第2話 up! up! my Friend ⑦
その日は、入学式のあとに簡単なオリエンテーションや学校紹介を行っただけで1日が終わった。
美珠姉妹は地元の長野から入学式を見に来た両親とご飯に行くということで今晩は不在。残された俺たちはまっすぐ伊藤下宿に帰り、3人で夕飯を囲むことになった。
今晩の夕飯は、鶏むね肉のネギ塩炒め、ブロッコリーとエビのマヨネーズ和え、それに昨日の残りものだった。今朝のフレンチトーストにも言えることだが、みずほ姉ちゃんが作る料理は盛り付けがオシャレで、しかも美味い。グルメマニアの親父について回ったおかげでそれなりに舌が肥えている俺でも、これは自信を持って人に薦められる。
というわけで俺はさっそく幼馴染み6人グループのSNSで自慢するため、スマホで写真を撮ることにした。
カシャ。
あらぬ方向からシャッター音が聞こえたと思ったら、同じことを考えていたやつを発見した。
「あ……」
いつもの瓶底眼鏡を外し、ヘアピンで前髪を留めている小早川は、同じポーズでスマホを構えた俺と目が合うと、気恥ずかしそうに顔を赤らめた。
控えめに言って可愛い。
学校で陰キャ全開な恰好をしている小早川と同一人物とは思えないほどの変わりようだ。
「美味しそうだったから……」
「いや、わかるよ、わかる。やっぱ撮りたくなるよな」
言葉少なに、しかし嬉しそうに小早川が笑った。学校にいる時とはうってかわって、表情の変化も豊かで、声のトーンも高い。
「小早川は好き嫌いないのか?」
「うん。なんでも好き」
「すごいな。俺わりと嫌いな食べ物多くてさ……トマトとか」
「衣彦くん、トマト嫌いなの?」
「あの酸味がちょっとキツくてさ。何度食っても『うぇ~』ってなる」
「ふふっ、子供みたい」
「いや、ほんとダメなんだって。トマトが出てきたらこっそり俺の分食べてくれよ」
「トマト美味しいよ?」
「あ、お前助けない気だろ」
わざとオーバーに顔をしかめてみせると、小早川は小さく吹き出した。その表情はやはり柔らかい。今朝本人の言っていた通り、もともとはこういう性格なのかもしれない。些細なことで心から楽しそうに笑ってくれるので、話していると自然とこちらも笑みがこぼれる。
「はーいお待ちどうさまー」
他愛のない話で盛り上がっていると、キッチンの方からみずほ姉ちゃんが人数分の味噌汁を持ってきた。香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、空腹が刺激される。
「お。きたきた。マスター、マティーニをステアじゃなくてシェイクで」
「何言ってるか全然わかんないけど、はいお水」
「あ、はい……お水、うん、お水」
優しくて気が利くみずほ姉ちゃんでも、元ネタの通じない俺の小ボケに対しては容赦なく冷たい。
「ラッキーアイテム」
ぼそっと聞こえた小早川の一言に俺とみずほ姉ちゃんは思わず目を合わせ、同時に頬を緩めた。
「そうだね、ラッキーアイテム」
「占い、当たってたもんな」
「今日の衣彦、おかしかったなぁ。いきなりポークチャップとか叫び出してびっくりしちゃった」
「ボジョレーヌーボーって言ったんだよ。ったく、厄日以外の何ものでもなかったぜ」
「明日も期待してるからね」
「絶対余計なこと言わない。ってか、明日何あるんだっけ?」
「確か学年総会と……あとなんだっけな」
「えっと、現代文、数学、英語と……ホームルームで委員決め、かな」
「なるほど……3時間は寝れるな」
「真面目に授業受けて」
料理が出揃ったところで俺たちは手を合わせ、夕飯にありついた。期待通り料理はどれも美味い。みずほ姉ちゃんが今度はエビのマヨネーズ和えではなくエビチリに変えてみても良いかという提案をしてくれたので、俺と小早川は文句なしでその案を推した。この下宿に入居して以来、会話のほとんどは美珠姉妹が主導権を握っていたので、この3人で初めて囲う食卓の穏やかさは新鮮だった。
一方、居間のテレビでは夕方のニュースで天気予報のコーナーが終わり、CMで来週上映される新作映画の宣伝をしていた。
「衣彦、この映画見に行くの?」
「気にはなるけど、なけなしの小遣い使って見に行くほどじゃないかな。それより今度自分用の釣竿買おうか迷ってて、あんまり金使いたくないんだよね。毎回キャプテンに借りてばっかりで悪いしさ」
「衣彦ってほんといろんなことに興味持つよね。こないだだっけ? 小説に出て来た美術館まで行ってきたのって。漫画やゲームも好きだし、自己紹介のときに映画以外のそういう話もすればよかったのに」
「そんな話したらみんなに俺のこと知られるだろ……」
「自己紹介ってそれが目的だよね……⁉」
「っ──けほっ! けほっ!」
みずほ姉ちゃんが驚きの声を上げると同時に、味噌汁を飲んでいた小早川が思いっきりむせた。
「わー! 真由大丈夫⁉ もー! 衣彦が変なこと言うから!」
「俺のせい⁉ 明らかにみずほ姉ちゃんが突っ込んだタイミングなのに、俺のせい⁉」
「衣彦が暗いことばっかり言うから悪いんでしょー⁉ もっと明るく生きなきゃダメだよ!」
「明るい生き方が絶対正義みたいな風潮やめてくれる⁉ 俺みたいなダンゴムシ陰キャは暗くてじめじめした世界で生きてるのがお似合いなの! 無理やり外に出さないで! 眩しくて死ぬから!」
「ご、ごめんね……2人とも面白くて……大丈夫だから……」
「悪いな小早川。みずほ姉ちゃん、たまにこうやって訳わからんこと言うから気を付けろよ?」
「『2人とも』ってことは、衣彦のことも言ってるんだからね」
いまだに咳き込む小早川の背中をさすりながら、みずほ姉ちゃんは半眼で俺をにらんだ。向けられた敵意は置いといて、こうして2人を見ると仲の良い姉妹みたいで微笑ましい。
「真由、今日はお疲れさまだったね。明日は大丈夫そう?」
聞くまでもなく、小早川の自己紹介の件だろう。みずほ姉ちゃんが優しい口調で小早川に問いかけた。
「うん……がんばる。みんなに迷惑かけちゃったから」
「気にすることないよ。いろんな人がいるんだもん。緊張しちゃうのも仕方ないよ」
「誰よりも流暢に自己紹介してた人が言っても励ましにならないよ」
「伊達に1年生2回目じゃないし……って、衣彦は余計なこと言わないの!」
鶏肉を頬張りながら言う俺のヤジに対してみずほ姉ちゃんは頬を膨らませてにらむ。みずほ姉ちゃんには悪いが、その可愛い膨れっ面を見たいがためにちょっかいをかけている節もある。
「たくさんの人に見られたら緊張するの、自分でも直さなきゃって思うんだけど……うまくいかなくて」
「こうやって話してる分には全然そんなことないし、こないだの詐欺女に詰め寄ったときも声はちゃんと出てたから、あとは慣れだと思うけどな」
「あ、あの時は必死だったから……」
「わかるよ真由。パニックになったら悲鳴出ちゃうもんね」
みずほ姉ちゃんの想像しているシチュエーションとは200%違うと思う。
俺は心の中で思ったその言葉を飲み込み、平静を装う。
「あとは訓練だな。俺だって人見知りだけど、今日みたいにあらかじめ何言うか考えて、イメトレでもしておけばなんとかなるパターン多いし」
「衣彦くんが、人見知り……?」
「初対面のクラスの子たちにあんな受け答えしてた人が言っても説得力ないと思いまーす」
「伊藤さん? 大事なところで話の腰を折らないでくださる?」
「なんでお嬢さま口調なの」
誇張したお嬢様口調に対しておかしそうに笑う二人。ふざけてごまかしはしたが、俺だって
無傷で社交性を身に着けたわけじゃない。
思うに、今の小早川に必要なのは、人前で話すことに対する精神的なハードルを下げることだ。緊張のおかげで頭が真っ白になったり言葉に詰まったりするのも、小早川自身が人前で話すことに対する恐怖心が根底にあるはずだ。それを乗り越えるためには、こうやって少しでも他人との会話に慣れ、人と話をする恐怖心を少しずつほぐしていくしかない。もちろん一朝一夕にはいかないし、少なくともあと数回は同じ失敗をするだろうが。
まぁ……だからといって俺がこれ以上下手な世話は焼く必要はないんだけれども。
さほど親しくもない女子に説教くさいことを言いたくないし、小早川自身もそれを望んでいないはずだ。同じコンプレックスを持つ者同士としてつい色々口出ししてしまいたくなるが、小早川が負担を感じる前に距離を取らなければ、ただの迷惑になってしまう。
「よく周りの人を野菜やほかの何かだと思うと緊張しないっていうよね」
「野菜……なんだろう。そういえば、今日潤花ちゃんも『みんな動物だと思いながら話してた』って言ってた」
「潤花もそう言ってるなら信憑性あるね」
「トマトはやめとけよ。逆に気になって仕方ない」
「それは衣彦だけでしょ。知ってる真由? 衣彦って昔から好き嫌い多くてね、私たちで無理やりトマト食べさせようとしたらね……」
「いきなり人の黒歴史暴露するのやめて」
『えーそれでは第1組目のアーティストはWake up peopleです、どーぞ』
『よろしくおねがいしまーす!』
「……」
テレビから威勢の良い挨拶が聞こえると同時に、小早川がはっと振り返った。その視線の先の液晶画面には──小早川の双子の妹で人気アイドルWake up peopleのセンター、こばゆこと小早川実由が写っていた。
『あれ、こばゆ髪切った? なんかパーマかかってる』
『ミナモリさん、それ今週で3回目です』
『え⁉ ウッソだぁ!』
『ほんとですよ! 火曜に邦テレのスタジオで会ったじゃないですか。それで一昨日もすれ違ったときにもそれ言ってて……』
「妹さんの番組、いつも見てるの?」
突っ込んで良い話題かどうか逡巡しているうちに、先にみずほ姉ちゃんが口火を切った。小早川は視線をテレビに向けたまま、テーブルの上のリモコンでテレビの音量を上げている。
「たまに……かな」
真顔で妹を見据える小早川は何を思うのだろう。俺の場合、姉が空手の世界大会で動画中継されたときなんかは誇らしい気持ちで見守っていたけどな……と思ったが、小早川とは違ってそもそも姉弟関係は良いし、アイドルと空手の選手では比較の対象にはならないか。
『あ、これ私のお姉ちゃんの話なんですけど、こないだ私引っ越ししたんですけどね。それでそのとき──』
司会の話題は春を迎えてからの生活の変化などをメンバーにインタビューしていた。
『段ボールに『木』って書いてあったんですよ! 『木』って何⁉ って思うじゃないですか。それで気になって開けてみたら……中身『本』で! なんで線一本書き忘れちゃったのかなって! お姉ちゃん、ちょっと抜けてるんですよね~』
『お姉ちゃんに一本取られた、と』
『それ私が言おうとしたセリフ! いやー! そのドヤ顔!』
軽快なトークのテンポの流れで、客席で大いに笑いが起きる。なるほど、人気アイドルなだけあって愛嬌があってリアクションが上手い。それが先天的なものか努力の賜物かは知る由もないが、彼女がメディアに引っ張りだこな理由もこれを見るとうなづける。
「──ウソつき」
語気の強いつぶやきに、俺とみずほ姉ちゃんは同時に小早川に視線を移した。
「これ、全部実由の話なのに。私のせいにした」
小早川は眉をひそめ、珍しく感情的になっている。
「何か失敗したら、テレビでいつも私のことにして話すの、本当に嫌。お父さんやお母さんも、実由の味方ばっかり。今日だって、二人とも実由の入学式には行ってこっちには顔も出さなかったし、それに……」
「真由……」
「あの時だって……!」
「真由は、家族みんなのこと、嫌いなの?」
優しく、けれど芯の通ったみずほ姉ちゃんの声に、小早川は我にかえったように驚いた。
「……ううん」
「じゃあ、妹さんのことで嫌な思いをしてるってことは、相談した?」
「言ってる、けど……」
小早川の声は次第に弱々しくなっていき、まるで教室にいたときのようにしおらしくなっていた。
「いっつも、上手く言えなくて……私の話を、真面目に聞いてくれない」
「そっか。自分の気持ちをうまく伝えられないのは、悔しいよね。辛いし、寂しいよね」
「…………」
「家族は仲良くしなきゃいけない、なんて決まりはないけど……でも、真由は悪くないのに、それだけ嫌な思いをしてる、我慢をしてるってことを、きっと家族の人たちはまだ気付いてないかもしれないね」
「……やっぱり、そうだよね」
「偉そうに言ってごめんね。でも、それで真由が悪いってことじゃないよ。伝えることも大事だけど、相手の気持ちをわかってあげようとする思いやりっていうのも同じくらい大事だから」
俺は黙って料理を口に運びながら、二人の話を聞いていた。
「でも……家族の人たちに真由の気持ちがちゃんと伝わるといいなって思ってるよ。喧嘩も仲直りも、生きてる間しかできないから」
「……うん」
「もし、それでもうまくいかなったら……私のところにおいで。いつでも待ってるから」
「みずほちゃん……」
いつのまにか、テレビではさきほどのアイドルの新曲が始まっていた。
夢や希望を謳った既視感だらけのポップソング。
うさんくさくて空々しい、ありふれた歌詞。けれど、
「ありがとう……」
今だけは、その明るいメロディーが救いだった。
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