第3話 ひとりぼっちのカンタータ ①
たかが空気の振動。
それが私の世界をつくる。
閑散とした放課後の中庭が、私だけの箱に生まれ変わる。
ジャッ、ジャッ、ジャッ。
五つの弦が奏でる音が私を掻き立て、指先を走らせる。
今日は調子が良い。
思うように指が動いて心地良いリズムを刻んでくれる。
その律動は耳を伝い脳から心臓へと向かい、ドクンと脈を打ってまた指先に還る。
まるで血液のようなこの循環がたまらなく心地良かった。
私はしばらくギターをかき鳴らしていた。
これが私のすべて。
ギターのない私は、奇抜なメイクとファッションで周りから浮いているだけの、ただのマネキンだ。
高校生になって二週間ほど経った今でも、まともに話しができるクラスメートはいない。
いるに越したことはないが、いなくたって構わない。
だって、私には音楽があるから。
そう思っていたとき──彼は現れた。
「おつかれ」
いつからそこにいたのだろう。
演奏を終え、視線を上げるとそこには、見覚えのある顔があった。
「……また来たの?」
「また邪魔しに来た」
物好きもいるものだ。
会うのはこれが三度目で、名前を知ったのもつい最近だ。
彼は、私が好きなゲームの曲を練習しているときに声をかけてきた。
彼もそのゲームが好きで、たまたま通りかかったときに気になったそうだ。
私としてはライブ間近でちょうどいいギターの練習場所がなかったので仕方なくここで弾いていただけだったのだが……彼の言葉を信じるならば、学校の中庭でギターを弾く私の姿が『めっちゃクール』に見えたらしく、その曲を通じてゲームやアニメなどの話題で盛り上がり、打ち解けることができたのだった。
「久瀬(くぜ)さん、紅茶でいい? メロンソーダもあるけど」
「え……いいの?」
「いいよ。練習の邪魔しに来たんだし」
「ありがと。じゃあ、もらおうかな」
私は座りながら彼から紙パックの紅茶を受け取った。その紅茶は、彼と初めて会ったときに私が飲んでいたものだった。一言も話題に出していないのに、いつの間に見ていたのだろう。思い返してみれば、彼は初対面のときにも私の鞄に付けたチャームを見て一目でそれがアニメ作品のコラボグッズだと見抜いていた。よく気が付く。彼の周りにいつもかわいい女の子たちがいる理由が少しわかった気がした。
「痛っ……あー痛ってぇ……」
「どうしたの?」
私の隣に座ろうとしていた彼が、顔をしかめながら呻いた。油を差(さ)していない機械みたいにぎこちない動きだった。
「いや、昨日ちょっと……戦ってて」
「たた……え? 喧嘩?」
「あ、全然そんなガチなやつじゃないから。ヒグマとじゃれあったようなもんだから」
それ以上にガチな状況ってあるの?
率直な疑問が脳裏を横切ったが、彼はペットボトルから溢れ出たメロンソーダを大慌てで拭いていたので口に出すタイミングを失ってしまった。
それからはとりとめのない話ばかりした。
昨夜始まった春季の新作アニメの話や、泣くほど感動したゲームの復刻イベントの話。
その挿入歌の話から発展して、週末行われる私のミニライブの話。
彼は終始、私の拙い説明やたどたどしい喋り方にも嫌な顔ひとつせず、楽しそうに聞いてくれた。
「練習の調子はどう? 今の聴いてたらすげー良いと思うけど」
「うん。今日は調子良い。でも、今が良かったら本番全然ダメになりそうで逆に怖い」
「あー、調子に乗っていざってときに失敗しそうだもんな」
「そうなの。うちの店、箱は小さいけどその分お客さんと近いし、お父さんの知り合いもたくさん来るから本番は緊張するかも」
「それなら今のうち人前で歌う練習しといた方がいいな。剣道場と柔道部にあった練習用の人形や理科室の人体模型、ここに全部持ってくるか」
「絵面(えづら)やばいよ……」
「大丈夫。知り合いの顔写真を人形に貼り付けて臨場感バッチリにするから」
「五割増しでやばいよ……! 普通に友達呼ぶって選択肢ないの……⁉」
「残念ながら、この学校に友達なんてほとんどいない」
「いつも一緒にいる女の子たちは?」
「あれはみんな同じ下宿生ってだけだから、ノーカン」
「そうなの? 楽しそうに見えるのに」
「見た目だけじゃわからないもんだよ。久瀬さんだって、こないだ『怒ってないのによく怖がられる』って言ってただろ? その逆だってある」
「まぁ……それは確かに」
言い分はわからなくもない。私に友達が少ない理由の一つもそれで、笑顔で話しかけてくれた子が裏で私のことを揶揄していたのを聞いてから人間関係が嫌になったことがきっかけだった。
「結局、人を信用するのって賭けなんだと思うよ。裏切られた経験がある人ならわかると思うけど、他人に何かを期待してたら、そうじゃなかったときにガッカリする。最初から信じてなかったら、裏切られて失望することもないだろ? だから、信じていい相手は、裏切られてもいい相手だけだ」
それは、そうだ。
でも、だからこそ気になる。
「そう思うなら、何で私に話かけてきたの?」
思い切って、核心を衝(つ)く質問をした。
ずっと腑(ふ)に落ちなかったのだ。
人見知りの私が知り合って日の浅い彼とこんなに早く打ち解けられたのは、彼が面白くて気の利く人で、知らず知らずのうちに心を許してしまうような不思議な人懐っこさがあったからだ。
そんな彼が、どうして自身のことをそんなに卑下するのか。そして、ひとりぼっちでいる私なんかに声をかけてきたのか。
それが、不思議だった。
「言わなかった? 『ガルバン』のコラボグッズ持ってて、しかもその曲ギターで弾けるなんて人、絶対ガチ勢だろ? そんな人、俺の周りに一人もいなかったから、どうしても久瀬さんと『ガルバン』の話したくて」
「それは前にもそう言ってたけど……そうじゃなくて。本当に、それだけ? ナンパってわけじゃないんでしょ?」
「俺がナンパなんてできる陽キャだったら、今頃オタクなんてしてないと思う」
「あー……」
どうしよう、説得力があり過ぎて反論できない。
「でも、確かに声をかけた理由は他にもあるよ」
「何?」
「ここでギター弾いてる久瀬さん、めっちゃカッコ良かったから。前にも言ったかもしれないけどさ、弾くのが上手いってだけじゃなくて、弾いてる姿が絵になる人ってそんなにいないと思うんだ。だから、もっと近くで久瀬さん見たくてさ」
「あっ、えっと……ありがと」
ずるい……。
どうして本人を目の前にして、そんな屈託のない表情で褒めることができるんだろう。
顔が熱い。耳まで赤くなっているかもしれない。
彼の直視に羞恥心が堪えきれなくなって、思わず目を逸らした。
「見てる人は見てるよ。久瀬さん、すごい頑張って練習してるし、自分の信念大事にして生きてるんだなっていうのが恰好ひとつにしてもそれが出ててさ──」
「わかった! わかったから、もういい……!」
「あ、そう……?」
まだ話すことがあるのに、と言わんばかりに、彼は不服そうに眉を八の字にした。
これでわかった。
彼はナンパ目的なんかじゃない。
人たらしだ。
それも、自覚がない。
ナンパなんかよりもずっと質(タチ)が悪いかもしれない。
「まぁとにかく、俺はただの久瀬さんの厄介ファンってことだけ憶えといて」
「そういう変な関係じゃなくて、普通に、友達なるってだけじゃダメなの?」
「本気? 初対面でいきなり声かけてアニメやゲームの話するような不審者、俺が久瀬さんの友達なら絶対関わらない方が良いって言うよ」
「じゃあ今度そういう人がいたら、そう言って」
「かっ……けぇ……! 今の、めっちゃロック」
興奮気味に口元を押さえる彼を見て、思わず苦笑する。
大げさなリアクションだ。
子どもみたいにはしゃぐ姿を見ると、自然と頬が緩んでしまう。
「──あ、でも、今はダメだ。その話、ちょっと保留にしてくれる? その前に、久瀬さんにお願いしたいことがあるんだった」
「お願い?」
「あぁ。それに関することというかなんというか、ちょっとした事情で」
「彼女の許可でもいるとか?」
「いないよ、彼女なんて想像上の生き物」
「あの子、絶対そうだと思ったのに」
「あぁ。あれはただの友──いや違う……何だ? 何だと思う?」
「知らないよ」
笑いながら、私は心の片隅で葛藤した。
彼の話は、信じるに値するか。
「しいて言うなら……強敵(ライバル)、かな」
信じていい相手は、裏切られてもいい相手だけ。
彼はそう言っていた。
それなら──
「強敵(きょうてき)と書いてなんて読むか、オタクの君ならわかるよね?」
「Enemmy」
「……頑固だね」
賭けてみよう。
彼が裏切られてもいいと思える相手かどうか。
古賀衣彦という名前の男の子が、私の新しいお友達になれるかどうか。
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