第2話 up! up! my Friend ⑨
何事においても、練習さえしていないことを本番でできるわけがない。
委員長・小早川真由の初日の仕事ぶりは、惨憺(さんたん)たるものだった。
まず、声が小さい。それに、声も小さい。さらに言うと、声が小さい。
起立、礼。
その一言があまりにも聞き取りにくいため、授業の開始と終了が滞(とどこお)る場面が多々あった。そのたびみずほ姉ちゃんが率先して立ち上がったり、俺が代わりに号令をかけたりするなどのフォローをしたが、それでも一部のクラスメートから小早川への冷ややかな視線は避けられなかった。問題はそれだけではない。やはり大勢に見られるとガチガチに緊張するらしく、プリントを配る場面で手が震えて床に大量のプリントの束をぶちまける、教科担任から話を振られて噛みまくり失笑を買うなど、共感性羞恥で見ているこっちの方の胸が痛くなってしまった。
そして迎えた昼休み。
『みんなでご飯食べよ!』というみずほ姉ちゃんの提案のもと、俺は自分と小早川の席を向かい合わせて3人で机を囲うように座った。
下宿でも一緒なのにわざわざ学校まで来てこんなことしなくても……と、思ったのは一瞬で、疲労困憊(ひろうこんぱい)な様子の小早川を見てすぐにみずほ姉ちゃんが気を遣ってそう言ったのがわかった。
「……大丈夫か?」
「うん……」
全然大丈夫じゃなさそうな声色で、小早川は答える。
それとは対照的に、クラスの女子たちは同じ地元や共通の趣味をもつもの同士が集まって早くもグループを結成して教室でにぎやかな談笑をしている。
「ウェカピポ好きなの⁉ 私昔からファンだよ! こばゆ推し!」
「ほんとに⁉ 私もこばゆ推しー!」
「やっぱこばゆだよね! ケイトやエマも大好きだけど、こばゆがいてこそのウェカピポって感じするし。歌番とかのトークも、こばゆがいるおかげで回ってるようなもんだしね」
「わかる。こばゆほんとすごいよねー。可愛いし話も楽しいし、人生イージーモードなんだろうなぁ」
「でも、こばゆも昔は苦労してたんだよ。まだ駆け出しの頃、生放送中にこばゆがいきなりテンパって泣き出したりして。もう、その頃から見たら今は別人みたいでさ……」
喧噪の合間に時折聞こえるウェカピポの話題。テレビ番組や動画の中だけではなくこうした日常の一角でこんな会話を耳にすると、改めて国民的アイドルと称されるウェカピポの人気を実感する。
「真由、ちょっとずつ声出るようになってるから、もう少しだよ」
みずほ姉ちゃんが食べ終わった弁当箱を片付けながら優しく言う。
「ごめんね……迷惑かけて」
「いいのいいの、どんどんかけて。真由にかけられる迷惑なら大歓迎だよ」
前世でどんな徳を積んだらそんな言い回しができるんだ。
俺はさきほどみずほ姉ちゃんから回収した『なんでもいうこときくけん』を見つめながら、二人の会話に口を挟む。
「小早川は、何で学級委員をやろうと思ったんだ?」
「変わりたい……って、思ったから」
それは、昨日の朝も言っていた小早川の願い。
志(こころざし)は立派だし、応援はしたい。だが、今日の有様を客観的に見るとこのままではとても良い方向に変われるとは思えない。
今の小早川は向かうべき方向も、必要な努力も何も見えないまま、ただ漠然とした目標に向かってただ突き進んでいるだけだ。
せめて号令や人と会話するくらいは堂々として欲しいものなのだが、それをどう教えて、なんと伝えればいいものか……悩ましい。
「あのな、小早川……」
「おーっす、昨日ぶりー」
突如現れた不意の闖入者(ちんにゅうしゃ)──木下(きのした)直(すなお)は、教室中の注目を集めながらそれを気にも留めず、堂々と近付いてきた。
小柄な体躯に中性的な顔立ち。パッと見で女子に見間違いかねないその見た目とは裏腹に、爬虫類を思わせるつり目気味の三白眼からは芯の通った気の強さが醸し出ている。
驚くべきはその派手な髪型で、アシンメトリーの前髪をサイドに流し、もう一方の片側は螺旋状に編み込まれてピンで固定されている。髪全体は煌々と明るく光を反射しており、誰がどう見てもわかるくらい、茶髪に染まっている。ヴィジュアル系バンドマンの隣に並んでもなんら違和感がないだろう。
「直、行儀悪い。それとその髪、先生に怒られなかったの?」
「あー、なんか言われた。けど、停学って言われてないから大丈夫だろ、多分」
歩きながらパンを頬張っていた直はみずほ姉ちゃんにたしなめられて大人しく食べるのをやめ、当然のように俺の膝の上に座った。みずほ姉ちゃんは呆れたように半眼で直を見ていた。
「俺も全然だけど、お前もクラスに友達できなさそうだな」
「できるわけねーだろ、こんなんだぞ」
「胸張って言うな」
あっはっは、と他人事のように笑う直だったが、それを気にして引け目に思っている素振りも皆無で、ある意味では我が道を進んでいるとも言える。
「そういえば今日、本当にカラオケ行くの? 龍は微妙って言ってたけど」
「行く行く。龍のやつは結局用事で行けないって言ってたから、俺と衣彦だけな」
「一応キャプテンも誘ったけど、やっぱり練習あるってさ」
「……本当、4人とも相変わらず仲良いね」
「みずほも来れば良いじゃん。泉にも声かけて行こうぜ」
「下宿の仕事あるから急に誘われても難しいもん。泉は今日も稽古のはずだから無理だよ」
「まぁ、みんな忙しくてもなんだかんだ月イチは顔合わせてるし、別に今日慌てて人集めなくてもいいだろ。来月キャンプもあるし」
「そっか、もう来月なんだね。なんだかあっという間だな。衣彦も直も高校生になったなんてまだちょっと実感湧かないもん」
「俺もみずほ姉ちゃんと同じクラスっていう状況、しばらく違和感続くよ」
「だよね! 私も思う! 今までずっと私がお姉さんだったのに、追いつかれちゃった気分」
「……なぁ、みずほも衣彦も、なんか部活に入る予定ねーの? 確か、明日から見学できるとか龍が言ってたよな」
「私は無理ー。手回らないもん」
「衣彦は? 空手部もあるんだってよ」
「……空手はもういい。っていうか、ここの空手部って伝統派だろ? 俺らがやってたのと違うし」
「違うから良いんだろ。ま、興味ねーなら良いんだけどさ。俺も入る予定ねーし」
何で違うのが良いんだと聞き返そうとしたが、直はその話は終わりと言わんばかりに再びパンを咀嚼(そしゃく)し始めた。
「衣彦も副委員の仕事で忙しいからね、仕方ないよ」
「ふーん、副委員…………ん? 副委員って、誰が?」
「衣彦」
「え? 衣彦?」
「うん。ね?」
ね? じゃねぇよ。あんたがやれって言ったんだろ。心の中でみずほ姉ちゃんに悪態を吐きつつおそるおそる直の顔を見ると、案の定、まるで見たことのない宇宙人を見るかのような目でドン引きしている。
「お前、合唱の練習で『男子ちゃんと歌ってよ!』とか言ってヒスってた女子のことボロクソいじって泣かすような反社会的勢力だったのに……」
「それお前の話だろ! 俺のせいにすんな!」
「えぇ……そんなことしてたの?」
「してないからね⁉」
「どっちでもいいけどよ、どういう風の吹きまわしだよ」
「いやどっちでもよくないし、大した理由はないけど……」
俺はさっきから俺たちのやりとりを物珍しげに見つめていた小早川の方を見た。視線に気付いた小早川はハッとして目を逸らし、慌てた様子で食べ終わった弁当を片付け始めた。
「あ、ごめんね真由、内輪で盛り上がっちゃった。この子は木下直っていって、私と衣彦と、小学校の頃からの友達なの」
「ども。下宿の人?」
「あ、はい……こ……ま、真由です」
「……ん?」
小早川と視線を交わした直の目がすっと細くなる。それに対し小早川はビクビク怯え蛇に睨まれたカエルの状態だった。
「ちょっと直、女の子のことじろじろ見るなんて失礼だよ」
「ちょっと触るぞ」
「え──ひゃっ⁉」
言うが早いが、直はいきなり小早川の首元に手を伸ばし、小早川の髪を一房をすくった。
「これ、コンディショナーのあとになんかオイル塗ってる?」
「あ、は、は、はい……! 友達から、教えてもらって……」
いきなり何を言い出したかと思い直の指先をよく見ると、小早川の髪は確かに艶やかな光沢を放っている。漠然と綺麗な髪だとは思っていたが、日頃の手入れに関してまでは想像が及んでいなかった。
「爪は? 綺麗だけど、普段マニキュア塗ってる?」
「たまに……」
「そのスマホのカバーや待ち受けの画像も、全部自分で選んだんだよな?」
「っ……は、はい……」
「いや、どれもちゃんと綺麗にしてて、センス良いんだよ。似合ってるし。けど──」
直は前髪と眼鏡を指さして、責めるように言う。
「何でそんな恰好してんだ?」
「それは、その……」
「あんた、本当は可愛いだろ」
「っ⁉」
「え⁉ ナンパ⁉」
「マジか……!」
俺たち3人は同時に絶句した。
「花の一生なんて短いんだぞ? メイクして、オシャレして、普通の人が努力してやっと手に入れられることできるものを、あんたはもう、持ってんのに……なのに──何で自分からそれに泥を塗るようなことをしてんだよ。その前髪や眼鏡も、自分でもダサいってわかってやってるだろ」
まずい、止まらない。
「その恰好、自分にウソついてまでする必要あることなのか?」
「っ──」
美容師の両親に育てられた直は、その環境のせいか小学校の頃から同年代の誰よりも美意識が高い男子だった。子供の頃から「この世のすべてのブスを絶滅させる」と豪語しては学校の勉強をそっちのけでメイクや美容知識を叩き込み、幼馴染みたちの全身を半ば強引にトータルコーディネートし、挙句の果てに自らハサミを取りそこらの美容師にも引けをとらない技術でヘアカットまでやってのける、生粋の美容オタクである。
「その前髪のカットとメイク。俺に任せろよ。今より絶対可愛くしてやるから」
そして、その意識の高さの問題は、それを他人にまで求めるところにある。
「あの、それは、その……」
だからこそ、その美意識は──
「重い」
「うぉっ──⁉ っぶね!」
俺は直が体重を預けていた膝をわざとずらして、強引に話を遮った。
「初対面のやつに自分の価値観を押し付けんなよ。余計に友達いなくなるぞ」
「だって、こい……この子、マジで可愛いんだぞ⁉ おかしいと思わね⁉」
「直!」
「何⁉」
「それ以上真由のこといじめたらダメだからね」
「いや、これ、いじめじゃないだろ」
「いいから、真由に謝って」
「だから俺はただ──」
「謝るのっ!」
ぷんすかという擬音が聞こえてきそうな勢いで、みずほ姉ちゃんが頬を膨らませた。俺たち幼馴染み6人の中ではみずほ姉ちゃんが一番ヒエラルキーが高い。うかつにみずほ姉ちゃんの機嫌を損ねようものなら、後でみずほ姉ちゃん親衛隊員である俺の姉が飛んできてしばき倒される未来が待っているため、直も口ごもって口答えできなくなっていた。
「……悪かったよ。ごめん」
直がゆっくり小早川の手を離してぶっきらぼうにそう言うと、小早川ははっとしたように表情を緩めた。
「ううん……大丈夫。それより、あの……」
「?」
「褒めてくれて……ありがとう……」
「……ん」
「みずほ姉ちゃん見て。直、照れてる」
「やだ~、可愛い~♡」
「うるせーな! お前ら次髪切るとき十円ハゲ作ってやっからな!」
よそのクラスから突如現れたド派手な髪の新入生が地味系の3人組にいじられる構図はさぞかし不思議な光景だろう。さっきから感じている周囲の視線はそのせいだと思って気にしていなかったが、どうやらそればかりではないことがわかったのは、教室の外からこちらに向かって手招きしている人物が見えたからだ。
「えっと、委員長と副委員長、ちょっといいか?」
教室の扉の前にいたのは、スガセンだった。
直の髪を気にした様子を見せながらも、あくまで俺と小早川にだけ用事があるようだった。
俺は小早川に目配せして立ち上がり、二人でスガセンのもとへ向かった。
「はい」
「放課後時間あるかな? そんな時間かからないんだけど、次のホームルームで配る教科書とプリントの整理して欲しくてさ。二人でやればそんなに時間かからないと思う」
「俺はいいですけど、小早川は?」
「大丈夫……です」
「よし。それじゃあ、放課後に一度職員室に来てくれ。場所は案内するから」
スガセンが去り、俺たちが席に戻ろうとすると、クスクスと笑い声が聞こえた。
あからさまに、俺と小早川を笑っている。
文句のひとつでも言ってやりたくなる衝動をぐっと堪え、無視する。こういう連中相手に感情的になったら負けだ。
やがてそのうちの一人がスマホで音楽を流し始めた。
最近やたらよく聞くその曲は、ウェカピポの新曲だった。
up! up! この街の 夜の闇を超えていけ
up! up! 私たちの 不確かな迷いだって
up! up! 向かい風の世界でも もう一人じゃない
まだ見えない答え 拳握り 探しに行こう
ah ah lah ah ah
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