第46話 愛しい人



前世で、僕―――西野にしの春葵はるきと涼乃―――諏訪すわ涼乃すずのは、いわゆる夫婦というものだった。

その間には涼乃からの一方的な愛しかなく、僕は

彼女の家は俗に言う「神社」というやつで、僕の夢―――異世界無双の祈願にはうってつけだった。

だから、涼乃は苗字を西野にする気満々だったが、無理を言って僕の苗字を諏訪にしたのだった。つまり僕は諏訪家に婿入りをしたのだった。大学を卒業してすぐの時のことだった。

そこまでしたかった理由は、簡単な話だ。

まず、諏訪家は神社である。ここまでいえば分かるだろう。

そう。いつでも神に「異世界無双したい」を願えるからである。

ちなみにこのことを(さすがに理由は伏せて)涼乃に無理を言ったら、涼乃は一瞬呆気に取られたものの、「これはこれでありかも…?」と小声(ちゃんと聞こえていたが)で呟き、その後「仕方ないんだからね!こ、今回は惚れた弱みってことで許してあげる!感謝しなさい!」と言って許してくれた。

全くツンデレであった。


それはそうと。


僕は別に涼乃のことは異性として見ていなかった。

恋人としてのことはしたが、そこに心を込めたつもりはない。

涼乃には悪いが、気持ちの上では一方的だった。

だから僕は一生の責任を必要とする行動は全て何かと理由をつけて断っていた。

しかし結婚してからほんの数ヶ月が経ったある日。

僕は珍しく体調を崩して寝込んだ。

いつもは来客は僕が応対していたが、その日はそれが出来ないので涼乃に頼んでいた。

神社はそこそこ大きいが、そこまで来客は多い訳では無い。

来客はゼロで、中身がポンコツな涼乃への心配は杞憂に終わった。


そしてその日の深夜のこと。

突然インターホンが鳴った。

もちろん涼乃が応対したのだが、急に怒鳴り声が聞こえた。

耳をすませてみると、涼乃と、高校の同級生の声が聞こえてきた。


(あいつ……なにしにきたんだ?)


僕は会話を聞いてみることにした。


「だから!私は春葵と結婚したんだって!」

「君の話から推測するに、君たちはまだ夫婦の営みをしていないようではないか!」

「うぐ……それがどうかしたの?!」

「そんなの夫婦ではない!さあ、俺と結婚しよう!入学式の時に一目惚れして以来、俺は君のことをずっと一途に愛してきたんだ!」

「そんなの知るか!」

「じゃあ君は西野と営みをしたくないのか?!」

「したいに決まってるでしょ!(即答)」

「うおう?!」

「私だってねぇ……頑張ってるの!毎日誘惑してるし、媚薬だって混ぜたこともある!」


……衝撃の事実


「でも……私は求められなくっていい!異性としてすら見られてない気もするけど!」

「じゃあ俺と」

「それでも!私は春葵と一緒にいるだけで幸せなの!毎日が満ち足りてるの!春葵が望むなら一生清いままでもいいの!」

「……でも!」

「……れ」

「え?」

「……もう……帰れ!」

「待っ、待って……って」


ギャアアアア


カチャ…

「あ、涼乃」

「…………」


しばらくすると涼乃が戻ってきた。

畳に正座し、顔を真っ赤にして俯いている。

声だけで伝わってきたあの剣幕が嘘のようなしおらしさだった。


僕はふと、さっきのやり取りを思い出してみる。

しかし、僕は気づけなかったが……


(僕はあんなに涼乃に愛されていたんだな……)


僕は人の気持ちに敏感だと思っていたが、どうやらそれを撤回する必要がありそうだ。


すると涼乃がおずおずと、口を開いた。


「春葵……さっきの、聞こえてた?」

「……ああ」

「そ、そっか……」


心做しか、涼乃の真っ赤になっている範囲が広まった気がする。

僕は涼乃のそんな姿を見ていると、無性に涼乃が愛らしく思えてきた。

僕は涼乃の頭に手を伸ばし、そのまま涼乃のよく手入れされだ、サラサラの髪をなるべく優しく撫でる。

涼乃は一瞬驚いたような表情になったが、すぐに表情を緩ませて僕の手に身を任せた。


「涼乃、好きだよ」


僕はふと思ったことを口に出してみる。


「ふぇ?!…は、春葵?!急にどうしたの?」


涼乃は心底驚いたような表情になる。

それもそのはずだ。

―――僕は今まで涼乃に向けて「好き」という単語を発したことがなかったからだ。

僕はその反省も兼ねて、もう一度言ってみる。


「大好きだよ、涼乃」


涼乃は「今更だ」と怒るだろうか?

それとも顔を真っ赤にして黙るだろうか。

―――涼乃の反応は、そのどちらでもなかった。


「ありがとう、春葵!」


涼乃はまるで太陽のように眩しく、美しい笑みでそう言うのだった。


諏訪涼乃―――それは、僕の愛しい人である。

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