廻り巡る、ラブレター

中田もな

610年 飛鳥の都 その宮中

「東の天皇、つつしみて西の皇帝にもうす……」

 賀茂時子かものときこは、薄暗い書室の一角に座り、何やら真剣な表情をしていた。むすび灯台の明かりを頼りに、強張った様子で筆記具を動かしている。

「うーむ……。少々、粗雑な字になってしまったな……。ええと、小刀、小刀……」

 彼は自分の字が気に入らない様子で、何度も同じ一文を書いては、木簡の表面を削っている。真新しい写本を傍らに、彼は何回も「東の天皇……」を書き続けた。

「おい、時子。このようなところで、何をしているのだ」

「……っ! か、掛馬かけま! 入るでない!」

 彼は友人の気配を感じると、慌てて写本を押しやった。友人は彼の様子を見て、怪しむように首をかしげる。

「もしや、時子。私にくだらぬ隠し事をしておるな?」

「何もしておらぬ! よいから、入ってくるでない!」

 大伴掛馬おおとものかけまは益々怪しみを浮かべ、時子を無視して書室に入った。彼の陰から写本を奪い、がさついた紙の頁をめくる。

「何々……、『東の天皇、敬みて西の皇帝に白す』……。何だ、隋へ宛てた国書の写本か」

 掛馬は拍子抜けした様子で、時子の握りしめた木簡を見遣った。どうやら彼は、国書の文章を使って、字の練習をしていたらしい。

「習字をしておるなら、そう言えば良いのだ。そのように慌てる必要など、全くないではないか」

「は、ははは……」

 時子はぎこちなく笑いながら、掛馬を部屋から追い出そうとした。しかし、それがいけなかった。このような誤魔化しに対しては、掛馬は妙に鋭いのだ。

「……待て、待て。やはり、何か隠しておるな?」

「い、いや! 何も隠しておらぬぞ?」

「ええい、正直に言え! 誤魔化しは通用せぬぞ!」

 掛馬はずいっと顔を寄せ、鼻息荒く責め立てる。時子はようやく観念して、ぼそぼそと胸の内を明かした。

「ええと、その……。お、想い人が、できたのだ……」

 時子は恥ずかしそうにつぶやくと、ぽりぽりと頭を掻いた。彼は想い人への恋文を書くために、字の練習をしていたのだと。

「想い人、とな……!? それは一体、誰なのだ……!?」

 掛馬は驚きに目を見開きながら、友人の顔を食い入るように見つめる。時子に想い人がいることなど、今の今まで知らなかったのだ。

「そ、それは言えぬ! 貴君は口が軽いからな!」

「何!? また、隠し事か!?」

 時子は友人に迫られ、大急ぎで書室から飛び出す。……その夜は、高貴な大の大人が二人、廊下を延々と走り回っていたらしい。

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