第14話 キメラの油彩画


 僕は辰巳さんから別のランプを渡されて、「案内する」と言った辰巳さんを、疲弊気味の段柳の母のもとにとどまらせて、一人で廊下を進んだ。さきほどの二階へ通じる階段のところまで。

 この和洋折衷の屋敷はどこか「成金趣味」的であり、また「モダン」という感じのおしゃれな雰囲気もある。それで、手渡されたのはランタンのようなランプだけ。懐中電灯にしてほしいところだが、屋敷全体の風情とのミスマッチを嫌った誰かのせいで、こうしていま僕は頼りないランプ一つで道を行くしかないのだと、そう思う。

 廊下は屋敷の中央をまっすぐに流れていて、窓が一つもないから、かなり暗くて、ランプ一つの灯りではまったく心細かった。時折、雷光が差し込むのは、廊下に面した和室の障子が光を透け通すからである。

 そろそろ、階段のあったあたりでろうか。

 いつの間にか廊下が一層広くなった。

 奥の部屋に入ったのは今日が初めてだったから、そこから先ほど来た廊下を逆に進んでいるだけなのに、景色が違って見えるため、やけに遠く長く感じるのだ。


 これだ。あったぞ。


 ランプの弱い微光に照らされたのは裏手から見た階上への道だった。

 この階段までくると見慣れた景色がところどころに現れた。手すりの木彫りのデザインや、壁にかかった段柳祐介の油絵など、数年前と変わらずにあった。それらが目に入るとちょっとだけホッとした。


 そうだ、そうだ。これは別に大したことじゃないはずなのだ。


 そうやって心中で繰り返し唱えてみたが、一向に安堵できる気配はない。それは目の前にある油絵のせいでもある。

 段柳祐介が昔描いた絵で、十年前にも飾ってあった絵だ。それは静物画で、果物や食材、燭台、鏡が歪にテーブルの上に配された絵だった。歪にというのは、本来ならば配置できるはずのない不安定な所に物が置いてあるという意味で、確かセザンヌもこういう静物画を描くのだと段柳祐介が話していた。

 野獣主義的なタッチで黒々とした色調はどことなく見る者に不安を与える。しかも、よく見るとただの静物画ではない。食材として野菜や穀物が並ぶ中に、射止めた鴨らしき鳥類が横たえられている。それだけならば、珍しからぬ構成だが、その隣に射止めた兎もだらりとした質感をしっかりと捉えて描きこまれていて、その鳥と兎が状態が異様だった。


 これは絵を一瞥しただけで分からないが、よく注意してみると、なんとおぞましいことか。見事な羽を横に広げて力尽きている鳥の頭部がない。いや、切断されてしまったというわけではない。果物や野菜類の影になって見えにくいが、そのにゅるっと伸びた鳥の頭部は兎の股の間に侵入している。鳥の頭が兎の肛門に突っ込まれているのだ。

 これに気がついた時、僕は彼にそのように見えるぞと指摘して、見えるのではなくそうなっているのだと返されたことがあったのを思い出した。


「キメラだ」


 段柳祐介は誇らしげにそう言って、薄い胸を張っていた。


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