第三節:夢の兆しⅠ
何かが近づいて来る…良く分からない。
通路は狭く、ぬめりと生暖かい。その奥に紅色で弾力の有りそうなモノ。そしてあたしの周りに金色の紙吹雪の様な物が舞い飛ぶ。それらには意思が有る様に感じられた。しかし、あたしを取り囲む様に舞い飛ぶそれに敵意は無い様に感じられた。今、一番不安なのは不安定な浮遊感…
――落ちて行く――ゆっくりと…
体が落ちて行くにつれて、底と思われる部分がが見えてきた。それはゆっくりと呼吸する様に収縮を繰り返す。
通路を抜けた先は
「―――肺?」
勿論、実物を見た事が有る訳ではないが一番しっくりくる表現が肺の中だった。呼吸をする様に膨張と収縮を繰り変えす薄膜の壁と幾何学模様のパイプの中を赤い円盤状の物が連なって流れてく様子。学校の生物の時間、教科書に、そんな光景が有った様に記憶している。
紙吹雪が乱れ飛ぶ。
あたしはそれに埋まって行く。
必死でもがいては見たが手足の自由が利かない。ゆっくりと、ゆっくりと、真綿で首を絞められる様にあたしは紙吹雪に埋まって行く。
――誰か…タスケテ
紙吹雪は雪の様に降り積もる。きらきらと…さらさらと……
★★★
「夢…」
覚醒しきらない意識の中であたしはぽつんと呟いた。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、小鳥たちのさえずりが聞こえてきた。寝汗が凄い、体を起して時計を見たらまだ朝の5時、あたしは、ほうっとため息をついて再びベッドに横になる。寮則では起床時間が6時30分と決められていた。それまでに身づくろいをして朝食を摂る――と言うのが日課らしいが、あたしは朝食より寝て居たい。故郷でも朝は食べて居なかったし、そんな生活に慣れているから、はっきり言って億劫だ。誰が人間は三食と決めたのは誰なんだ?トーマス・エジソンとか聞いたことが有るがホントなんだろうか、全く余計なことを。その日の気分で良いではないか。
あたしはごろんと寝返りをうつ。そして、再び目を閉じ、さっきの夢を反芻した。印象的な夢では有ったが、あんな夢を見る心当たりも有る事有る。こんな全寮制で融通が利かなそうな学園に突然叩きこまれたのだ。多分、あれは、これからの生活に対する不安が具現化された物であろう。そして、しみじみと思った。あたしは見た目より案外臆病者なのだなぁと。
★★★
「ニーナ・アンダーソンです。昨日地球から来ました。着いたばかりで何も分りません、みなさん、御指導、宜しくお願いします」
朝の日差しが差し込む静寂に包まれた教室で、あたしの声だけが響き渡る。そして、思った。こんな風に無事、転入先の教室で挨拶出来るのはユキの御蔭と言う事を。あたしは、あの後二度寝して、寸出の処でユキに叩き起こされたのだ。
おとなしそうに見えるが切羽詰まった時の彼女は意外と強かった。自称低血圧のあたしを無理矢理起こして着替えさせ、食堂に引っ張って行った挙句に洗顔の段取りまでして見せたのだ。ありがとうユキ。あたしは暫くあんたに頭が上がらない。
そんな事を考えながら無難に転入の挨拶をして担任が指示した空席につく。ここが当分あたしのテリトリーだ。窓際後方の一等地、窓の外には体育の授業風景と花壇が広がる。あたしは。その風景を眺めて、改めて此処が地球で無い事を実感した。
コンクリートに囲まれた地球。自然には全て人の手が入り、本当の意味でそう呼べる環境は無くなった地で育ったあたしに、この環境は少しわざとらしくも感じられた。これも誰かが仕組んだ事では無いかと無用な詮索をする。
まぁ、すぐに慣れるよと自分に言い聞かせ、遠くの山脈に目をはせた。今日も雪を湛えた山並みは、静かにそこに横たわり、銀色に輝いていた。
★★★
女子は何処でも話好きと言う事を改めて実感した。何故ならば、授業中の風景と休み時間のギャップが、とてつもなく激しいからだ。あたしはクラスメート全員に取り囲まれ、地球の事を根掘り葉掘り聞かれた。特に流行り物に対する興味は年頃の女子の集まりであるこの学園において必要不可欠な話題である事は火を見るよりも明らかだ。あたしの話を一挙手一投足、聞き漏らそうとしない姿勢は授業に使えば、かなりの効果が有るであろうと思われる行為だった。
何処も変わらないんだと言う実感は、あたしの不安を払拭した。100%お嬢様なんて言う謳い文句は教師達の一方的な思い込みか、辿りつきたい理想論――そう有りたいと言う願いで有るのだろう。何にしても、此処に居るのは正真正銘の人間達だ。あたしはそれを実感して、酷く安心するのを感じて居た。
この雰囲気は悪くない。あたしは此処でやっていけそうだ。そう実感した直後、取り囲んだ女子の輪が、はらはらと崩れて行くのを感じた。妙なプレッシャーと共に。その中心に居たのは――
「せ、生徒…会長…」
確かクリスって言った筈だったわよね。生徒会長は昨日と同じく副会長二人を伴って、あたしのクラスに現れたのだ。
「こんにちはニーナ、どう、学園の雰囲気は如何ですか?」
昨日も感じたのだが生徒会長の笑みには何か裏が有りそうで怖い。それが証拠に、彼女が現れた途端、少女達の小雀の様な囀りは水を打った様に消え失せて、害獣に見据えられた様な表情に変ってしまった。
「え…あぁ、ま、まぁ…」
不意打ちを食らったあたしは、答えに詰まる。ただ、慣れたかと聞かれても、まだ午前中すら終わって居ない。
「皆さんも、彼女と仲良くしてあげて下さいね」
姉妹の長女が妹を諭す様に生徒会長は微笑みを絶やす事無くそう言った。それに反応して、周りの生徒たち全員が「は~い」と少し間延びした調子で答えて見せた。
なんじゃこりゃ――
正直な感想はそんな感じだった。だって、サービス良すぎないかい?故郷の学校は事無かれ主義で放任主義、結果は本人の実力でつかみ取ると言うスタンスだった。学校なんて、そんなもんだと言う認識が有ったから、あたしにとって、この生徒会のパフォーマンスは、ちょっと素直に受け止められなかった。ただし、それがひねくれてる証拠だと言われてしまえば否定も出来ないのだが。
「生徒会室は一階の職員室の隣、わたしは出来るだけそこに居る様に心がけて居るわ。もし何か分らない事や不都合が有ったら、遠慮なく尋ねて来てね。勿論、雑談だけでも歓迎するわ」
生徒会長クリスはあたしの横に進み出ると、あたしの肩に手を置き笑顔をパワーアップ。なんだか良く分からないけど背筋がぞくぞくする。
生徒会長は、自分の言いたい事を全て話し終えると自分の発言に満足したのか取り巻き二人と共に颯爽と教室から姿を消した。その様子をクラス全員が目で追いかけ、姿が見えなくなったと同時に全員が大きく溜息をついた。
なんか考えて居る事は皆同じらしい事であたしは、このクラスの一員になった気がした。
★★★
昼食時間、食堂でユキと一緒になった。あたしは午前中の事を彼女に話すと「あぁ…やっぱしねぇ…」と言ってパンをちぎる手を止めた。
「やっぱしねぇって生徒会長は転入生が来る度にああしてクラスを廻ってる訳?」
あたしは思いっきり怪訝な表情でユキに尋ねたが、ユキはこれが当り前よと言う表情であたしに答えて見せた。
「うん、そうよ。転入生だけじゃぁ無いわ。噂によると新人の教師が来ても足繁く挨拶に廻るそうよ」
この学校の生徒会と言うのはマメなんだなとしみじみ思った。そして、やっぱり彼女は政治家になるのが一番の道じゃぁ無いかと改めて思った。
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