第2話 up! up! my Friend ⑪
「──で、自分を棚上げにして説教したことに自己嫌悪してるってこと?」
「……まぁ、そんなとこ」
駅前のカラオケの個室で、俺は選曲の合間、直に放課後の出来事について話した。
ズズズ、っとメロンソーダを飲み干しながら直が呆れたように半眼で俺を見る。
「そういうのなんて言うか知ってる?」
「え、何?」
「バカ」
「お、おまっ……! ──やっぱそう思う?」
「超思う。気にすんなら言わなきゃ良かったのに」
「いや、そうなんだけどさ……」
「スポーツやってるやつ全員が人生賭けてプロ目指してるわけじゃないのとおんなじでさ、きっとあの眼鏡っこが言ってる『変わりたい』は、衣彦が想像してる『変わりたい』っていう気持ちとは質が違うんだろ。人に『価値観を押し付けるな』とか言ってたことがブーメランになったな」
「ぐぅの音も出ない……」
「でもまー、俺も衣彦寄りの意見だけどな。知ってる顔が『変わりたい』って言ってるんなら、なんか協力してやるかって気になるしな」
「人をバカ呼ばわりして結局同じ意見か」
「中途半端なことしてウジウジしてるから言ったんだよ。俺が衣彦の立場だったら、そこで思ってること全部言うよ。それで嫌われたらその話は終わり。でも、俺はあいつを絶対に『変わった』って思わせる自信があるから言うんだ。できもしないことをできるなんて言わねーし、自分ができないことを相手にやれなんて言わない」
飲み干したグラスをテーブルに置いた直の手が目に入る。手入れの行き届いた顔周りの肌ツヤとは違い、指先にはところどころひび割れや皮膚が硬くなっている箇所があった。
「お前……すごいな」
「すごくはねーよ。まだ全然思うようにいかねーもん」
直は、自分の信念にまっすぐだ。
美容師になる夢や目標がはっきりしていて、それに向かって毎日努力を惜しまない。俺が小早川に感じていたもどかしさの中には、そういったストイックな幼馴染みたちに囲まれて『がんばりたいならそれくらいの努力は当然』という強い思い込みがあったかもしれない。
「ま、何か手伝えることあったら言えよ。手貸すから」
「は? 何が?」
「助けるんだろ? なんて言ったっけな、あの眼鏡」
「俺が、小早川を?」
「おぉ、それそれ。小早川」
「いやいや、何で俺があいつを助けなきゃならないんだよ。副委員だって、みずほ姉ちゃんに脅されたからやっただけだし。小早川とはたまたま下宿が一緒になっただけで、そんな仲良くないし」
「めんどくせーやつだな。どうでもよかったら今頃そんなに悩んでねーだろ」
「悩んでなんてない……多分」
「さっきまでずっとしみったれた曲ばっか歌ってたくせに」
「え、あれ? そうだっけ……?」
全然気付かなかった。言われてみれば確かに。
「俺のときだってそうだったろ。いろいろ理屈こねてるけど、お前は結局困ってるやつのことを放っておける性格じゃないんだよ。そういう優しいところに自信持てばいいのに」
「……俺は別に優しくないし、もうあの頃の俺じゃない」
「いや、全然変わってねーよ?」
あっさり否定されて反論しようとするが、思った以上に小早川のことを引きずっている自分に驚いてしまい、とっさに言葉が出ない。
そんなとき、直の背後のモニターで音楽番組が始まり、ウェカピポの面々が映し出されたことに気付く。まずい、目ざとい直に今こばゆの顔を見られたら、小早川がこばゆと双子である事実に勘付いてしまう。
「ってか、お前だって俺のことよりも自分のこと気にしろよ。学年総代とはどうなったんだよ?」
「いや、それは別に……いいだろ」
「シャイかよ」
言葉を濁す直に手応えを感じる。よし、このままうまく話を逸らせそうだ。
「うるせーな、いつも周りに人いるから手も足も出せねーんだよ」
「やっぱシャイじゃねーか」
「お前だって人のこと言えないだろ」
「まぁな……あ。ってか、みずほ姉ちゃんに連絡先聞いたらどうだ?」
「あいつ変なところ真面目だから教えてくれなさそうだし、冷やかされそうだからなー」
「冷やかすっていうか、ガンガン突っ込んできそうだな。恋バナ大好きだし」
「うわー、わかる。会うたびすっげー目キラキラさせて『どうなった? ねぇどうなった?』とか聞いてきてな」
「目に浮かぶ」
立ち上がり、空になった自分と直のグラスと回収する。
「メロンソーダでいいか?」
「そういうとこ。優しさ♡」
「わかった、泥水な」
「濃いめで頼むわ」
笑い合って部屋を去り、ドリンクバーの方へと向かう。
なんだかんだ直に上手く乗せられているような気もするが、もう一度ちゃんと小早川と向き合った方が良いのだろうか。
小早川が望んでいる変化に、俺の歩調を合わせる。
簡単なようで、とてつもなく難しい。
……いやでも、そもそも頼まれてもいないのにそんなにしゃしゃり出るのはお節介を通り超して迷惑だよな。そういうのは信頼関係の上で成り立つものだし。じゃあ放っておくかという話になるが、それも気持ちの収まりがつかない。
こんなとき、龍兄なら……
「──え」
廊下を歩いている最中、たまたま通り過ぎた個室の中に、一瞬どこかで見た覚えのある姿があった。
見覚えのある制服。短めのおさげ。そして極端に長い前髪と分厚い瓶底眼鏡。まさか。
「小早川……⁉」
やっぱりそうだ。間違いない。
小早川は真剣な表情でリモコンを操作している。
俺は小早川の視界に入らないよう細心の注意を払いながら部屋の中を覗く。悪趣味極まりない行動だったが、放課後の件もあって気になって仕方がなかった。
あいつ、何でこんなところに……っていうか、一人で来たのか?
見たところ小早川以外に人がいる様子はない。一人で来るほどカラオケが好きなのか、それとも、俺に説教されたストレスをここで爆発する気なのだろうか。あの温厚な小早川に名指しで糾弾されたら7日間は食欲が減退しそうだ。
そんな不吉な妄想を膨らませていると、小早川がリモコンを置いてゆっくり立ち上がり、曲のイントロが流れ出した。
「この曲……」
部屋の外に漏れてくるその聞き覚えのあるメロディーは、最近耳にタコができるほどよく巷で流れる人気曲、ウェカピポの『up! up!』だ。
小早川が珍しく不満の感情を向けていた妹の歌うこの曲を選んだ理由も腑に落ちないが、それ以上に、さっきからマイクを持たずに立ち上がり、メロディが流れても一向に歌う気配がないのが不可解でしょうがなかった。
「あいつ、何してるんだ……?」
もしかしたら、あえてマイクなしで歌っているのかと不審に思い耳をすませてみると──確かに聞こえた。
『……──つ、れい……!』
「っ……⁉」
確かに聞こえた。
『きり……つ……い……!』
大きめの音量で流れる曲の合間。途切れ途切れで聞こえる小早川の声。
小早川は、叫んでいた。
起立、礼。
そのたった2つの言葉を、何度も繰り返して叫んでいた。
「小早川……」
『……つ……! れぃ……!』
か細い声が、今もなおドアの向こうから漏れてくる。
up! up! この街の 夜の闇を超えていけ
何も感じていないはずがなかった。
小早川はずっと一人で戦っていた。
up! up! 私たちの 不確かな迷いだって
周りから呆れられて。己の不甲斐なさに傷付いて。
up! up! 向かい風の世界でも もう一人じゃない
誰の目にも入らないこの場所で、たった一人で号令をかけ続けていた。
まだ見えない答え 拳握り 探しに行こう
『きり……つ! れい……!』
直の言う通り、俺はバカだ。
小早川が、こんなにも必死になっていたことに、何も気付いてやれなかった。
どうして信じてやれなかったんだろう。
変わりたい。
その気持ちが嘘じゃないとわかっていたのに。
俺だって、そう思っていたはずだったのに。
「あの……お客様……」
「──え」
突然、声をかけられて我に返る。
話かけてきたのは、あからさまに訝しげな態度のカラオケの店員だった。
「…………」
俺はため息を吐き、無言で姿勢を正した。
両手に空のコップを持ちながら、目に涙を浮かべながら他人の個室を覗いているこの状況。
どう見ても、言い訳ご無用の不審者だ。
「ご迷惑になりますので、そういった行為は……」
窮地に立たされた俺は、大きく深呼吸をして目を閉じた。
「パ……パト……」
「は?」
冷たい視線が突き刺さる。
「パトラッシュが……‼」
俺は泣きそうな声で吐き捨て、ダッシュで駆け出した。
「パト──え⁉ お客様⁉ お客様っ⁉」
店員は追って来なかった。
『通りすがりの個室からフランダースの犬の主題歌が流れ、昔死別した親友でもある飼い犬──奇(く)しくも同じ名前のパトラッシュとの思い出がフラッシュバックして激しく感情を揺さぶられた思春期男子』という脳内設定の客を装った作戦が功を奏したのかもしれない。多分。
走りながら俺は考える。
小早川は今、一人だ。
誰にも言えない苦しみを抱えながら、何をすればいいかもわからず、こんなところで一人で叫んでいる。
話をしなければならない。
変わる必要があったのは小早川だけじゃなかった。
──俺もだ。
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