あそこにしまい忘れたのがあるんだ。体育委員がいないから、代わりにしまっといてくれ」
「……ぁい」
数いる生徒の中でどうして俺を指名したんだ、と訝しく思うが、きっと理由は単純だろう。
「それと、目は大丈夫か?」
案の定、さっきの騒ぎで無駄に名前が広まったようだ。
「……っす」
「災難だったな」
「そうなんです」
『ンフッ』と咳払いの体(てい)を成した思い出し笑いが漏れたのを俺は見逃さなかった。
目の傷は残らなかったが、心の傷は一生残る。俺はたった今この教師が何か不祥事を起こそうものなら弁明の余地すら与えずSNSで拡散してやろうと固く心に誓った。
脳内でイキり散らしながら大人しく指示に従い、体育館の隅に置かれていたバドミントンの道具一式をそっと拾い上げる。みんなから良いように弄(もてあそ)ばれて、用が済んだらノー眼中。人間と同じだな。
そんな陰気な思考に思いを馳せながら、俺は体育準備室へと向かう。
左目の痛みはもうない。
だが、視界は晴れても気持ちはいまだに晴れずにいた。
ここ最近、ずっとだ。
何で俺がこんな思いをしなきゃならないんだ。
何で俺が、頼まれてもいないのにここまで手を煩わせなきゃいけないんだ。
それもこれも全部──
「あれ? 衣彦?」
こいつのせいだ。
体育準備室には、潤花がいた。
潤花は大量のバレーボールが入ったかごを軽々と持ち上げ、俺の顔を見て笑顔を浮かべた。
「……誰かと思えば、お前か」
「ふふふ……」
潤花はよいしょ、と持っていたかごを置いて俺の方までとことこ歩いて来た。
悪戯っぽい笑みで何やら企んでいるような表情だ。
何を企んでいるのか……と少し身構えていると、
「もしかして追いかけてきてくれた?」
両頬に人差し指を当て、ウインクをかましてきた。
一瞬にして思考が停止する。
「…………おう」
「何その反応! 今のは両拳握りながら地球の裏側に向かって『かわいーーーー‼』って叫ぶ場面でしょ⁉ 真面目にやってよ!」
肩透かしを食らった俺の反応がよほど不服だったようだ。潤花は地団太を踏みつつ力強く両拳を握り大地に向かって叫んだ。こんな肺活量限界寸前まで追い込んだラッパーみたいなツッコミを見る限りでは、いつも通りやたらハイテンションな潤花と変わらないように見える。
「そんなことより、こんなところで何してるんだ?」
「さっき、また知らない人から部活の勧誘されそうになったから、体育委員の子に無理やり仕事代わってもらってここに逃げてたの。まだ体育館の周り、人いる?」
「いや、もうみんな帰ったよ」
「そっか。ならもう帰ろっかな」
「有名人は大変だな」
「衣彦だって有名人じゃん」
潤花はニヤッと歯を見せ、自分の左目を指さした。
くっ……小憎たらしいやつだ。
「目、大丈夫だったの?」
「余裕だ。痛くもかゆくもない」
「すっごいでっかい声で『痛ぇ』って転げ回ってたのに?」
「『痛い』なんて一言も言ってねーよ。『IT』って言ってただけだ」
「あの状況で『ITぃぃぃ!』って叫んでたの⁉ ウソでしょ⁉」
「うるせーな! 誰だって行き過ぎた情報社会を嘆くことくらいあるだろ!」
「だとしてもバドミントンの最中に思わないから! 強引にもほどがあるって!」
潤花は腹を抱えながらケタケタと大笑いした。
ツボが浅くて、すぐに笑う。いつも通りの笑顔。
それを見ていると、ここ最近垣間(かいま)見た表情の陰りがウソのようだった。
あのとき戸惑いを見せた表情も、物憂げな眼差しも全部、『こいつの本心は俺だけが知っている』なんて薄ら寒い選民思想が生み出した勘違いだとしたらそれはそれで笑えないが、確かめないことにはまだわからない。
「あー、おっかしい。やっぱり衣彦って面白いね。久々にこんな笑った気がする」
「……お楽しみなのは何よりだがな、その笑顔は俺という尊い犠牲の上で成り立ってるのを忘れんなよ」
「あははっ、それは気が向いたらね。それよりほら、早く教室に戻らないと帰りのホームルームに遅れ──」
ガチャッ。
「あっ」
「え」
ドアノブに手をかけていた潤花の体が硬直し、しんと水を打ったような沈黙が訪れた。
「……今の『あっ』、て何だ?」
「何だろうね……」
「おい、こっち向け」
「違うの、聞いて。これは罠。犯人は私じゃない」
「いいから、余計な動きはするなよ? 腕をゆっくり上にあげてこっちを向くんだ。さぁ」
まるで洋画の警察が銃口を向けながら容疑者を追い詰めるシーンのような緊迫感で、俺は潤花の方までゆっくりと歩く。
潤花は俺に背を向けたまま動かない。
「……怒らない?」
「怒るかどうかはお前の身の振り次第だ」
俺の牽制に対して、潤花は深いため息を吐いた。
この女がこんなにあっさり観念するとは思えない。
俺は警戒を怠らないよう細心の注意を払って潤花に近付くと、
「取れちゃった」
潤花が掲げた手には、ドアノブが握られていた。
ドアから分離した状態で。
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