第2話 up! up! my Friend ⑥

 地獄のような休み時間が終わり、ロングホームルームが始まった。

レジュメには年間スケジュールや学生生活の心得などの予定が組まれていたが、最初に始まったのは担任の自己紹介だった。

 担任は菅田浩介(すがたこうすけ)という名前の若い英語教師で、都内の有名大学を卒業してから名の知れた上場企業に勤めた後、2年前に転職で清祥第三高校の採用試験に合格したらしい。溌剌(はつらつ)として爽やかな印象だが、言葉の節々に仲間やら絆やら聞こえの良い言葉を散りばめ、多感な十代の頃の経験がいかに人生の糧(かて)になるかを熱く語っていたのが鼻についた。

 俺は綺麗事を言うやつが嫌いだ。

特にこういう純粋でやる気に満ちたタイプはとにかく視野が狭く、平たく言えば空気を読めない。校内でトラブルが起こったときにこの手の教師が良かれと思っていたことがかえって状況の悪化を招いたケースを今まで何度も目にしてきたし、この印象を抱いた相手がその予想から大きく外れたことはなかった。よって、この担任には多くを期待しないのが正解だ。


「それじゃあ、みんな一人ずつ自己紹介していこうか」


 根暗の極まった分析をしているうちに、コミュ障の登竜門、自己紹介の時間が到来した。

 順番は出席番号順の窓側。すぐに俺の順番がきてしまう。

 みんなさっきの奇声のことは忘れて当たり障りなく聞き流してくれればいいが……と祈っているうちに、あっという間に俺の順番が回ってくる。

俺はあらかじめ考えていた無難な自己紹介を思い出し、心を無にしてそれを暗唱することにした。


「飯能の鏡丘(かがみおか)中学校から来ました古賀衣彦です。趣味は読書と映画鑑賞で、有名な作品は大体知ってます。先週からここの近くの下宿に入って自由な時間もできたんで、神保町や都内のミニシアターを巡ってみたいと思います。よろしくお願いします」

 その他広く浅い趣味の数々、身内自慢、最近引ったくり犯兼詐欺師を捕まえてヒヨケムシを飼い始めた話など、食いつきの良さそうな話題はいくらでもあったのだが、突っ込まれるのがめんどくさかったので、目立ち過ぎず、無個性過ぎない挨拶で済ませた。

 しかし、その思惑に反してクラスメートたちはざわざわとどよめき出し、好奇心溢れる眼差しが一斉に俺に向けられた。


「近くの下宿って、あの総代の子と一緒?」


「あー……いますね、なんか」


 何かと思えば、それか。

 潤花が檀上で下宿暮らしをしていることに触れていたのを思い出す。

どうやらクラスメートたちの関心はそちらに寄せられているらしい。


「え、すご! 同棲だ⁉」


「いや、ただの下宿なんで」


「あの子、普段はどんな感じなの?」

 

「ジャイアン。あれはマジで、顔の良いジャイアン」


「いいじゃん! 嫌なら俺が下宿住むから変わってよ!」


「自分の居場所は自分でつくってください」


 教室のあちこちから矢継ぎ早に飛んでくる突っ込みを多球ノックのような気分で打ち返す。

 その質問はどれも潤花に関するものばかりで、俺に対する質問は皆無。いつも通りかつ予想通りだったのでもはやなんとも思わないが。

 そうこうしている内に俺の自己紹介は終わり、後続のクラスメートたちによる毒にも薬にもならない挨拶の後、やがて小早川の順番が回ってきた。

 果たして無事にやり過ごすことができるだろうか。気になって隣を見ると、明らかに小早川の様子がおかしいことに気付く。

 小早川は、まるで真水を浴びたように全身を震わせ、顔が真っ青になっていた。

 どう見ても緊張している。もはや嫌な予感しかしない。

 大丈夫……じゃないよな、これ。

 俺は鞄からポケットティッシュを取り出し、なるべく小早川の方を見ないようにして自己紹介に耳を傾けた。


「に、に……から……ました……こ、こば……こ……っ」


 まずい。

 隣の席にいる俺でも、全っ然聞こえない。

 うつむきながら手を震わせ、額に汗を浮かべている小早川の横顔は、ただでさえ色素の薄い肌が緊張でますます青白くなっている。

 不自然に長い前髪と瓶底眼鏡のせいで表情が見えないが、パニック状態になっているのは間違いない。


「こ、こ……ゆ…………で……あのっ……」


 蚊の鳴くような声を絞り出し、震えの止まらない手を力いっぱい握り締めている小早川。呼吸は荒く、とうとう肩で息をし始めた。明らかに常軌を逸したその状態を見て、このまま過呼吸で倒れかねないのではと危惧してしまうほどだ。

 しばらく静まりかえっていた教室はこのじれったい待ち時間に飽和したのか、ヒソヒソ声が漏れ出した。


「え、大丈夫かな……」


「なんか、やばくない?」


 教室中のクラスメートたちから怪訝な目を向けられ、完全に頭が真っ白になっている今の小早川に、果たしてその声が聞こえているのだろうか。


「これ、終わるの?」

 

 その一言が聞こえた瞬間、小早川が一瞬息を飲んだ。

 それと、俺が鼻からこよりを引っこ抜いたのはほぼ同時だった。


「ぶあっくしゅ‼」


 自分でもビックリするくらいでかいくしゃみが出た。

 ざわつき始めていた教室はピタッと静まり返り、代わりに驚きの視線が俺へと集まる。


「あ、ごめん……小早川真由です。よろしく」


「お前じゃねぇだろ!」


 声のでかいお調子者がいてくれて助かった。

 その一言で教室がどっと爆笑に包まれた。

 一瞬で空気が変わったことに気が動転したのか、小早川はお調子者を中心に盛り上がるクラスメートたちと俺を交互に見ながらおろおろしていた。俺は小早川にジェスチャーで着席を促すと、小早川は俺とクラスメートたちに向けて深々とお辞儀をして席に着いた。


「あ…………りが……とう……」


 顔を真っ赤にした小早川の消え入りそうな声に対して、俺は無言で机の上のペットボトルを小突き、ピースサインで返事をした。


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