第十一節:赤いスミレ

 常春の星とは良く言った物で、うららかな午後の日差しは優しく降り注ぎ鳥達の囀りも楽しげだった。ぽっかりと浮かんだ白い雲。元々は人間が開拓した環境では有るが、自然は地球のそれと違い、わざとらしさが無い。素直に深呼吸する事が出来る環境御星だと言う事は認めよう。

 莫迦重い百科事典並みの「惑星パピル開拓史」読み甲斐が有りそうだと思いながら、食堂の裏手を抜け渡り廊下の方向から寮に戻ろうとしたのだが、その横の花壇の前に人影の有る事に気が付いた。


「生徒会長?」


 特徴の有るロングヘアで彼女が生徒会長で有る事に気が付き、あたしは思わず食堂の横に身を隠す。まぁ、別段逃げる理由は無いのだが…生徒会緒はしきりに周りを気にしている。


 ――何をしているのだろうか…


 花壇当番とも思えなかった。花壇当番は基本的に朝である。今は夕方の4時を少し回ろうとして居る頃だ。それに制服姿だから土いじりをするとも思えない。あたしはじっと彼女の行動を観察する。そして…


 ――はぇ?


 生徒会緒は次の瞬間信じられない行動を取った。彼女は赤いスミレを大事そうに引き抜くと、それを口に運んだ…そう、食べてしまったのだ。生徒会長は2株程口に運ぶと再び周りの様子を伺い、その場から足早に去って行った。

 あたしは生徒会長が立ち去ったのを確認してから花壇に駆け寄り赤いスミレを見た。


「しょ…食用なのこれ?」


 あたしは思わず呟いた。さっき見た植物図鑑にスミレは観賞用以外の何物でも無く、微弱ながら毒性も有り決して食用に向く物では無いと言う記述が有った。

 元々は黄色のスミレ…それが赤になる…そして生徒会長はそれを食べてしまった。この前体育用具室付近で出会った時も彼女の近くに赤いスミレが有った。


「そうか、あの時も…」


 授業時間中に体育館裏の花壇に居たのも、これが目的だったのではいのだろうか。あたしは花壇の前で考え込んだ。どうしたものだろうか…あたしは花壇から赤いスミレを二株失敬して自分の部屋に戻った。そして、あいつを使う事にした、そう、恭一郎を。


★★★


「ニーナ、いけないんだよ、勝手に花、引っこ抜いて来たら」


 ユキはほんわか怒る。ただし、これでも全力で怒っているらしい…ユキ、将来良いお嫁さんになると思うよ。

 あたしはコップに水を入れてそこに失敬して来たスミレを注す。そして、改めて、その花をしげしげと見詰めた。日の光に透かして見たり、花の香りをかいでみたり。だが、何処から見ても不思議な処は無い。そこで携帯で恭一郎に電話する。


「はろ~」


 あたしは、妙に明るい声で電話に向かってそう言うと、恭一郎も不必要な爽やかさであたしに向かって返事をする。

 ふふふ、これから困らせてやるよ恭一郎。三か月監禁の恨み、思い知るが良い。


「ねぇ、今日、暇?」


 あたしの言葉に何か裏が有ると言う事を刑事のカンで察知したらしいヤツは、爽やかさのパワーを少しダウンさせてあたしにこう尋ねた。


「――どうした?何か裏が有りそうな口調だが」


 勿論大有り。あたしは無理難題を吹っ掛ける。


「今日の夜、あたしの部屋まで来てよ。勿論誰にも悟られない様にね」

「はぁ、部屋に来いって、そこ、女子寮だろ。しかも学校の敷地の中じゃぁ無いか」

「頼みたい事が有るの。成分分析して貰いたい物が有るの」

「成分分析?」

「そ、それを渡したいからここまで来て。大丈夫、部屋は三階だけど、大きな銀杏の木が目の前に有るから、よじ登ればなんとかなるわ」


 と、言ったら恭一郎の反応が無くなった。


「あのな、俺は刑事だぞ」

「知ってるわ。敏腕刑事…なんでしょ?」


 恭一郎の爽やかさが更に無くなる。へへへ、困れ困れ。


「俺は不法侵入犯になるつもりは無い!」

「でも、来ないと、あんたが言った所謂変な事の正体がわかんないよ~」


 そう言った瞬間、あたしは実感した。勝った…なんだかよくわからない充実感。こうでなきゃイケない。


「あのなぁ」

「じゃぁ、8時に待ってるからね」


 と、言って問答無用で携帯の通話をぶちぎる。そして、快感…


「誰か来るの?」


 ユキがちょっと怪訝そうな表情であたしに尋ねた。


「そっ、若い男が来るから綺麗にしておいてね」


 ユキは困惑する。あたしは極めて上機嫌。今夜が心から楽しみである。コップに刺した赤いスミレがゆらりと揺れた様な気がした。


★★★


「成程ね…」


 今迄の経緯を説明して、あたしはスミレの花を恭一郎に渡した。奴はそれを照明の光にかざして見たり香りをかいでみたりしている…それはあたしが、既にやってると突っ込みたい処だがまぁ、人間の反応なんてそんなもんだろう。


 「この花の成分を分析して何か出れば手がかりになるんじゃぁ無いかしら。あんたが言う所謂変な事って奴のね」


 恭一郎は顎を撫でながら何かを考えている。そして神妙な表情で「分った、調べて見よう」そう言うと、スミレを懐に仕舞って窓の方に向かって歩いて行く。


「あ…あの…」


 あたしを押しのけてユキがひょっこり顔を出す。


「え、と、ユキさんでしたね、どうしました?」


 恭一郎は営業スマイルと持ち前の爽やかさを振り撒きながらユキに向かってそう答えた。


「あの、あの、気をつけて戻ってくださいね」


 あたしは、ユキの瞳に気が付いた。これは、ひょっとして――恋?


 あたしは両手を組んで祈る様な恰好で窓から外の銀杏の木に飛び移ろうとしている恭一郎の姿を見て居るユキを見て、彼女の趣味をちょっと疑った。だって、か弱い乙女を三か月も部屋の中にブチ込んで、自分はのうのうとナンパする奴だぞ。止めといた方が絶対良いって。しかも、誰にも気付かれず女子寮の三階に現れる奴だし。

 恭一郎は窓から外に出て無事に銀杏の木に飛び移りあたし達に向かって、妙に上手いウィンクを決めると闇の中に溶け込む様に消えて行った。その昔、日本には「忍者」とか言うのが居たらしいが、ひょっとしたら奴みたいな事をするのかも知れない。それにしてもユキの瞳はきらきらだ。これは、噂に聞く一目惚れと言う奴だろうか。

 だとしたら、それは何としても阻止せねばなるまい。お嬢様育ちで純粋培養の女学生だ。男に対して、どんな幻想を抱いて居るか分らない。奴と付き合うには、それなりのスキルが必要だ。目を覚まさせてやらねばなるまい。


「あのさ、ユキ」


 あたしがそう言ったと同時に部屋をノックする音が聞こえた。あたした達は二人同時に扉の方に視線を移す。あたしは携帯端末を机の中に隠すと、それを確認したユキがそれにに答えて返事をしながら部屋のドアを開く。


 「――こ、こんばんは、生徒会長」


 ユキは彼女の姿を見て、少し口ごもりながらあたしにちらっと視線を移す。


「こんばんは、ユキさん、ニーナさん」


 生徒会長は明らかな作り笑顔であたし達の部屋の中を見渡した。そして、コップに刺されたスミレを見つけると「あら、持って来ちゃったのね行けない事よ。花壇は皆の共有財産、勝手に部屋に持ち込むのは禁止よ」

 笑顔の裏側がちらちらと覗く。何かどす黒い物が渦巻いているのが分る。そお気配にユキが怯えてあたしの傍らに、ぴったると寄り添った。


 「でも、まぁ、今回は大目に見ましょう。部屋の中に花が有るのは精神的に良い事かも知れませんからね」


 生徒会長の視線に背筋が凍った。底冷えの様な笑顔を湛え彼女はゆっくりと踵を返すと部屋を後にした。

 背筋に冷や汗が走るのが感じ取れた。彼女は何を隠しているのだろうか。不思議な胸騒ぎが心に渦巻く。

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