第1話
「美咲起きなさい! 学校遅刻するよ!」
母の大声で叩き起される月曜日程、嫌いな日はない。
美咲はこれ見よがしに眉根を寄せた後、布団を深く被った。
「あと五分」
「ぐずぐずしてると、これで引っぱたくよ!」
目元だけ布団から出すと、母がエプロンの内側からハリセンを取り出す姿が見える。
これから学校でハリセンに散々叩かれるというのに、家でも叩かれるなんて御免だ。すぐに起きると約束し、母を部屋から追い出す。
すぐに起きると言っておきながら、数分間は布団の温もりという名の魔の手から逃れられずにいた。
なんとか起きることができた美咲は、微睡む眼を擦りながら、ダイニングへ向かう。
階段を降り、食卓に入ると、既に父と翔は椅子に腰掛けていた。
「姉ちゃん、おはよ」
「おはよう、美咲」
「おはよす」
適当な挨拶を返し、席に着く。母が運んで来た朝食が続々と並べられていく。トースト、ベーコン、サラダに目玉焼き。最後にトドメと言わんばかりに、テーブルの真ん中に、新品のブルーベリージャムが置かれる。そのジャムに、男二人は不満をあらわにする。
「またブルーベリー?次はイチゴジャム買ってくれるって言ってたじゃん。父さんもイチゴの方がいいよな!」
「あぁ。ブルーベリーよりイチゴジャムがいい!」
子供みたいなこと言い出す男どもに、母は手元のハリセンをチラつかせる。額の血管が怒張し、怒りマークみたいになっている。
「私はブルーベリーが食べたいんです。次文句言ったら頭かち割るぞ!」
「紙製のハリセンじゃ無理でしょ」
トーストにジャムを塗りながらツッコミをいれる美咲。
母の恫喝に男二人は明らかに怯えていた。しかしそれは一瞬だけだった。恐怖を振り切るように首を振った後、翔が口を開いた。
「都合が悪くなると、すーーぐハリセンで恐喝するなんて、母親としても女としても終わってるぜ!この更年期ババァ!」
「あ"?」
怒りに染まった母の顔が、翔の顔を覗き込む。あまりの恐怖にさっきまでの勢いが萎む。
「って父さんが言ってました」
「翔!?」
突然の裏切りに驚く父に、般若の顔が向けられる。
父の額からは物凄い量の汗が流れている。
「そ、そんな酷い事、俺が言うわけないじゃないか! み、美咲もそう思うよな!」
急に話を振られた美咲。サクサクのトーストを頬張りながら答える。
「まぁ確かに。お父さんはそんな風なこと、あまり言わな──」
「姉ちゃん!今度、駅前のパフェ奢るよ!」
「言ってました」
「美咲!?」
実の子供達に裏切られた哀れな父に、怒りの化身となった母がにじり寄る。
ここもすぐに戦場になる。さっさとお暇させてもらおう。朝食を口に詰め込み、父の悲鳴を背中で聞きながら、自分の部屋へ退散した。
寝癖で暴れる髪の毛を整え、歯磨きに洗顔、諸々の身支度を済ませた体を制服で包み込む。あとは出発するだけだ。
学校指定のカバンを片手に、靴を履いていると、母に後ろから声をかけられた。
「忘れ物はない? ヘルメットは? ハリセンは持った?」
学校に行く度に、心配そうに聞いてくる。気の強く、すぐに人のことをハリセンで叩こうとする母だが、根は優しいのだと思う。多分。
「持った持った。じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。生意気言うやつがいたら、ハリセンで叩きのめすのよ!」
「ハイハイ。善処しますよ」
そう言って、家を飛び出した。
お気に入りの曲を聞きながら、電車に揺られて三十分。目的の駅へ到着した美咲は、そこから学校へ歩みを進める。街並みを縫い、学校へ近づくと、ポツポツと学生が増えていく。
そんな光景をぼんやりと眺め、歩いていると、
「ミーちゃん、おはよ!」
突然、元気な口調ともに抱きつかれた。後ろからかけられた体重で、前方に転びそうになるが何とか踏ん張る。振り返ると、中学からの友人である
「ハルちゃん、おはよ。とりあえず離れてくれる?顔近すぎ」
「いーじゃん、ちょっとぐらい! 減るもんじゃないしぃ」
「じゃあ次からは、アタシに一回触る事に金取るから」
「私のお金が減る! 次からってことは今は大丈夫だね! 最後にたっぷり味わわないと!」
そう言って、頬を擦りつけようとする晴香を何とか引き剥がす。
ケチ!と口を窄めたが、すぐに口元に笑みを浮かべ、ぴょんぴょんと跳ねながら美咲の隣に並ぶ。跳ねる度に、晴香のポニーテールも一緒に跳ねる。
晴香を一言で表すとしたら、太陽だろう。圧倒的に明るい性格で、周りも釣られて明るくなる。本当に良い子だ。どうして私みたいな根暗と友達なってくれたんだ、と常々思ってしまう程。
まぁそんな彼女にも、変な癖が二つ程あるが、それが発動しなければ、何処にでもいる元気な女の子だ。
「そいえば見てくれた? 日曜の!仮面ライダー!プリキ○ア!」
鼻息を荒くしながら、晴香が聞いてきた。
「あぁ、あれね……。あれさ、昨日見ようとしたけど、釣り番組に乗っ取られてたよね」
「そう! そうなんだよ! せっかくミーちゃんが見てくれるってなったのに……、まさかこんなことに……、トホホ」
曇天のような悲しみを浮かべる晴香に、昨日の翔の様子が重なる。そんな様子に思わず笑ってしまう。
「フフッ、ハルちゃん昨日の翔にそっくり。翔も死ぬほど嘆いてたよ」
その言葉に、晴香の表情がパッと晴れた。
「翔くんも悲しかったんだね! ホント気が合うなぁ〜。相性抜群だ! もう翔くんと結婚しようかなぁ。そうすればミーちゃんともずっと一緒にいられるし!」
恥ずかしげもなくよく言うわ。日頃、仏頂面の美咲も、晴香といると頬が緩みがちになる。
「そんな事しなくても、一緒にいるから大丈夫だよ」
そう言ってやると、晴香の瞳が一層輝いた後、ミーちゃん!と言いながら、飛びかかるように抱きついてくる。それを片手で抑える。
「ハイハイ、暑苦しいので近づかないでくださぁい」
「急に冷たーい! せっかくデレたと思ったのに、もう倦怠期だぁ!」
そんな日常会話を楽しんでいた。その時
「うわぁあああ!」
男の情けない悲鳴が通学路に響き渡った。
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