第2話 up! up! my Friend ⑬
部屋に戻った俺は、キタローにエサをやりながらここ最近の出来事を振り返っていた。
伊藤下宿に住むようになってから早一週間、絶対に関わるまいとしていた女子たちとの共同生活だったが、まさか俺がこんな奇妙な虫を飼い始めたり、やる気なんてまったくなかった副委員長に立候補したりと、当初の決意とは真逆の方向で彼女たちとの関わりを深めてしまっているなんて、一体誰が予想できただろうか。
女なんて、関わるとろくなことがない。
幾度となく唱えてきたその戒めが、ここにきて揺らごうとしている。
「……起立、礼」
それは、なんてことのないただの号令。
けれど、そのたった二つの言葉のために、人知れず苦痛に耐えていた少女の顔が浮かぶ。
「あー……くそ」
頭をぐしゃぐしゃと搔きむしる。
緊張と不安でクラスメートから嘲笑の的になっている小早川を見ていると、忌々しい記憶を思い出してしまう。
ふと視界に、本棚代わりのカラーボックスに詰め込まれた数々の本が目に入った。
段ボール4箱分ほどある俺の蔵書の中には幅広いジャンルの漫画や小説、雑誌、そして、自己啓発本がところ狭しと並べられている。
『傾聴コミュニケーション~7つの好転~』、『複眼の思考』、『MIT超人気講義 セルフイメージ・ハッキング』、『偉人たちの名言セラピー』、『超雑学辞典』、『起こせる奇跡を夢と呼ぶな』。
こんな本、捨てればよかった。
馬鹿の一つ覚えみたいに並ぶ綺麗事や美辞麗句。それらを藁にも縋る思いで読み漁っても、結局何一つ変わらなかった。
習い事も、人間性も、恋愛も。何一つ思い通りになんかいかない。
認めたくなかっただけで、本当は気付いていた。
小早川の失敗を誰よりも期待していたのは他でもなく、俺自身だったのだ。
──ピコン、ピコン、ピコン。
スマホの通知が鳴ったので確認すると、みずほ姉ちゃんからだった。
『これ、みんなの連絡先!』
みずほ姉ちゃんから送られてきたのは、頼んでいた下宿生全員の連絡先だった。
『ありがとう』
お礼のメッセージを送り、嘆息する。
これでもう後戻りはできないところまで来てしまった。
『真由、大丈夫そう?』
『どうだろうな。正直わからない』
『そっか……』
『けど、希望がないわけじゃない』
『希望?』
『ドヤ顔で語って失敗したらみっともないから、明日まで黙っておく』
『何それー笑』
『今さらだけど、みずほ姉ちゃんまで巻き込んでごめん』
『笑』
『え、笑うところ?』
『巻き込むって変な言い方! まゆのためにあげるだけだよ』
『いや、それにしてもみずほ姉ちゃん忙しいのにさ』
『それを言うなら、先に巻き込んだのは私の方じゃない?笑』
……言われてみれば。
もとはと言えば、みずほ姉ちゃんがいつぞやの『なんでもいうこときくけん』で俺を副委員に立候補させたことをすっかり忘れていた。猛烈に恥ずかしい勘違いだ。
『ってか本当、よくあんなの取っておいたね』
『いつ使おうかってずっと迷ってたからね。今回はちょうど良いタイミングだったよ』
『自分のために使えば良かったのに』
『使ったよ。私も真由をなんとかしてあげたかったし、困ってる人を助ける衣彦が見たかったんだもん』
文字を打つ指が止まる。
この人は、本当に返しにくいことを言ってくるな……。
『でも、私があんなことしなくても、衣彦は手を上げてたでしょ?』
『まさか。俺がそんなことするわけないでしょ』
『どうだろうねー笑 衣彦そういうところあるからなー』
「……どういうところだよ」
含みのある物言いに、思わず苦笑いする。
直接問い詰めたい気持ちもあるが、これからやらなければならないことも控えているのでしばらく他愛のない話をしてそれとなくやり取りを終わらせた。
『追伸 そういえば直、自分のせいで衣彦が空手を辞めたって気にしてるみたいだったから、そんなことないよって言っといたから!』
最後に送られてきたメッセージにはそう書かれていた。
ありがたい。よく言ってくれた。
俺が空手をやめたのは、俺を冷やかしてきた道場の先輩に直が食ってかかり、直と2人で取っ組み合いの喧嘩に発展したことが原因だった。
確かにそれがきっかけではあったのだが、もともと俺は何かと嫌味を言ってくる道場の連中が嫌いだったこともあり、図らずもやめる口実をくれた直にはむしろ感謝すらしているくらいだ。
「俺も……小早川のこと、偉そうに言える立場じゃなかったな」
スマホの画面をフリックしながらため息を吐く。
結局俺は、周りに助けられてばかりだ。
『いろいろ理屈こねてるけど、お前は結局困ってるやつのことを放っておける性格じゃないんだよ』
直はそう言っていたが、やはり誤解がある。
俺は誰かが困っているからという理由で行動するような善人じゃない。
いつも、周りにいる人達と対等な人間でありたいだけだ。
だからこれから俺がやることも全部、利己的な俺の自己満足。
優しさなんかじゃない。
スマホに、小早川の名前が映った。アイコンはビーグル犬のキャラクターのラテアート。小早川らしくて可愛かった。
身内以外の異性に電話をかけるなんていつぶりだろうか。
心臓がドキドキと高鳴る。目の前で話すのはなんともないのに、変な緊張があった。
「────よし」
俺は意を決して通話ボタンを押す。
通信中のメロディが鳴り──ややしばらくして、小早川が通話に出た。
『──も、もしもし?』
「あ、俺。古賀だけど……今、大丈夫か?」
『う、うん……っ』
「……?」
何か、小早川の声色がおかしい。震えているような息遣いだった。
「どうした? 本当に大丈夫か?」
『えっと、違うの、その、今ね……仰向けでスマホ見てたら、急に電話が来たからびっくりして、スマホ落としちゃったから……思いっきり顔に当たったの。痛くて……ふふ』
拍子抜けするほど滑稽な理由に、思わずガクっと肩を落とす。緊張してた自分がバカみたいだ。
「ドジ」
『ほんとだね』
小早川はくすくすと笑った。
まるで放課後の一件がなかったかのように穏やかな口調。このまま取り留めのない話を続けて、笑い合って、また明日、と言って電話を終わらせることができれば、どんなに楽だろう。
「小早川、その……」
だが、それは逃げだ。
俺はちゃんと、小早川に向き合わなければならない。
「ごめん。実は……今日のこと、謝りたくて電話したんだ」
『え……』
「放課後……俺、機嫌悪くなって、小早川にきつく当たっただろ。そのこと」
『……ううん。大丈夫』
小早川は小さな声でそう囁いた。言葉とは裏腹に弱々しい返事だった。
「小早川、この前俺に姉ちゃんがいるって話したの覚えてるか?」
『うん』
「身内の自慢になるんだけど……俺の姉ちゃん、すごいんだ。周りから神童って呼ばれるくらい何でもできてさ。身内の贔屓(ひいき)なしで見ても美人で、成績はいつもトップで、子供の頃から習ってた空手は全日本の大会で何回も優勝してて」
『すごいね、お姉ちゃん』
「あぁ、俺も鼻が高いよ。それで俺も、そんな姉ちゃんに憧れて姉ちゃんの後を追うように空手の道場に通ってたんだけど……姉ちゃんと比べたら全然いい成績残せなくてさ。そしたら道場の先輩達が、俺を『出来損ない』とか言って、嫌がらせしてくるようになったんだ」
『え……』
ここから先は、下宿に来てから初めて打ち明ける話だ。
「ちょっとした失敗でいちいち上げ足取ってくるし、人より劣ってるところはでかい声で晒されて……最初は適当に流してたんだけどな。でもそいつらは《古賀の弟をけなしていかに自分
が注目を浴びるか》を仲間内で競い合うようになって、俺も俺で、そいつらの野次を鵜呑みにして『あいつらの言う通りかもしれない』って、自分のことを責めるようになってた。結局その連中が俺に絡んできたのは、俺が周りから一目置かれてる人達と仲が良いのが気に入らなかったっていう、くだらない嫉妬が原因だったんだ。俺はそんなやつらのことを真に受けてたのかって気付いたときは本当に悔しかったし、バカらしくなった」
『…………』
「それで今日、小早川が『自分はダメだ』って言ったとき、その頃のことを思い出してカッとなったんだ。小早川には全然関係ないことなのに、勝手に昔の自分と小早川を重ねてさ。だから、ただの八つ当たりなんだ。ごめん。小早川は俺と違ってダメなやつなんかじゃないって、ただそう言いたかった」
『古賀くん……今も、自分のことが好きじゃないの?』
「嫌いだよ」
即答する。
「上から目線で他人を見下すくせに、自分が努力して成し遂げたものは何もない。人に誇れるのは周りの人たちに恵まれてるってことだけで、それは自分自身の価値じゃない。いつも誰かのオマケとして生きてきた。それは多分、これからも変わらないと思う」
『……私も、衣彦くんと同じ』
「小早川はそんなことないだろ」
『ううん、同じだよ。ずっと、実由と比べられてきたことも、周りの人からの扱いも……自分のことが、嫌いなところも』
「でも、昔はそうじゃなかった。そうだろ?」
『それは……』
「小早川……昔、妹の代わりに、テレビの番組に出たことあるか?」
『え……っ』
「さっき、気になる動画見つけたんだ。生放送の企画で、スタジオ近くに通りかかった芸能人を捕まえてインタビューするような内容で……それに、ウェカピポが出てた」
『その動画……全部見たの?』
「あぁ……やっぱり、あれに出てたのは小早川だったのか」
『……うん』
「そっか。ってことは、小早川が人前で緊張するようになったのも、あれが原因か」
『………………うん』
薄々勘付いていたとはいえ、いざ小早川の口からその事実が告げられるとやはりやるせない気持ちになった。
動画の中で見た、あの痛々しい泣き顔。
その件で小早川がどれだけ深く傷付いたのか俺には想像ができないが、少なくとも今もこうして過去に負った傷に囚われている小早川を見ると、それが決して過去の出来事という話だけでは済まないことくらいはわかる。
「あのさ小早川……できたら、で良いんだけど」
だが、それじゃあまだ、不十分だ。
「話、聞かせてくれないか? 小早川がどうしてその番組に出たのか。どうして……小早川だけが、そんな思いしてるのか」
『…………』
先ほどから口数が少なくなってきた小早川が、とうとう沈黙した。
これだけ根深い悩みだ。過去のことを軽々しく話せないのは当然だろう。
そもそも小早川にとって俺が心を開くに足る存在として認識されているかどうかも怪しいのだ。この申し出を拒否されることだって充分にあり得る。
もしそうなったら……俺が、当初望んでいた不干渉な関係に戻るだけだ。
表には出さないよう、内心緊張しながら小早川の返事を待っていると──
『真由は優しい子。実由は元気な子』
「え?」
『お母さんがね、そう言ったの。私たちがそうしていれば、誰が見てもすぐに私たちを見分けることができるからって』
淀みのない声で、小早川は話し始めた。
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