今川焼

雨に打たれる彼女

 フロントガラスしにあめたれる彼女かのじょをぼんやりとながめて十分じゅっぷんった。

「アイツ、なにやってんだ……?」

 ここはとあるサービスエリアの駐車ちゅうしゃじょうである。

 せっかくのやすみだしかけよう。

 今朝けさそう思い立おもいたって高速こうそくり、わたしすこはなれたまちまでやってきた。しかし途中とちゅうあめられて観光かんこうらしい観光かんこうができず、帰り道かえりみち休憩きゅうけいしようとたまたまったのがここだった。

「こんな大雨おおあめじゃ、なにもできねぇよな……」

 リクライニングシートをかたむけてハンドルのほうあし投げ出なげだし、居眠いねむりでもしようかとおもっていた矢先やさきとおくのほう一人ひとり女の子おんなのこかさもささずにたたずんでいるのがえた。

 はじめはすぐにどこかへくだろうとおもっていた。

 しかし、彼女かのじょはそのからうごこうとしなかった。ちかくに屋根やねのある建物たてものがあるのに雨宿あまやどりしようともしない。十分じゅっぷんっても、二十分にじゅっぷんっても、彼女かのじょ放心ほうしんしたようにそのちつくし、ただひたすらたきのようなあめたれている。

 なにみょうだ。

 わたしくるま彼女かのじょちかくまでうごかすと、ヘッドライトをパッシングしてみた。彼女かのじょ相変あいかわらず反応はんのうだった。

 しびれをらしたわたしくるまりて、かさしかけた。

「……だれ、ですか?」

 びしょれの彼女かのじょはとても警戒けいかいした様子ようすわたした。ひどくおびえただった。

 そりゃそうなるわな。

 わたしはなるべく笑顔えがおはなしかけた。

べつあやしいもんじゃないよ。っていうか、きみこそどうしたんだ?」

「……」

「こんなあめなかそとにずっとって、風邪かぜひくぞ」

「……」

 まるでくちびるえないいとけられでもしているかのように、彼女かのじょかたくなにくちざしていた。

 沈黙ちんもくめるようにザー、とあめたたきつけるおとひびく。

 こうしているあいだにもこのちいさなかさではふせぎきれない雨粒あまつぶあしたり、段々だんだんからだえてきた。このままではこっちが風邪かぜきそうだ。

 ラチがかないな。

「まぁ、なに事情じじょうがあるんだろうけど、とりあえずあそこにはいらない? ここさむいし」

 わたしはそういながらちかくにあった今川いまがわきの売店ばいてんゆびさした。

 拒否きょひされるかもしれないとおもったが、意外いがいにも彼女かのじょはコクン、とうなずいた。

 こうしてわたしは、この見ず知みずしらずの女の子おんなのこ今川いまがわやきをおごることになったのだった。


 あのかさもささずあめれるあのかけてたすけたのは、一人ひとり大人おとなとして当然とうぜん行動こうどうというか、どんな人間にんげんでも最低限さいていげんそなえている善意ぜんいたんはっするもので、とにかくたいしてなにふかかんがえてやったことではなかった。

 だが、興味きょうみ本位ほんいくび突っ込つっこんでしまったのはやはり間違まちがいだった。


 〇


 天候のせいか、休憩所の中は閑散としていた。

 全身からポタポタと水を滴らせる彼女を見かねて、私は一旦車に引き返してタオルを持ってきてあげた。

 だが、この程度では焼け石に水だ。

「これじゃ、着替えが必要なレベルだな……」

 女ものの服など持っているワケもなく困り果てていると、

「大丈夫かい?」

 今川焼を売っていたおばさんが声を掛けてきた。

 彼女は相変わらず無言で俯き、雑巾のように水を吸ったパーカーの裾を握りしめていた。

「……」

 視線を合わせようともしない彼女におばさんは優しく声を掛けた。

「こんなに濡れちゃって、何があったの?」

 おばさんは一転して、険しい表情で私をにらみつけた。

「アンタ、彼氏?」

 腕組みをして問いただすおばさんに、私は必死で弁明した。

「いや、違います。私はただの通りすがりでして……」

 今までの経緯を説明すると、おばさんは落ち着きを取り戻した。

「そうかい」

 おばさんは困り顔で、はぁ、とため息をついた。

 それに釣られて私もまた、はぁ、と大きくため息をついた。

 おばさんは再び彼女に尋ねた。

「ねえ、どっから来たの?」

「……」

「何歳?」

「……」

 彼女はずっと固い表情で、唇を噛みしめたまま何も言おうとしなかった。

「まだ若いように見えるけど、親御さんは?」

「……たっくんが」

 ここでようやく彼女は言葉を口にした。

 おばさんはびっくりしたように聞き返した。

「彼氏と来たの?」

「……」

 彼女はただただ暗い目で、地面を見つめるのみだった。

 悲しみのような、あきらめのような、負の感情に支配された空気を身に纏う彼女――二十歳前後ぐらいだと思うのだが、年相応のはつらつとしたエネルギーは一切感じない。

 ここで私は二人の間に入った。

「まぁ、たぶん何かあったんでしょう」

 年頃の子だし、話したくないのだろう。

 なんとなくそう察して、それ以上の追及はやめようとした。

 しかし意外にも、彼女は自ら口を開いた。

「ケンカ、して……」

 そう言って彼女はますます沈んだ顔になった。

「土砂降りの雨の日に外に置いてくなんて、ひどい彼氏だなぁ……」

「……」

 彼女はそれ以上何かを語ることはなかった。

 おばさんはまた大きくため息をついた。

「……とりあえずアタシの服貸してあげるから、その間に服をなんとかして乾かしな。サイズが合うか知らないけど」

「え? 大丈夫なんですか?」

 するとおばさんは店の中に入っていくと、ロッカーからワイシャツとスカートを持ってきた。

「コレはここの制服だから、後で洗濯して返してね」

 自分のことでもないのに、私は思わず頭を下げていた。

「……ありがとうございます」

 私の隣でそわそわした様子で目を背ける彼女に、

「あ、ほら。君もお礼言って」

 親でもないのになぜか焦って、私は彼女を促した。

「……ありがとう、ございます」

 消え入りそうな声でそう言うと、彼女は制服を持ってトイレに姿を消した。


 〇


 彼女を連れて車に戻ってきた私は、温かいお茶と一緒に今川焼の入った紙袋を手渡した。

「ほら、好きなだけ食いな。体も冷えてるだろうし」

 先ほどのおばさんへのお礼と思って今川焼を買ったのだが、調子に乗って十個も買ってしまった。いくら二人いるとはいえ、これだけあると家に持って帰っても食べきれないかもしれない。

「……」

 彼女はいやに真剣な顔で袋に手を突っ込むと、一つを取り出してしげしげと眺めていた。

「……食欲、ないの?」

 思えば乱暴に急かしてしまったように思う。彼女は私の言葉を聞くなりビクッ、として、大口を開けて今川焼を飲み込むように食べた。おかげで咽てしまって、ゲホゲホと思い切り咳き込んだ。

「だっ、大丈夫か? 気をつけて」

 慌てて私はさっき買ってきたペットボトルのお茶を指さした。彼女は苦しそうに胸を叩いていたが、お茶を飲んでしばらく経つと落ち着きを取り戻した。

「……すみません」

 彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

「いや、謝るのは俺だよ。ごめんな、自分のペースでゆっくり食べて」

 私は威圧しないように今一度微笑んだ。

 すると、よほど腹が減っていたのか、彼女は見る見るうちに三個も食べてしまった。

「よく食べるねぇ」

 私が感心したようにそう言うと、彼女は恥ずかしそうに顔を背けた。

「あっ、いや、いいんだよ。別に」

 しかし、ものを食べて少しは落ち着いてきたのか、彼女は少し笑った。

 よかった。

「――さぁて、今からちょっとドライブに連れてくけど、行き先はどこでしょう」

 私は車のエンジンをかけながら彼女に話しかけた。

「?」

 カーステレオからいつも聞いているジャズの音が響く中、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「交番」

 私が即答すると、彼女は一気にしゅんとしたように下を向いた。

「……」

「当たり前だろ? 流石に俺も逮捕されたくないよ」

 今善意でやっていることだって、一度未成年者誘拐などと汚名を着せられてしまえば、「いたいけな少女を車で連れ回したロリコン野郎」とかあることないことネット上で拡散されるのがオチだろう。

「……それなら、家に帰ります」

 彼女は諦めたようにそう言った。

「よし、よく言った」

 彼女は家の近くだというとある町で下すように指示してきた。

「へー、君も俺と同じ市に住んでたんだな」

 私はカーナビで目的地をそこにセットした。

「あぁ、音楽変えていいよ」

 彼女はしばらく選曲ボタンを押していたが、なぜかジョプリンの「ジ・エンターテイナー」で手を止めた。半ば冗談で入れたものだったが、それをかけた瞬間に車内が陽気な音楽で満たされた。

「雨の日にこの曲とは、似合わねえな」

 私はハハ、と笑いながらサービスエリアを出て、その町へと向かって車を走らせた。まだ名前も知らない彼女を車の助手席に乗せて。

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