第2話 up! up! my Friend ⑩
「……この量を『そんなに時間はかからない』って、思考がブラック企業に汚染されてるのか?」
「す、すごいね」
スガセンの案内に従うまま、放課後の印刷室に訪れた俺たちはクラス全員分に配る予定の参考書と段ボールの山を見て絶句した。この書類を運ばなければならない4組は4階。対して、この印刷室は2階。バリアフリーとは程遠い我が清祥第三高校にはどうやらエレベーターなる文明の利器は存在しないらしく、これらの書類の山を2人で往復して運ばなければならないようだった。
戸惑う学級委員2人を尻目に『終わったら帰っていいから、よろしくな』と極めて無責任な一言を残して立ち去った親愛なる我らが担任に対して軽く殺意が芽生えそうになる一方、彼のどこか世間ずれしていそうな性格から薄々こうなる気はしていたので、俺は半ばあきらめのような気持ちでため息を吐いた。
「まぁ、学級委員の仕事なんてこんなもんか……小早川も損な役回り引いたな」
「でも……」
げんなりしている俺の横で、小早川は書類の山を見つめながら、ぽつりと呟く。
「誰かが嫌々やらなきゃいけなかったなら、私でよかった」
「……あっそ」
素っ気ない返事になった。
表面的には立派なことを言っているように聞こえる。
だが、自分が犠牲になることを肯定的に捉えるのは違う。
小早川は『変わりたい』と言った。
なのに、小早川はまた、誰かの代わりになろうとして、抱える必要のないものまで抱えようとしている。
綺麗事みたいな言葉で自分の気持ちをごまかしたって何も変わらない。小早川はそれをわかっているのだろうか。
「それより、早く終わらせようぜ」
山ほど言いたい文句の代わりに一言だけ言って催促する。
俺に小早川をとやかく言う資格はないのだから、黙って見守るしかない。そう自分に言い聞かせながら、黙って手を動かすことにした。
「うん……」
山のように積みあがった書類は四、五回ほど往復してようやく片付いた。
クフ王のピラミッドを建設する奴隷はこんな気持ちで働いていたのだろうか。遠い過去の歴史に思いを馳せてしまうほどの苦行を終えた俺たちは、教室で外の景色を眺めながら一息ついていた。
グラウンドではサッカー部が大きな声を出しながら練習をしていて、どこからともなく吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。どちらもお世辞にも上手いとは思えないが、目に映るありとあらゆるものに不満を垂れるだけの俺とは違い、日々汗水流しながら部活動に勤しむ連中のなんと眩しいことか。嫌味抜きで良い青春を過ごしていると思う。
いつもベスト8止まりだった空手。すぐ辞めたサッカー。第一志望だった高校をぶん投げた受験勉強……俺の場合、過去を振り返ってみるとどれも中途半端に終わった記憶しかない。
『お前、イズミとは大違いだな』
『本当にあいつの弟か?』
ふいに耳障りな声がフラッシュバックした瞬間、
「──衣彦くん」
小早川に呼びかけられ、意識は急に現実へと引き戻された。
「……何」
「あの……ごめんね」
「何が?」
「衣彦くん……本当は副委員、やりたくなかったのに……私のせいで、やることになったんだよね……?」
「…………」
「だから、その……ごめん……」
「そうやっていちいち謝ってると、周りから舐められるぞ」
「あ、ごめ、あ……うん」
「別に、小早川のために手上げたわけじゃないからな。あのしょうもない連中の誰かがなったってストレス溜まるだけだから、それなら俺がやった方がまだマシって思っただけだ」
「……そう、なんだ」
「それより小早川。ちょっとそこの、自分の席のところ行って」
「? う、うん」
小早川は言われるがまま自分の席に向かい、俺は教壇の前に移動した。
「そこで号令やってみてくれ」
「え、えっと……」
「練習。やってみ。きりーつ、れい。これくらいの音量で」
「……きりつ、れい」
「聞こえない。もう一回」
「きりつ…! れい……!」
「まだ聞こえにくい。本番はもっとうるさい環境でやらなきゃいけないんだぞ。これくらい出せ。きりーつ! れい!」
「き、きりつ……! ……れい! ──っけほ! けほっ」
「……今ので、やっと普通」
ウソを吐いた。
息苦しそうにむせる小早川だったが、その必死さとは裏腹に、とても教室の喧噪の中で伝わるような声量ではなかった。何度も繰り返してようやく、気付いてもらえるかどうかだろう。
「今ので、やっと……」
「おう」
「そっか……」
小早川は自嘲気味に笑った。
「私の《やっと》は……全然ダメだね」
「…………」
「がんばったつもりでも、うまくできないし。みんなにも、迷惑になってる」
誰に言うでもなく、乾いた笑い交じりで呟く小早川の声が震える。
「私、ダメだね。やっぱり……委員長も、やめた方がいいのかな」
喉の奥が熱くなった。
「実由だったら、こんなことで苦労しないのにな」
「なぁ」
堪え切れず、食い気味に言う。
「その愚痴、一生言い続ける気か?」
「え……」
「お前が小早川実由の姉なんて事実、この先ずっと変わらないだろ。そんなことより、もっと自分のことを気にしろよ」
「っ……!」
「小早川はどうなりたいんだ? どうしたいんだ? それがハッキリしてないのに『変わりたい』なんて言ったって、行き先もわからないまま迷子になるだけだろ。もっと自分の気持ちに向き合って、具体的に何をすれば良いのか考えないと、一生そのままだぞ」
小早川は何かを言いかけてためらい、口をつぐんだ。怒っているのか、悔しがっているのか、何かに堪えるよう、ぐっと下唇を噛みしめている。それを見て俺も我にかえる。
「……わり。『そんなこと』ってのは、言い過ぎた」
「…………」
小早川はうつむいたまま、力なく左右に首を振った。長い前髪が揺れ、分厚い眼鏡越しに隠れた小早川の瞳からは、感情の色が読めない。
これなら、いっそのこと怒って言い返してくれた方がまだ気持ちは楽だったかもしれない。
そのとき、ピコン、とスマホの通知が鳴った。確認してみると案の定、直からの連絡だった。
『終わった?』
『と思う』
『学校出たら教えて』
『了解』
短いメッセージを交わし、俺はおろしたての学生鞄を持つ。
「俺、このあと用事あるから、先に帰る」
「うん……」
「……気を付けて帰れよ」
それだけ言い残して、俺は逃げるように廊下へ出た。
もう女とは馴れ合わない。関わらない方がお互いのためになる。
そのつもりだったのに。
「……はぁ」
スマホを握り締め、ため息を吐く。
後味が悪い。
やっぱり、余計なことを言うんじゃなかった。
窓の外からはいまだにサッカー部のかけ声と、吹奏楽部の演奏が響いていた。
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