交差点に咲く夢
ちびゴリ
第1話
番号の記された白線内に車を止め薄暗い外へ足を踏み出すと、いつものように車内のミラーに向けてリモコンを操作する。巨大なマッチ棒のような鍵にもだいぶ慣れては来たが、たかだかひと月程度ではぎこちないのは当然で、鍵が掛かった音を耳に赤茶色の建物に向かって歩き始める。
つるべ落としと称される季節で確かに暗くなるのは早くなった。と言っても私が家路に着くころの時間帯は暑いか寒いの違い程度で大抵は日が落ちた後だ。その為、築五年と割と新しい部類のコーポが持つレンガを模した外壁はどす黒くも見えてしまう。
気温以外で季節を感じるとするなら足元の先を散歩するかのような枯葉だろうか。今日も乾いた音を伴って私の前を通り過ぎて行く。ぼんやりとだけ映るそれをほんの少しだけ目で追った。
『リヴェール』と名付けられた建物の階段を上がり202号室の前まで行くと、指に馴染み始めたチャイムのボタンを押す。自分で鍵を使って開けてももちろん問題はないが、これも習慣の一つなのだ。
こじゃれた音色が鳴り止んだとほぼ同時に中から「は~い」と声が聞こえる。時間が時間だからか、ものの数秒後には鍵を回す音がしてすぐに扉が開いた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
これもほぼ決まった会話のフレーズだ。あとはなんとなく瞳で何かを語り合う。もちろんそんな気がするだけだ。
「ご飯もうちょっと掛かるの。どうする?先にお風呂入っちゃう?」
一瞬の表情から私は自分の服の匂いを嗅ぐ仕草をした。
「そんなに匂ってないわよ。夏でもないしね」
そういって照れくさそうに目を細める。それを合図のように私も口の端を上げる。
「そうだな。じゃ~先に入らせてもらおうかな」
「そんな。もらおうかななんて嫌な言い方っ」
「フッ・・。一応、感謝を込めてるんだけどな~」
玄関から僅か先にあるダイニングキッチンを歩きながらファスナーを下して、そのまま奥に向かおうとすると、
「明日はお休みなんでしょ?」と靴を揃え直した後なのか背後から声が届く。
「ああ・・・そっか」
「だったらそのまま脱衣所で良いから。ポケットの中、見ておいてね」
この手の建物の多くはユニットバスで、浴槽とトイレが一体化されている。それがどうにも馴染めなくて住むことに躊躇いを生じさせていたのだが、ここでは風呂は風呂として独立した作りになっていた。またそれがここを選んだ理由でもあった。
脱衣所に置かれた籠に脱いだ衣類を次々入れると風呂場の扉を開ける。スッと音も無く開くのはまだ新しい証拠か。足を踏み入れるとやや籠った空気が全身を包み込んだ。
シャワーで一通り汗を流し湯船に浸かれば無意識に出た声と共にじっと私は目を閉じる。何も聞こえてこない静かな空間だ。顔を数回掌で擦ってから目を開ける。狭くも無いが広くも無い。つまりは丁度いいということなのだろう。それでも手足が伸ばせる浴槽のポイントは高い。
シャワーと繋がれたカランの上のスペースには私の愛用するシャンプーの他に、女性用のシャンプーとコンディショナーが仲良く並んでいる。もちろん使ったことは無い。ただ、どんな香りなのかはスペースの下に開いた空間に置かれたボディソープと共にわかる。
以前はシャンプー等と一緒に並べてあったのだが、何度か間違えて頭を洗ってしまったことから別々に置くことにしたのだった。そして、少し離れたラックには私も使わせてもらっているチューブ式の洗顔フォーム。これは意外と男の油汚れも簡単に落としてくれる優れものだ。壁に吸盤で取り付けたタオルハンガーには青とピンクのナイロンタオルと、紫陽花を思わせる色合いのシャワーキャップが引っ掛けてある。そのやや上方には女性が使う小型のシェーバーが一つ。これも吸盤で付けたホルダーに収まっていて、稀に落ちて来て驚かされたりする程度で、特にこれといって物珍しいものは無い。
強いてここにない物と言えば、
「アヒルか・・・」
言葉にならぬような声を発し、そのまま視線を壁に移す。力でも入れて磨けば落ちてしまうのではないかと思われる淡いエメラルドグリーンにはカビらしい黒ずみは一カ所も見当たらない。
「そろそろ・・・・・・一年・・・か」
独り言のように呟いてから指先で脇腹辺りをなぞってまた目を閉じた。
脱衣所に置かれた下着をつけ部屋着に袖を通すとタオルで汗をぬぐいながらDKを抜けて寝室隣の六畳間に向かう。今夜のおかずは炒め物だろうか、手際よくフライパンの上で箸を動かす姿が目に入る。
「もう出たの?ちょっと早いんじゃない?」
「いや、いつもと同じぐらいだろ」
「そう?ちゃんと洗った?」
「とりあえずは」
「そう?あとで調べるわよ!?」
と、意味有り気に目をキラッと光らせる。休日前夜はこんなセリフが考えたら多いだろうか。トイレと風呂は別というのは有り難いが、DKを通らないと部屋に行けないのがここの唯一の不満点だろうか。もっとも慣れてしまえば大した問題でもないのだが。
「はい。冷えてるわよ。おビール」
そう言って腰を下ろした私の前に薄茶色のグラスをポンと置く。一瞬目を見開いたが、すぐに泡の無いことにも気付く。いつのもジョークなのだ。
「ク~ッ!風呂上がりの一杯は最高だなっ」
私もそんなジョークに拍車をかける。キッチンの方から細やかな笑い声が聞こえる。
「でも、休みの前くらいならちょっとだけ飲んだって良いかなって」
「ワタシに付き合って?でもすぐ寝ちゃいそうだからやっぱりダメ」
これもいわば休日前の恒例の会話の一つだった。
やがてテーブルに料理が運ばれ私はそれらを口に運ぶ。時間の無いときはスーパーの惣菜の時もあるが、特に休日前は腕を振るってくれる。
「美味いよ」
「ホント?本心で言ってる?」
「今更お世辞もないだろ」
私の言葉を確認するかのように料理を口に運んでうんうんと頷いた。食事の時はTVを点けないこともルールだ。なるべく会話する時間を作る。特に決めたことではないが、自然とそうなっていた。
「退屈じゃないか?ずっと家に居て?」
「仕事を辞めたから?でも平気よ。お買い物にも出たりするし、いろいろやることもあるから。それに仕事してたら遅くなることもあるだろうから、そうしたらコンビニ弁当ばっかりになっちゃうわよ」
「たまにならそれでも良いけどな~」
「でしょ?」
私が目を細めると同時にニコッと微笑み返す。そこにぎこちなさは一切なかった。
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