1371年 都から少し離れた とある村
「……ん? 何だぁ、これ?」
母の素っ頓狂な声を聞いて、ミツは土から顔を上げた。それは丁度、野菜の種を放っている最中だった。
「おっかあ、そげな声あげて、一体どうしたぁ?」
「いんやぁ、変な板が出てきたんだよ。ほれ」
母は田んぼの様子を見ていたのだが、その途中で、古びた木の板を見つけたらしい。ミツは泥だらけの手を拭って、木の板をしげしげと眺めた。
「……なんか、これ、文字が書いてねぇか?」
「ああ、ホントだ。おめぇ、よく気づいたな」
……じっと目を凝らしてみると、凸凹とした板の表面には、見慣れない文字が書いてある。ミツは首をかしげながら、何が書いてあるのか、知恵を絞って推測した。
「うーん、てんで分かんねぇな」
母は少し見ただけで、諦めて農作業に戻ってしまった。ミツも試行錯誤ののち、全く解読不能であることに気づいた。……そもそも彼女は、文字の読み方など、一回も習ったことがないのだ。
「……こういう時に、田中の善作がいたらなぁ」
ミツははぁとため息をつき、緑に包まれた山の端を見つめた。「田中の善作」とは、隣の村に住んでいる明るい青年で……、ミツの密かな想い人だ。
「善作なら、おらよりも物を知ってるし……。ひょっとしたら、この文字も読めるかもしんねぇのにな……」
「おう、呼んだか?」
――ミツは驚きのあまり、畑の中でずっこけそうになった。いつの間にか、田中の善作が彼女の傍に立っていたのだ。竹で編まれた籠を背負い、太陽のように笑っている。
「お、おめぇ!! いつの間に、そこにいたんだ!?」
「はっはっは! ついさっきだで!」
善作はそう言うと、ミツの長い髪を優しく撫でた。どうやら、山菜を取りに行く途中らしい。
「そんで? おらに、何か用か?」
「あ、ああ……。おっかあが、こんなもんを見つけたんだ……」
善作は木の板を受け取ると、難しそうな顔をしながら文字を読んだ。ミツは肩に寄り掛かって、じぃっと彼の顔を見つめる。……近づけば近づくほど、心臓がどきどきと音を立てた。
「……よく分かんねぇけど、こりぁあ多分、恋文だで」
「恋文? それって、将軍様が書くようなやつか?」
ミツはそう言いながら、豪華な格好をした将軍が、優雅に筆を動かしている場面を想像した。……想いを伝えるということは、何て贅沢で、そして豊かなのだろう。
「おめぇだって、好きなやつがいたら、書いてもいいんだで。この板みてぇに、書いたらいいんだ」
善作はそれだけ言うと、ミツの母に挨拶をして、山の方へと行ってしまった。恋煩いの、ミツを残して。
「……おらも、恋文、書いてみてぇな」
ミツは大きな善作の背中と、小さな木の板の文字を、交互に、ゆっくりと見つめる。――やがて決心したように、彼女は力強く頷いた。
「よし! おらも恋文、書いてみる!」
その夜、字の勉強を始めると言ったミツは、家族全員を驚かせたのであった。
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