第9話 示すべきは愛情ではなく利用価値
思っていた通り、お父様は横領をしていた。
何年も前から。
「お気持ちお察しします」
ギルメールが持ってきた領地経営の帳簿とお父様が隠し持っていた裏帳簿を見て黙り込んでしまった私にギルメールが慰めの言葉をかけてくれた。
「横領したお金を姪につぎ込むなんて。そんなに大事なら生家に帰って、建て直せばいいのに」
お父様は血を引いていない為ラーク家の当主にはなれないがヘルディン男爵になることはできる。だってお父様の生家なのだから。その場合、お父様はラーク家の戸籍から抜くことになるけど。
「ラーク家は気に食わないけど、公爵の地位にはいたいようね。お父様は」
「血筋でしょうね。アリエスお嬢様も旦那様に与えられるものを喜んで受け取るばかりでご自分の生家がラーク家に負った借金を返そうとすらしておりません」
「その借用書は?」
「こちらに」
何の指示も出してはいないのにギルメールはしっかりと借用書も執務室から持って来てくれていた。
「かなりの額ね」
借金を負っていることは知っていたけど額までは知らなかった。
前の私は二人に嫌われないようにすることばかり気にかけていたから。本当に何も知らなかったのね。
この額を踏み倒しただけではなく、私を貶め、嘲笑っていたのか。彼女は見た目を裏切る図太い神経の持ち主ね。
「額は大きいですが、返せない額ではありません。アリエスお嬢様にその気があればの話ですが」
「そうね」
平民の給金では無理だろう。
伯爵家以上の家で侍女として働き、節制すれば死ぬまでには返せるだろう。あるいは彼女が婚姻を結び、結んだ家が返すしかない。
後者の場合、現在恋人であり公の場で婚約宣言までしたワーグナーが王籍を抜ける際に王家から出る配給金から返すことになる。
ただ、ワーグナーが本当にアリエスと結婚するのなら彼は男爵になる。今までのような贅沢な暮らしはまずできない。
男爵領に名産と言えるものはなく、特に栄えている領地でもない。
ヘルディン男爵夫妻は領民が納めてくれる税金で暮らしていた。その暮らしは大商人よりかは少し裕福な暮らし程度。
「お嬢様、お客様がいらしています」
ギルメールと今後のことで話し合っているとメイドが訪問客の知らせを持ってきた。
「今日は訪問の予定はなかったと思うけど」
私は確認するようにギルメールを見た。ギルメールは首を左右に振った。どうやら私が訪問客の訪れを忘れているわけではないようだ。
「誰が来たの?」
「それが‥‥‥ヴァイス・ヴィスナー第二王子です」
「はぁっ!?」
はしたなくも思わず大声を出してしまった。
ギルメールも目を見開き知らせを持ってきたメイドを凝視していた。私と上級使用人であるギルメールに見られて、メイドは何も悪いことをしてはいないのにまるで叱られるのを怖がる子供のように怯えた。
「ギルメール、この書類を隠しておいて。それと私が戻るまでこの場で待機。あなたは自分の仕事に戻って良いわ」
私はメイドとギルメールに指示を出して大慌てで応接室に行った。
「スフィア・ラークです。お待たせして申し訳ございません」
「気にしなくていい。約束もなく勝手に来たのは俺なのだから」
「お気遣いありがとうございます」
どういうことだろう。
前の人生ではヴァイス殿下はずっと国外に居た。だから私は一度も会ったことがないのだ。
二度目の人生でも関わることのない相手だと思っていた。どうして変わった?
どうして今回に限って私に関わろうとするの?
「それでご用件は?」
「まず王家を代表して弟の無礼を謝罪させて欲しい。すまない」
そう言ってヴァイス殿下は私に頭を下げた。王族が頭を下げるなんてあってはならないことだ。
「頭をお上げください。気にしてはいませんから。それにワーグナー殿下の想い人は私の従妹です。ですので私はお二人の恋を応援しますわ」
そうして奈落の底に落ちて行けばいい。
どんなに愛情があってもね先立つものがなければ人の心は荒み、互いへの尊重を忘れて行くのだ。
誰かに優しくできるのも、誰かを思いやることができるのも全ては心にゆとりがあるから。人とは現金な生き物だ。
「これはあなたとワーグナーの婚約破棄の書類だ。既に国王の許可も下りている。ワーグナーとアリエス嬢の婚約は一時保留だ」
まぁ、そうでしょうね。
アリエスは男爵令嬢。本来なら王族が就く爵位ではない。それにアリエスの言動にも問題がある為二人をくっつけるのは怖いという意見もあるのだろう。
「髪の毛、なんだが」
何か言い難そうにしていたなと思ったら私の髪型のせいか。
確かに女性でこの髪の短さはないな。
「おかげですっきりしました。ワーグナー殿下には感謝をしなくてはなりませんね」
「とても似合っている」
謝罪をするつもりだったのだろう。ただ謝罪が私に負担を与えることや立場的にこちらが謝罪を受け入れるしかないことも分かっているので何と言ったらいいか分からずに口ごもってしまった感じだ。
王族に謝られたら貴族は許すしかないのだ。それが分かっていることは好感が持てる。
「本当によく似合ってる」
そう言ってヴァイス殿下は私の髪に触れた。
急に触られたからか、或いはとても優しい手つきだったから少し驚いてしまった。
「本来なら本人が来て謝罪すべきなんだが、君を不快にさせるだけだろうし、何よりも君の美しい瞳にあの屑を映したくはないという俺の勝手な我儘から辞退させた」
ワーグナーと違ってヴァイス殿下はリップサービスをしてくれるようだ。美しい瞳だなんて言われたことない。
貴族の男性のリップサービスは礼儀のようなものだ。だから真に受けるつもりはないが、それでも少しは嬉しいものだ。
「スフィアと呼んでも?」
「どうぞ、お好きにお呼びください」
「ありがとう。俺のことはヴァイスと呼んでくれ」
呼べるわけないでしょう。
不敬罪で牢獄行きだ。
「スフィア、もう次の相手は決まっているのか?誰か想い人とかは?」
王家に瑕疵があるから次の婚約を後押ししてくれるつもりかしら?
「想い人はいません。婚約も暫くは誰ともしないつもりです」
「そっか」
なぜかヴァイスはとても嬉しそうだ。もしかして、今日彼がワーグナーの代わりに謝罪に来ていることから考えるに、私の次の婚約相手を探すなり後押しするなりを陛下に命じられているのかしら。
面倒事を押し付けられてうんざりしているところ私が暫く誰とも婚約しないと言ったから。それなら喜ぶのは当然ね。あわよくばこのまま有耶無耶にしようと思っているのだろう。
私もその方が有難いかも。もう、誰とも結婚はしたくない。あんな結婚生活はこりごりだ。
「スフィア、直ぐにとは言わない。いつまでも待つ。俺と結婚して欲しい」
「‥…」
私は今、何を言われているのだろう。
「君を初めて王城で見た日から俺は君に惹かれている。君が好きなんだ」
「殿下、有難いお申し出ですがそこまで気を遣っていただく必要はありません」
「どういう意味だ?」
「婚約を破棄した私では今後の婚約に問題があると思い、貰い手がいなくなる私を哀れに思い引き取ってくださるおつもりなのでしょう」
王太子殿下には既にお相手がいるし、何よりも婚約破棄した不名誉な令嬢を妃にはできない。となると、残るはヴァイス殿下しかいないのだ。
「気遣いでも何でもない。俺は本当に君に対して好意を持っている。俺は第二王子だから俺と結婚しても君に外交や社交を強いることはない。それに騎士として収入もあるから暮らしに困るようなこともない。かなりの優良物件だと思うよ」
まぁ、そうだろう。でも。
「私の立場は分かっているはずです」
私は公爵家の跡取りだけど父親とは折り合いが悪いし、アリエスという問題児も抱えている。下手をしたら彼らに陥れられて公爵家の当主になれないかもしれない。
現に、前の人生では家を乗っ取られ、悲惨な最期を送ったのだから。どんなに心を入れ替えて頑張ったとしても同じことが起きないとなぜ言い切れる。
懸念すべきは今のこの状況。
前回の時はヴァイス殿下は国内にいなかったし、彼から告白を受けるようなこともなかった。仮に前の人生でも同じように私に好意を持っていたとしよう。そして今回、私が早く動いたが故に婚約破棄の時期が早まり、彼の耳にもその知らせが行ったとしよう。
彼は自分にもチャンスだと思って国内に帰ってきたとしてもおかしいのだ。明らかに彼の行動は早すぎる。知らせを受けてから帰宅するのなら早くとも数日はかかる。
あのパーティーの騒動の翌日に我が家を訪ねるなど不可能。
私が未来を変える為に動いたが故の変化だと喜ぶことはできない。不確定要素はどう転ぶか分からないのだから。
「守るよ。何者からも」
そういうつもりで言ったわけではないのだけど。
「俺を利用すればいい。王子の婚約者、王子の友人。たったそれだけでも牽制になる。それに君が頼ってくれたのなら俺は喜んで手を貸そう。それがたとえ犯罪であったとしても」
‥‥‥どうして、そこまで。
「今日の所は帰るよ。君も混乱しているだろうし、何よりも昨日の今日だ。疲れもあるだろう。ゆっくりと休むといい。ただ覚えておいてくれ。俺はいつだって君の味方だし、俺には利用価値があるということを」
そう言ってヴァイス殿下は帰って行った。
完全にキャパオーバーだ。だが、ヴァイス殿下が味方になってくれるのならこれ程心強いことはない。結婚は取り敢えず保留にするとして、友人ぐらいの繋がりは持つべきか。
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