第2話 up! up! my Friend ⑫


 ──小早川実由。

 ハーティマージュ所属。15歳。

同事務所運営のダンス&ボーカルユニット『東京通信』での活動を経て、現在『Wake up people』のセンターとして活動する人気アイドル。

 動画配信サイトのPR企画で毎週月曜日に朝の挨拶が行われる『モーニングルーティーン』の動画が著名人からのフォローなどで話題となり、急速に拡散。以降、SNSで閲覧回数57万回を記録し、各界から注目を集める運びとなった。

 なお、好きな食べ物は納豆。


「……」


 直と夕飯を食べてから解散し、俺は下宿に帰ると一人で居間のソファでごろつきながら、動画サイトでこばゆの過去を調べていた。

 デビュー当時の映像だけではなく、こばゆが≪月曜日の天使≫と謳(うた)われブレイクのきっかけとなった寝起きのシチュエーションで朝に起こしてくれる動画まで、膨大な数の動画を眺めてはスクロールしていく。

 

「……これか」


 やっと見つけた。

 ずっと気になっていたのは、先日クラスの女子が言っていた『放送事故』の動画だ。

 テレビで見る限りではこばゆは大御所の芸能人と話すときも物怖じせず話せるほどに肝が据わっていた。人気アイドルとしての地位を築く前の話だとはいえ、果たして生放送中に泣き出すほどの失態を、あのこばゆがするだろうか。

 脳裏を過ぎった仮説を検証するため、俺はその動画を再生する。 


『──というわけで、先月のライブで結成2周年を迎えたウェカピポなんですけども、今日はね、移動中の5人を捕まえて、急きょちょっとだけ、スタジオに来てもらうことになりました。よろしくどーぞ』


『よろしくお願いしまーす!』


『…………』


『ごめんなさいねー急に呼び止めて。みんなはじめましてだけど、このコーナー知ってる?』


『………』


『私、知ってます! 子供の頃から見てました』


『え、そんなに前から? デギーちゃんが子供の頃っていったら、何年前?』


『小学生の頃からだから……5、6年前? だよね?』


『……あ……うん』


『じゃあ俺がまだ二十歳のときかー』


『え? ナベさん……何歳なんですか?』


『歌舞伎町では32歳』


『あ、えっと、あれですね……! お若い……』


『そこもっと突っ込んで!』


『あはははっ! やばいですね!』


『…………』


『いやーでも、こうして見るとみんな若いねー。俺の娘と同い年くらいだよ。最近の子ってオフの日とか何してるの?』


『私は買いものですね。新宿とか原宿で』


『一日中引きこもってアニメ見てゲームして……あーあと、Ⅴ―tuber見たりしてます』


『私は二人と大体一緒ですねぇ』


『私、最近お父さんの影響でゴルフにハマったんですよ。打ちっぱなしに着いていったりしてます』


『こばゆは? オフに何かしてる?』


『…………っ』


『あれ、えっと……』


『……あ……』


『実由……?』


『っ……! ……め……さい』


 画面の中のこばゆは震え拳を抑えるように、自分の手を力強く握っていた。

 ──違う。

 やっぱりそうだ。

 ここに映っているのは……


「──真由ちゃんだね」


「おわぁっ⁉」


 突如、後ろから耳元で囁かれ、俺は心臓とともに全身が跳ねあがった。

 慌てて振り向いたソファの後ろには、スウェット姿の優希先輩がいた。


「びっくりしたぁ。どうしたの? 古賀くん」


「こっちのセリフですよ! あービビった! いきなり驚かさないでくださいよもう! 寿命90年縮んだ!」


「あはは、ごめんごめん。あと少し頑張って生きよ?」


「ウソだろ……俺の寿命、扱い軽過ぎ」


「ノンノン。命は平等に軽くて、平等に重いよ」


「ドヤ顔半端ないな」


 ふふん、と鼻を鳴らす優希先輩。前髪をチョンマゲのように結んで額を出し、赤い縁の眼鏡をかけている。憎らしくも可愛い。しかもちゃっかり、スウェットがオーバーサイズで萌え袖になっている。なんてあざといんだ。今度は違う意味でドキドキしてきた。


「ところで、古賀くんはどうしてその動画見てたの?」


「いや、ちょっと、小早川のことで気になって……」


「えっ⁉ 恋の話⁉」


「違います」


「なんだー……私てっきり、ひとつ屋根の下で暮らす男女の青春同居ラブコメでも始まってるのかと思った」


「令和の時代にそんなベタな設定のラブコメ、絶対に流行りませんよ」


「えー、こんなに可愛い子たち揃ってるのに、もったいないなー」


「先輩、自分のこと可愛いって思ってるんですか?」


「そうは言ってないでしょーっ⁉」


「わ、ちょ、叩かないでくださいよ」


 唐突に顔を赤くして先輩がソファをボフボフと叩く。

 この人、意外と自分に自信がないのか? ……くそ、いじらしいな。


「っていうか先輩。これが小早川だってよくわかりましたね」


「見たらすぐわかるよ。顔も声も姿勢も挙動も、全部真由ちゃんだもん。ハチとスカシバガの方がよっぽど分類しにくいよ」


 拗ねたように口を尖らせる言い方は愛らしかったが、後半の謎の呪文(オタクトーク)のせいで魅力が大幅にダウンした。


「先輩は、何で小早川がこの番組に出てると思います?」


 俺が尋ねると、先輩はその表情からすっと感情の色を消し、恐ろしく真剣な眼差しでスマホを凝視した。さっきまで表情豊かに軽口を言い合っていた先輩はどこへやら、今目の前にいる先輩は、迂闊に話しかけることさえためらわれるほど無機質だった。その急激な変化に戦慄すら覚える。


「多分、なんらかの理由で妹さんのフリをしてこの番組に出たんじゃないかな。それも、真由ちゃんが望まない形で。ほら、真由ちゃんの視線をよく見て。メンバーの子や、画面の外にいる人のことを何度も見て、助けを求めてるみたい。メンバーの子も、どうしたら良いかわからないって感じで、みんなお互いに顔を見合わせて困ってる。これも推測でしかないんだけど、この場面を見る限りでは、真由ちゃんがこの番組に出ること自体がイレギュラーだったんだと思う」


 抑揚のない口調で淡々と解説しながら、先輩はなんの躊躇(ちゅうちょ)もなく俺の隣に腰掛けた。スマホをのぞき込む先輩の顔が指一本分の至近距離まで近付き、甘いシャンプーの香りがふわりと漂う。真面目な話をしているにも関わらず心臓がバクバクして破裂しそうだった。


「古賀くんは、真由ちゃんが妹さんの代わりに番組に出た理由はなんだと思う?」


「誰からの依頼、もしくは強制ですかね。この挙動不審さや、小早川の性格を考えたら、小早川が自ら望んで人前に出たっていう線はないと思います」


「私もそう思った。その仮説が正しいとすると、真由ちゃんはなんらかの理由で想定外の番組出演を余儀なくされることになって、生放送中にパニック状態に陥った。周りの人たちもとっさにフォローできる人もいなくて……」


 言いかけたところで、繰り返し再生していた動画の番組内で、会場がざわつきだした。

 司会が困惑しながら話しかけている中、小早川は蚊の鳴くような声で『ごめんなさい』と繰り返しながら、ぼろぼろと涙を流している。

 見ているだけで、胸が痛む光景だった。


「……可哀想」


 ぽつりとそう呟いた先輩の瞳が揺れた気がした。

 俺は気付かないふりをして、黙って頷く。

 本当に、どうして小早川がこんな目に遭わなきゃいけなかったんだ。

 誰にというわけでもなく、ふつふつと怒りが湧いてくる。


「古賀くんが気になってること、多分わかった」


「え?」


「こうやって、自分の手を自分でぎゅっと握る動作。極度の不安や緊張状態を感じたときに現れる行動なんだけど、なんだっけな……確か『自己接触行動』って名前だったかな。真由ちゃんは今でもこの仕種、するよね? ひょっとしたらだけど、今も人前で話したりするとこの動画みたいに、あがり症の症状が出てるんじゃない? きっかけは、そうだなぁ……たくさんの人に注目されてる状況。例えば──自己紹介、発表のときとか」


矢継ぎ早にまくし立てられた俺はポカンとした間抜け面のまま、目を瞬かせた。


「えっと……そう、です」


 ものの見事に核心をつかれた。

 趣味に全生命力を注ぐキテレツ童顔姉さんとタカをくくっていたが、とんだ思い違いだった。頭の回転と洞察力が尋常じゃない。たった数分の動画でよくここまで答えを紐付けられるものだ。

 驚きのあまり言葉を失っている俺の様子がそんなに変だったのか、先輩はくすっとおかしそうに笑った。


「古賀くん、私のことただの虫好きの変人だと思ってたでしょ」


「そんなことは……ちょっとだけしか」


「本当にちょっと⁉」


「いえ! 実はだいぶ!」


「そう! 大正解! 今の話も全部ただの勘だし、にわか知識でそれっぽいこと言っただけでしたー! あー、目が疲れたなぁ」


 先輩は眼鏡を取り、天井を仰ぎながら眉間を揉んだ。その口調はやけに大げさで、どこかうつろで、そして、星のない夜に浮かぶ月のように、寂しそうに聞こえた。

 そんな先輩に対してなんと声をかけようか逡巡しているうちに、またスイッチが切り替わったように真剣な表情が戻った。

 

「それより、真由ちゃんの件、何か力になれることはない? 古賀くんにはキタローを助けてもらった恩もあるし、今度は私が助けになりたいな」


「いやいや、あの件は俺がキタローを譲ってもらった時点でもうチャラですよ。それに、小早川がそれを望んでるかどうかだってわからないですし、余計なお世話なんてしたくないです」


「『したい』って、顔に書いてあるのに?」


「『死体』の間違いじゃないですか?」


「うまいこと言えなんて言ってない」


 ひとしきり笑い合った後、俺は現在までに至る経緯を先輩に話した。

 先輩は終始真剣な表情で俺の話に耳を傾け、否定も肯定もせずにずっと相槌を打っていた。


「……なるほど。それは確かに、古賀くんでなくても心配になるね」


「はい。だから、なんとかしてやりたいってのはあるんですけど……」


「古賀くんの言う通り、自分が良かれと思ってやった行動のせいで問題が余計に悪化するんじゃないかっていう心配は確かにあるよね。そういう悩みって、簡単には他人に打ち明けられない上に、時間が経てば経つほど干渉しにくくなるから、こっちとしては解決の目途が立てにくいし」


「そうなんですよ。まさにそれです」


「その気持ちはわかるよ。本当、自分の不甲斐なさが嫌になるよ」


 先輩は物憂げに目を伏せ、自嘲の笑みを漏らす。

 少し意外だった。失礼な偏見だが、仲の良い家族や友達に恵まれ、人間関係の悩みなんてギャルと撮り鉄くらい縁のない人だと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。


「でも、近いうちに二人でちゃんと話し合いをした方がいいと思うな」


「俺もそうは思うんですけど……ちょっと、放課後言い過ぎたせいで完全に嫌わてるんじゃないかって、不安で仕方ないんですよね」


「私が一席設けてあげようか?」


「どうやってですか?」


「今ちょうどタランチュラの交接しようとしててさ、バブーンのバブちゃんとブンちゃんが交接してる光景を古賀くんと真由ちゃんが二人で眺めながら、だんだん良い感じの雰囲気になってきたところで腹割って話し合うって作戦。名付けて『作戦』。 どう?」


「……ツッコミどころ満載なんですけど、まず交接って何ですか?」


「要は生殖行為!」


「要は生殖行為⁉」


「そう! 生命の神秘に触れてロマンチックなムードに酔いしれた2人はいつのまにか心のガードが下りて普段は言えない本音を素直に語り合うの! 『衣彦くん、あのね、私……』『いや、何も言うな小早川。俺から言わせてくれ。俺、本当は……』」


「バカなんすか⁉」


「あー! 古賀くんがバカって言ったー!」


「いやおかしいでしょ⁉ そういうイベントは人気(ひとけ)のない静かな夜に2人で蛍を眺めながらとか、夕日が燃える放課後の屋上で自分の悲しい過去に思いを馳せながら自嘲気味に笑う彼女を冗談混じりに励ますときとか、そういう『日常と非日常の境目で誰かの心情と情景が重なったとき』に発生するものであって、カサカサ生殖行為するタランチュラを前にして起こるもんじゃないでしょ⁉ 少女漫画8万回読み直してくださいよ!」


「すごい早口……古賀くん、意外とベタなシチュエーション好きなんだね」


「俺の好みはどうだっていいんですよ! とにかく、今はそんなことより──」


「あ、真由ちゃん」


「そう! 小早川を──え? 小早川?」


「あ……」


 油の注(さ)していない機械のようにぎこちなく振り返れば、そこには濡れた髪の小早川がいた。

 一瞬目が合った小早川ははっとしたように軽く驚いたが、すぐにばつが悪そうに視線を逸らした。やはり、放課後の件を気にしているようだ。


「お話中にごめんね。優希ちゃん、お風呂空いたんだけど……」


「りょーかいだよ。でも私、もうすぐ見たい配信始まるから、先に潤花に言ってもらっていい?」


「あ、じゃあ……私、呼んでくるね」


「ごめんねー、ありがとう」


 いたたまれないのか、すぐに踵(きびす)を返そうとする小早川。目線こそ合わせていないものの、視界の隅で俺を意識していたのがなんとなくわかったので、俺はできるだけ自然な態度で小早川に声をかけた。


「小早川」


「え?」


「アイス。冷凍庫に入ってるから、好きなの一個取っていいぞ」


「いいの?」


「帰りに全員分買ってきたんだ。その……安くなってたから。早いもの勝ちだから好きなの取っていいぞ」


「みんなに当たるの⁉ やったー! 古賀くん神だね!」


 ソファから勢いよく立ち上がった先輩は、その勢いでぴょんぴょんと跳ねながら強引に小早川の両手を握った。ぶんぶんと両手を振り回された小早川は、先輩のはしゃぎように困惑しながらも表情に穏やかな微笑みが戻っていた。


「ごめ……あ、違……ありがとう、衣彦くん」


「ん。湯冷めするなよ」


「うん。アイス、もらうね」


 居間を出る間際に俺と目を合わせた小早川は、一瞬見惚れてしまうほど可憐な笑顔だった。

 俺はそのまま軽快な足取りで廊下に出た小早川の背中を見送り、トントンとリズム良く階段を昇る音に耳を澄ます。


「潤花ちゃーん、お風呂いいよー」


 やがて2階から聞こえてきた小早川の声を聴いて、俺は大きく溜め息を吐いた。

 本当に……厄介だ。

 もっと自分勝手で、不満と不機嫌で周りを省みないようなやつだったらいくらでも見限ることができたのに。

 ……こんなはずじゃなかったんだけどな。


「じーー」


「…………なんすか」


 気が付くと、後ろ手を組んだ先輩が俺の顔を覗き込みながらニヤニヤほくそ笑んでいた。猫みたいな口しやがって。腹立つな。


「青春同居ラブコメ、始まっちゃうのかにゃ~?」


「猫みたいな口しやがって。腹立つな」


 心の声が漏れた。


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