第8話 諦念が人を強くする
「お、嬢様、その髪は」
昨日は遅くに帰って来た為、邸内では誰にも会わなかった。だから私が部屋に呼びつけたギルメールが初めて髪が短くなった私の姿を見ることになる。
ギルメール・レドフォード。彼こそがお祖父様が我が家に入れたお祖父様のスパイだ。
冷静沈着で何事も淡々とこなす彼もさすがに今の私を見て固まってしまった。
「取り敢えず中に入りなさい」
「あっ、はい。失礼しました」
開けられたドアの外で自分がたちっぱだということに気づいたギルメールは華麗な動きで部屋に入り、私の姿に戸惑いながらも私の前まで来る。
「昨日の夜会でちょっと事故があってね。この髪はそのせいよ」
誰がどう見ても人の手によって意図的に切られた姿だ。だからギルメールも何か言いたそうだけどさすがはお祖父様が寄こしただけある。躾が行き届いている。主家の娘である私の誤魔化しを追及するような愚かな真似はしない。
「髪、整えてくれる」
「畏まりました」
傷つけることを知らない優しい手で私の髪を梳いた彼は私の髪にハサミを入れる。
「美しい御髪でしたのに」
そう残念がってくれるのは彼だけだろう。それが親切心から来る言葉であっても嬉しいものだ。
「ありきたりな茶髪で面白みにかけると殿下はよく仰っていたわ」
「ワーグナー殿下ですか?レディーに向ける言葉ではありませんね」
「そうね。でも、茶髪は平民に多く見られるから王族である彼の婚約者には相応しくはなかったのかもしれないわね」
ギルメールはとても綺麗に髪を揃えてくれた。器用なのね。前の人生ではあまり関わらなかったから知らなかった。
「頭が軽いし、首がすーすーして変な感じね」
でも良かった。
もっと男みたいな感じになるかと思ったけど髪が短くてもちゃんとレディーに見える。それにうなじが完全に出てしまっているから何だかセクシーな女性っぽくてちょっぴし恥ずかしい。
「よくお似合いですよ」
「ありがとう、ギルメール」
きっと慰めてくれたのだろう。
お祖父様が送り込んだスパイだから今の段階ではあまり信用してはいけないけどそれでも敵でないことは確かだからまだマシね。
「それで、あなたを呼んだ理由なのだけど領地経営の帳簿を見せて欲しいの」
「帳簿、ですか?」
ああ、優しい青年の顔から一気に商品を値踏みする商人のような顔になった。
「お父様がたくさんアリエスにプレゼントしているのが気になって。お父様が自由に使える金額では不可能な量でしょう」
「横領を疑っているのですか?」
「さぁ。まだ何とも言えないわね。でも何か事業に手を出しているわけではないでしょう」
「ええ。そもそもあなたの許可なしに不可能です。あれはあくまで中継ぎの当主に過ぎませんので」
わぁ。お父様を“あれ”呼ばわりか。
わざとね。私の反応を見ているのだわ。
彼のことだから私がアリエスを養女にする為の書類にサインをしなかったことを知っている。彼の知っている私なら迷わずサインをしただろう。実際、前の人生でアリエスはラーク家の養女となり、彼女の親が負った借金は帳消しとなっている。
返そうという素振りすら見せなかったわね。
私という存在に変化が起きてきているから彼も今一度見極めることにしたのだろう。私がラーク家に相応しいかどうか。
「じゃあ、どこから来るのかと疑うのは当然よね。一つ一つ可能性を潰していきたいの。その為に帳簿が必要よ。私のお願いを聞けるかしら?」
「もちろんでございます。お願いなどと申さず、どうぞご命令ください」
「ありがとう」
使用人が主にする礼をギルメールは私にした。お父様にも前の人生でも決してしなかった礼だ。少しずつ。けれど確実に未来も人間関係も変わってきている。
「質問をよろしいですか?」
「ええ」
「もしラーク公爵が横領をしていた場合はいかがなさいますか?」
「愚問ね。法に則った裁きをするだけよ」
「お父君ですが?よろしいのですか?」
「ええ。私は確かにラーク公爵の娘だけど、同時にラーク公爵唯一の跡取りであるスフィア・ラークだもの。もみ消したりなんてしないわ。正すべきことは正さなくては」
「お父君に恨まれるかもしれませんよ」
ギルメールの言葉に私は笑ってしまった。
「今更なことを言うのね」
そう、今更だ。
いや、今まで歪すぎたのだ。
「初めから愛されてなどいなかった。寧ろ憎まれていたわ」
私の言葉に思うところがあったのかギルメールは瞠目する。
「ただ生まれて来ただけで、ただ存在するだけで、ただラーク公爵家の娘というだけで。ただそれだけのことで」
私は殺されたのよ。
「理不尽に憎悪してくる対象に対して期待も遠慮もする必要なんてないわ。そうでしょう?」
「仰る通りです。変わられましたね」
「愛に諦念を覚えただけよ」
「左様でございますか」
弱いままでは父に、従妹に、元婚約者に殺されるだけ。だから強くならなくてはならない。本当に欲しかったものは手に入らない。手に入らないのなら捨ててしまえばいい。諦めて、手放して、そして必ず生き残る。
今度は彼らの思い通りになんてさせない。
私がラーク家の当主よ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます