第一章 1-8 小説家、渡部陽一になる。

 朝靄あさもやの帝都に響く、軍靴の音。

 治安組織は夜討ち朝駆け、定時出勤/定時上がりなどという概念は存在しない。


 こちら現場の堀江咲也です。


 夜半に入った隠密からの情報で、新たに「敵」のアジトが判明したらしく、

 我ら思想警察、夜も開けきる前に屯所を出立した。

 王の口利きで加入した僕にとって「初陣」と言えるが……

 そもそも、軍人になる訓練とか一切したことないからね。

 岸辺露伴先生は「漫画家には体力は要らないと思うのなら、大間違いだ」と仰っていたけれど、それはあくまで原稿に向かう体力であって、抵抗する邪教徒を力づくで鎮圧する体力ではない。

 体育大学の学生レベルで体幹のブレない走りをする隊士たちに、ついていくだけで精一杯よ。


(というか……)

 これからガサ入れに入る「邪教徒のアジト」って、どんなところなんだろう?

 王様や中尉の話では【無辜むこの民を妄言でたぶらかし、法外な利益を搾取する詐欺師に等しい輩】らしいけど……

(てことは何だ? 賢者のアジト=オレオレ詐欺の首謀者の事務所みたいな感じか?)

 いや、ここは異世界。現代よりは、段違いに野蛮な世界だ。

 ISの根城に踏み込む多国籍軍作戦部隊、くらいの覚悟で臨んだ方がいいのかもしれない。

(鬼が出るか蛇が出るか……)

 とりあえず、僕が出しゃばっても何も出来ないから、渡部陽一で行こう。

 カメラはないが、ペンの力でルポルタージュ文学してやんよ!

 ……いや? それは渡部陽一ではなくて太田牛一では?


 とか、行軍中に考えていると……


「止まれ!」

 中尉の号令で、足を止める隊士たち。

「ここで間違いないか?」

「は、中尉! 斥候からの情報では、ここで間違いございませんッ!」

 と副長は応えるものの……

(ここ????)

 とても、羽振りのいい詐欺師の事務所には見えないよ……

 ここらは帝都の下町、雑然と集合住宅が立ち並ぶ労働者階級の街だ。

(敢えてそういうところにアジトを置いて、偽装しているのか?)


「全員抜刀!」

 じゃきーん!

 うわ……本物の剣じゃん、真剣じゃん……

「抵抗する者は、斬り捨ててヨシ!」

 オウ! と無言で刀を掲げ、テュルミー中尉に応える隊士たち。

「行けぇぇぇぃ!」

 ウォォォォォォォ!!!!

 解き放たれた猟犬の勢いで、「アジト」へ雪崩込む思想警察隊士たち!

 常在戦場の殺気は、ハングリー・ライク・ザ・ウルフ!

 僕も、悪目立ちしない程度に参加しようと思ったが……全然ついてけない!

 渡部陽一にもなれない!


 ☆


「ハァ、ハァ……」

 息も絶え絶えで建物へ踏み込むと……意外な光景が広がっていた。

 あまりにも普通なのだ。

 何の変哲もない、庶民のアパートメントだった。

 信者からむさぼり取った暴利を貯め込む金庫など、影も形も見当たらないし、

 当局のガサ入れに備えた武器やバリケードの類も、一切ない。

 ありきたりな庶民の生活痕のみ。


「我々はァーッ! 今上陛下御預かり、非合理思想摘発局であーる!」

 中尉の懐刀である副長が、アパートメント中に轟き渡る声で言い放った。

「マクシミリアン帝様御聖断、【魔利支丹婆羅門追放令】に従い、我ら思想警察が淫祠邪教いんしじゃきょうの根絶を為すものであーる!」

「抵抗する者はで斬りに致す!」

 傾奇者の様式美よろしく、朗々と口上を述べる思想警察の隊士たち。


 対してアパートメントの住民たち、抵抗するどころか震え上がっているじゃないか?

「本当にここが極悪カルト教団のアジトなの? 斥候の情報が間違ってるんじゃ?」

 悪の詐欺師集団なんて、全然見当たらないよ。

 先輩たちを見倣って「ガサ入れ」の真似事をしてみても、何の危険物も出てきやしない。


 拍子抜けのまま、終了ですか?

 と、気を抜いていたところに――――


「中尉ーッ! ありましたァーッ!」

 奥の方から隊士の叫び声が聴こえた。


 たまたま近くにいた僕も、現場へ向かってみると……

「これはまさしく御禁制の壺! 龍の紋章は、邪教のしるし!」

「さては貴様ァ、邪教徒かァァ?」

 特徴的な龍の飾りが付いた壺を発見した隊士、その部屋の住民をグイグイ締め上げたが……

「◎△$♪×¥●&%#?!」


庶民語リンガフランカ貴族語リシーヴデド・プロナンシケーションじゃ無理よ~』

 翻訳妖精が骨伝導で伝えてくれた。

『いま、あわせるから、ちょいまち~』


「○!※□◇#…………ちげぇます! こりゃ祖母の遺品で、ワシらは摩利支丹まりしたんではごぜぇません!」

 うお、いきなり合った。翻訳のチューニングが。


「抵抗するか! この邪教信徒め!」

 貴族語をしゃべれない旦那さんの代わりに、僕が先輩隊士へ訴えた。

「この方、自分は邪教信徒ではないと言っています! 亡くなった家族の遺品だと!」

「本当かァ? ならばコレを踏んでみろッ!」

 副長、一枚の絵を持ち出し、床に叩きつけた。

 幻想的な龍の描かれた絵画である。


「よしッ! 合格ゥ!」

 疑われていた旦那さん、隊士の前で絵を踏みつけ、自身の潔白を証明した。

「残りの者も検分だッ! 集めろ!」

 副長はアパートメント住民の連行を部下に指示した。


 ☆


 僕も、指示に従って高層階まで足を伸ばしたところ……

「ヒィッ!!!!」

 僕の姿を見るなり、慌ててきびすを返す女性が。

「あ……落としましたよ?」

 彼女が落とした品に手を伸ばすと……

「はっ!?!?」

 それはあの絵と同じものだった。副長が、邪教信徒をいぶり出すために用意した、幻想的な龍の絵だった。

 それを所持してたってことは……つまり彼女は……

「あ……あ……ああ……」

 KONOYO NO OWARIみたいな顔で膝を着く彼女、

 彼女が僕を見るなり逃げ出したのは、この制服のせいだ。

 帝都の邪教狩りで勇名(悪名?)を轟かせる思想警察だもの、そりゃ当事者にとっては悪魔みたいなもんだろう……

 それでも彼女は、手にした龍の絵、壺、ネックレス、掛け軸などを手放そうとはしなかった


「堪忍して下さい! これだけは! お願いします! お願いします! どうかお情けを……」

 女性は髪を振り乱して懇願してきたが……

 思想警察の隊士である僕には、出来ない相談だ。


「お願いします! これだけは……取り上げないで下さいまし! どうか! どうか!」

 それでも彼女は必死に訴えてくる。

 絶対権力者の禁令に反するものと分かっているはずなのに……

 そんなに大切なものなの?

 詐欺師が牛耳るカルト教団、そいつらが君から搾取するために売りつけた物だよ?


「ショーセツカ卿~ォ? 上の階は終わったかね~ェ?」

 ドキッ!!!!

 心臓が止まるかと思った。

 しかし、いよいよ猶予はない。

 グズグズしていると中尉たちがここへ登ってくるかもしれない!


 命令通り、連行するか? 非力な僕だって、女一人くらいなら連れていける。

 下手に波風を立ててしまったら、王の機嫌を損ねるかもしれない。

 そしたら元の世界へ帰れなくなるかもしれない。

「…………」

 青ざめる女性信徒と、階下の中尉。交互に見比べ…………僕は何をするべきか?



「…………ショーセツカ卿?」

「こちらは特に問題ありません! 住民の女性を一人、そちらへ連行します!」

 と貴族語リシーヴデド・プロナンシケーションで階下へ叫び、


 僕へすがる女性信徒には、

「一旦、その絵や壺は僕が預かります。悪いようにはしませんから、まずは下で身の潔白を証明してきて下さい。いいですか、決して思想警察には反抗しないように」

 と耳打ちした。

 貴族思想警察の隊士には理解できない、庶民語リンガフランカで。

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