実相世界の図書館にようこそ

遠木ピエロ

目を覚ました……?

 目を覚ました、という表現はなにか違う気がする。


 今ふとこのベッドの上に横たわっていることに気がついた、という方がしっくりくる。


 俺はベッドに横たわりながら、木目調の天井を見つめていた。いつからこうしていたのかは分からない。思い出せない。


 ただここが自分の家ではないことは分かった。この天井は、視界に入るだけでゲンナリする俺の家の古く煤けた天井ではなかった。


 体を起こし、周囲を見渡してみる。八畳ほどの部屋は殺風景で、俺が乗っているベッドの他には、部屋の中央に小奇麗で小さなテーブルとイスがあるだけだった。そのさらに向こうには、ドアが見える。俺は吸い寄せられるようにベッドから下りて、そのドアに向かって行った。


 ドアノブを下ろしてドアを開ける。


 その先には、高さ二メートルほどの書架がずらりと並んでいた。間隔をあけて横に八つ並んだ書架ははるか先まで続いており、何列あるのか分からないほどだった。その光景に俺は思わず圧倒された。


 どうやらここは図書館らしい。


 俺は書架の間を真っ直ぐ進んでいった。しかし図書館はあまりにも広大で、歩いても歩いても景色が一向に変わらなかった。俺は迷宮にでも迷い込んだような気分になり、自然と早足になる。三分ほど歩いただろうか。ようやく視界が開けてエントランスのような場所にたどり着いた。広く取られたその空間は中央にローテーブルが置かれており、それを挟むようにソファが向かい合って設置されていた。


 俺はそのソファにそっと近寄ると、腰を下ろして天井を見上げた。とても高い天井だった。


 一体ここはどこだ?


 これだけの広さであれば、きっと有名な図書館に違いない。だが本が好きであちこちの図書館に行ったことがある俺にも見覚えのない図書館だった。


 それ以前に、なぜ俺はこんな所にいるのだろう? なんとか記憶を辿ってみようとするが、この図書館に来た経緯を思い出すこともできなければ、ここ最近何をしていたのかを思い出すことすらできなかった。


 自分の名前は、中村陽介。年齢は28。職業は中央区の図書館の司書。趣味は読書で、二十四時間三百六十五日、本を読んでいたいと思うほどの本好き。自分のプロフィールは何の問題もなく思い出せた。


 でも昨日の記憶、一昨日の記憶となるとさっぱり思い浮かべることができなかった。どこかで大酒を喰らってここ最近の記憶を落っことした挙句、フラフラとこの図書館に流れ着いたのだろうか。


 それにしても図書館にベッドやテーブルの置かれた一室があるというのも珍しい。いや、珍しいというより不可解だ。そんな部屋、図書館に作る必要はない。


 そして何よりも不可解なのは、この図書館にまるで人けを感じないことだ。耳を澄ませてみても耳が痛くなるほどの静寂しか感じ取れず、人の足音や衣擦れ、本や雑誌をめくる音。そうした図書館に当然あるべき音たちがまるで存在しなかった。


 本が好きで図書館司書になり、図書館という空間がどこよりも好きな俺からしても、この図書館の雰囲気はどこか不気味であり、気持ちが落ち着かなかった。

 

 ふとローテーブルに目線を落とすと、そこに一枚の紙が置かれていることに気がついた。取り上げて見てみる。

「一階、国内純文学。二階、国内大衆小説。三階、ライトノベル。四階、自然科学……」


 どうやら各階に何の本が置かれているのかを記述しているようだった。この紙を見る限りだと二十二階まである。まだ全貌を把握したわけではないが、この一階も相当な広さだ。それが二十二階まであるとなると、この図書館には想像もつかないほどの膨大な量の本が収められていることになる。


 だが俺は自分の口角が少し上がるのを感じた。本が好きな自分からすれば、それだけたくさんの本に囲まれているというだけでワクワクしてくる。


 紙をローテーブルに戻し、周囲を見回してみる。すると右手側の端に階段があるのを見つけた。その紙に書かれていることが正しければ、この図書館は二十二階まであることになる。本当かどうか確かめたくなった俺は、ソファから立ち上がると階段を目指して歩いた。


 踊り場に表示された階数を確認しながら階段を上り続けていくと、ついに最上階の二十二階にたどり着いた。軽く見まわしてみると、このフロアも恐らく一階と同じ広さがあるようだった。やはりここにはとてつもない量の本が眠っているようだ。


 しかしここがどこの図書館なのか、一体自分がなぜこんな所にいるかはさっぱり分からなかった。思案しながら階段を下りて先ほどの一階のエントランスに向かう。一歩一歩階段を下りながら、ふとあることに気がついた。


 まったく足が疲労していない。


 さすがに二十二階の階段を、それも一階一階がそれなりの高さがある階段を上り下りして、まったく足に疲労を感じないはずがない。呼吸もまるで乱れていない。体力のない俺がどうして……と思った時、ふとある仮説が思い浮かんだ。


 『これは実相夢である』


 実相夢とは、寝ている時に見る夢ではあるが非常に鮮明で、まるで現実と見まごうような夢のことだ。精神科医の友人から以前この夢について聞いたことがある。精神的に追い詰められた人がその逃避先として作り出すもので、実際には一晩しか寝ていなくても、夢の中の体感時間としては一日どころか一週間くらいに感じることもあるそうだ。


 この仮説が正しいなら足がまったく疲労しないことにも納得がいくし、この図書館の存在も説明がつく。この図書館は俺が作り出した夢の存在なのだ。ただ俺は別に精神的に追い詰められたりはしていないはずなのに、なぜ実相夢を見ているのだろう。記憶が抜け落ちたここ最近に、余程つらい何かが起きたのだろうか。


 一階まで下りてから、階段のすぐそばにある本棚を眺めてみた。知らないタイトルの小説ばかりが並んでいた。そのうちひとつを手に取ってページをめくってみると、夢だからと言ってでたらめな中身ではなく、ちゃんとした内容の小説が描かれていた。決して自分の想像が作り上げた小説とは思えなかった。


 それならば俺のやることはひとつだ。この夢から覚める前に、できるだけたくさんの本を読んでやろう。さっきまでの落ち着かない気持ちは一気に晴れ、そんな野望に火がついた。


 手当たり次第に本を読んでも良かったのだが、まずはこの図書館の全貌を確認することにした。どんな本が収められているのか、そして一階から二十二階までどんな構造をしているのか。それを把握したかった。


 どんな本が収められているのかを把握するのは今後の読書計画を立てるためだが、図書館の構造を把握するのはもしかしたら俺が最初に目覚めた部屋や一階のエントランスのように、書架が置かれている以外の特別な空間があるかもしれないと考えたからだ。


 まずは一階を踏破することにした。目覚めた部屋からエントランスまではただ書架が並んでいるだけだったが、そのさらに先に進めば何かがあるかもしれない。エントランスに戻った俺は、目覚めた部屋とは反対方向に向かって書架の間を歩いた。


 最初は遠すぎてよく見えなかった端が、歩くにつれて徐々に見えるようになってきた。見えてきたのは、木でできた大きな両開きの扉だった。アーチ状になっており、その重厚な雰囲気から考えるに、恐らくこれが図書館の出入り口なのだろう。自分が作り出した夢の図書館なのに、出入り口が備わっているのがなんだかおかしかった。この文字通り夢のような図書館から出たいなんてこれっぽっちも思わないというのに。


 俺は身を翻した。次は二階を調べよう。一度エントランスまで戻り、階段で二階に向かった。二階もパッと見は一階と特に変わらない構造に見えた。


 ただ、一階のフロアの端には目覚めた部屋や出入り口があったので、もしかしたら二階も端には何かがあるかもしれない。そう思って壁沿いにフロアをぐるりと一周してみたが、特にそれらしいものはなかった。


 三階、四階、五階と一つずつ構造を確認していく。どこも二階と変わらない造りをしており、違うのは書架に収められている本の種類だけだった。


 そうして階段を上って十階までたどり着いた時、正面に一階と同じようなエントランスがあることに気がついた。さっき二十二階まで上った時は階数を数えるのに意識を取られていて気がつかなかったようだ。


 エントランスにはやはりローテーブルとソファが置かれていた。一階にあったものとまったく同じものだ。そしてローテーブルにも一階と同じように一枚の紙が置かれていた。これも各フロアにある本の種類の案内か、と思いながら紙を手に取った。


 <お願いだ、この図書館でできる限りたくさんの本を読んでくれ。頼む>


 紙にはそう書かれていた。文面を見て俺は少しドキリとする。


 内容的に、誰かから俺に宛てられた手紙なのだろう。しかし俺が作り出したはずの夢に、誰が手紙を送れるというのだろう。それとも俺から俺へのメッセージなのだろうか。夢のような図書館を作ったから、その蔵書を余すことなく読んで楽しんでくれ、という意図の。それにしては、お願いだ、頼む、などという切羽詰まった言葉が添えられているのはなぜだろう。


 けれど、どれだけ考えたとしてもこの手紙が一体何なのか分かるとは思えなかった。俺は引っかかるものを感じながら、手紙をローテーブルに戻した。そして一息つき、気を取り直して図書館探索を続けることにした。結局この十階もエントランス以外は書架しかなかった。


 十一階、十二階、十三階……二階と同様に書架だけが並ぶ階が続く。そして最上階である二十二階にたどり着いた。


 最上階だから何か特別なものがあるかもしれない。その俺の予感は的中した。位置的には一階の目覚めた部屋と同じ場所に、ドアがあった。ただ一階のドアのように木目調のドアではなく、一滴の濁りもない真っ白なドアだった。今まで図書館の中をくまなく見てきたが、明らかにこのドアだけ異質で異様な雰囲気を放っていた。


 ドアノブを下ろして、俺はその部屋の中に入った。


 部屋の中は目覚めた部屋と同じく八畳くらいの広さだったが、内装はまるで違っていた。天井も、床も、壁も、すべてがドアと同じくつやのある白だった。そして部屋の中央に床から伸びた台があった。俺はその台に近づいた。


 台の上には大きな円形のボタンがあり、そのボタンの下に薄気味悪い赤でこう書かれていた。


 <世界を終わらせる>


 その言葉のインパクトにまた俺はどきりとした。


 なんだ、このボタンは。世界を終わらせるとはどういうことだ。世界とはこの図書館のことだろうか。このボタンを押すと夢から覚めるということか?


 しかし夢から覚めるだけなら、<夢から目覚めるボタン>とでも書けばいい。それを大仰に<世界>を<終わらせる>なんて表現にしているのがどこか恐ろしかった。ただ単に夢から覚めるためのボタンだとは思えなかった。


 いずれにせよ、今の俺にはこの図書館の本を読み漁ることが何よりも大事だった。単に夢を終わらせるためのボタンだったとしても、押す理由なんてどこにもない。俺はボタンに背を向けて部屋を出た。


 それから俺は本を読むのにひたすら熱中した。気が向くままに図書館の中を歩き、ジャンルを問わず面白そうな本を見つければ手に取って読む。幸せの極致だった。仕事に読書の時間を削られることもない。本を読む時間を奪うので嫌いだった睡眠をとる必要もない。煩わしい人間関係もない。二十四時間三百六十五日、本だけを読んで過ごせたらいいのにという俺の馬鹿馬鹿しい夢が実現したのだ。


 どれだけ過ごしただろうか。五年、十年、百年。いやもっと経っただろう。永遠にも感じる時間が経過したが、俺の夢は覚めることがなかった。そして俺はひたすら本を読み続けた。最高の幸福、のはずだった。


 ところがいつからだろう、本を読んでいても、その内容が頭に入りづらくなってきた。文章に集中しようとしても、なぜだか気が逸れてしまうのだ。こんなことは今までの人生で初めてのことだった。


 さすがに百年を越える時間も本を読み続けていれば、どれだけ本好きの俺でも飽きてしまうのだろうか。あまり認めたくはなかったが、確かに自分の中に読書をするよりも、体を動かしたい、誰かと話をしたい、といった欲求が芽生え始めていた。


 それならばと思い、気分転換のつもりで図書館の中をジョギングしてみることにした。広大な図書館だから、いくらでもジョギングできる。


 ところが夢の中だからか、疲労感を感じない代わりにいくら走っても爽快感を味わうことができなかった。散々図書館の中を走り回った結果、俺は走るのをやめた。


 それならばと思い、最初に目覚めた部屋に戻ってベッドの中に入ってみた。寝れば気分も一新するだろう。ただ予想していた通り、どれだけ目をつぶっていても眠気が訪れることはなかった。


 結局、この図書館でできることは本を読むこと以外には何もなかった。それを悟った俺はまた本を読んでみたが、やはり本の内容が頭に入ってくることはなかった。


 どうしたらいいのか完全に分からなくなった俺は、読んでいる本の主人公が飛ばしたジョークのくだりで、わざと大声で笑ってみた。俺の笑い声は図書館の高く広いフロア中に幾重にも反響していった。反響した声は俺の笑い声というより、今の俺の有様を見ている誰かが俺をあざ笑っている声のように聞こえた。 


 その反響する笑い声を聞いた途端、俺の中にこの図書館に最初に足を踏み入れた時に感じた不気味さが鮮明によみがえってきた。自分以外に誰もいない、あるべき音が存在しない図書館。自分にとって安息の場所であるはずの図書館なのに、いるだけで不安が心に満ちてくる。


 気がつけば俺の心臓は激しく鼓動し、その音が感じられるほどだった。呼吸も乱れている。自分の精神が明らかに歪んでいくのを俺は自覚した。

 

 この図書館から出たい。


 はっきりとそう思った。夢ならば自分の体に物理的な衝撃を与えれば覚めるかもしれないと思って、俺は壁に頭を何度も打ち付けた。けれども痛みを感じることもなければ、ぶつけた額から血が流れることもなかった。


 ますます荒くなっていく呼吸の中で、俺はふと思い出した。この図書館には出入り口があったはずだ。最初に図書館の中を探索した時に見つけたものだ。俺は走ってあの出入り口に向かった。


 両開きのアーチ状の扉は、過去に俺が見た時と変わらずそのままそこに存在していた。図書館の外がどうなっているかは分からないが、とにかくこの図書館から出さえすれば自分の心も落ち着いてくれるだろう。その一心で扉を開いた。


 その扉の向こうに広がっていたのは、ずらりと並んだ書架だった。目覚めた部屋から出た時とまったく同じ光景が目の前に広がっていた。俺は思わず息が詰まった。


 出入り口じゃなかったのか。


 愕然とした思いで足を前に進める。しばらくすると、見慣れたエントランスが見えてきた。ローテーブルとソファ。そしてローテーブルの上にはやはり一枚の紙が置かれていた。俺はそれを手に取った。

「一階、ビジネス書。二階、技術書。三階、自己啓発……」

 俺は紙を放り捨てると、さらに奥に向かって走った。その先にはやはり両開きのアーチ状の扉があり、それを開くとまた同じ光景が広がっていた。


 俺は走った。走っていくつもの扉を開いた。そして開くたびに同じ光景が目の前に広がった。いくつの扉を開いたか分からなくなるくらいに走り続け、そしてある瞬間、俺はぷつんと糸が切れるようにへたり込んだ。


 この図書館には出入り口がない。どこまで行っても果てしなく図書館が広がっているだけなのだ。そう理解した俺は、声をあげて叫び続けた。叫んだ声は図書館に反響して、俺の耳に戻ってくる。俺の体を震わせる。自分の中から理性がかき消えそうになるのを感じた。


 誰かこの夢を終わらせてくれ。


 そう思った瞬間、あの<世界を終わらせる>と書かれたボタンのことを思い出した。そうだ、あのボタンを押せばこの夢は終わるに違いない。


 ただやはり引っかかるところもあった。<夢から覚める>ではなく、<世界を終わらせる>という物々しい表現が使われていたのはなぜだろう。この夢を終わらせるのではなく、俺の命を終わらせるということなのかもしれない。分からない。分からないが、もう俺は自分の命が終わっても良かった。とにかくこの図書館という地獄から抜け出したかった。俺はまた走り、開いてきたたくさんの扉を戻り、あの白い部屋を目指した。


 扉を開けると、あの真っ白の部屋が俺を迎え入れた。部屋の真ん中にある台に駆け寄り、その上にあるボタンと文字を確認する。


 <世界を終わらせる>


 薄気味悪い赤の文字は、心なしか以前よりもおどろおどろしさを増しているように感じた。迷いなくボタンを押すつもりだったのに、思わず手が止まる。


 俺は目をつぶり、大きく息を吐いた。


 仮にこのボタンを押して俺の命が終わっても構わない。それ以上にこの地獄に留まりたくない。自分の意思を何度も反芻して確認する。


 そして俺はボタンに手を掛け、勢いよく押した。

 

 視界が急激に白く染まり、五感が、思考が、意識が、弾けていくのを感じた。


――中村陽介さん、お帰りなさい。


 その声を聞いて、俺はゆっくりとまぶたを開ける。目の前には紺のスーツに蝶ネクタイ、そして丸眼鏡をかけた胡散臭そうな男が立っていた。


「中村さん、いかがでしたか? 私や視聴者の方々からすると一瞬のことだったんですけどねぇ」


 目の前の男が何を言っているのか分からなかった。分からなかった……いや、思い出してきた。この男は有名なバラエティ番組の司会者だ。そうだ、俺はバラエティ番組に出演していたのだった。VR仮想現実世界にどれだけ長く滞在できるかを賭ける番組に。


 俺は周囲をぐるりと見渡す。そう、ここはテレビ番組の収録スタジオだ。何台ものカメラが俺の方に向けられている。そしてバックには巨大なモニターが設置されている。


「えー、滞在時間の測定は裏で進めていますので、その間に中村さんのVR仮想現実世界での動向をダイジェストでお送りしますね」


 司会者がそう言うと、バックのモニターに映像が映し出された。そこには俺と、俺が長く過ごした図書館が映っていた。ベッドから下りて、困惑しながら図書館を歩く俺が。図書館を意気揚々と探索する俺が。幸せそうに本を読む俺が。そして徐々に狂っていく俺が。


「おっと、壁に頭を打ち付けていますねぇ。ははは。これは夢から覚めようとしているんでしょうか。でも残念。そこはVR仮想現実世界なのでそれじゃ目を覚ますことはできませんねぇ」


 その後も、出入り口だと思っていた扉を開けて、その先に図書館が広がっていた時の絶望と悲哀に満ちた俺の表情や、正気を失ってひたすら走り続けながら次々と図書館の扉を開けていく俺が映し出される。そして最後に<世界を終わらせる>ボタンを、虚ろな表情で押す俺が映し出され、ダイジェスト映像は終わった。


「うーん、中村さんのご要望の通り、一億年かけても読み切れないだけの本を用意した図書館だったんですけどねぇ。チャレンジの前は『一億年どころか永遠に図書館から出ないかもしれませんね』なんて中村さんおっしゃってましたけど、この感じだとあんまり本は読めなかったみたいですねぇ」


 そうだ。滞在するVR仮想現実世界は挑戦者である俺が自由に決めることができた。俺は一億年かけても読み切れないだけの本が収められた図書館を要望したのだった。二十四時間三百六十五日、本を読んでいたいと思うほど本が好きな俺ならば、いつまででもそこに滞在するはずだと考えて。


「そういえばVR仮想現実世界の自分に送ったメッセージ、あんまり役に立たなかったみたいですねぇ。<お願いだ、この図書館でできる限りたくさんの本を読んでくれ。頼む>という文面でしたが、ただ気味の悪いメッセージとしか映らなかったみたいですねぇ。だから私言ったんですよ。そこに長くいるほどたくさんの賞金がもらえるぞ、っていうストレートな表現にすればいいのにって。中村さんはお金のことを書いたらかえって読書に集中できなくなるから駄目だっておっしゃってましたけど」


 司会者の言葉を聞いて、俺はまた思い出した。そうだ、VR仮想現実世界の自分にヘルプとして送れる一通のメッセージの内容も俺が自分で決めたんだった。


 そして俺は一体あの図書館にどれだけの時間いたのだろうか。あの永遠にも感じられた時間。その実際の時間は――。


「あ、滞在時間の測定が終わったみたいですね。モニターに映しますね」


 俺はモニターを凝視する。一体どれくらい……。


<一年と三日>


「おっと、たったの一年と三日だそうです。あらあら全然ダメでしたね。目標の一億年には九千九百九十九万九千九百九十九年足りませんでした! 残念でした!」


 たったの、それだけ? あの永遠にも感じられた時間が一年と三日? 俺は呆然としてモニターに映し出されたその五文字を眺めていた。


「じゃあ、賞金をお渡ししますね。一年につき十円、端数は切り捨てなので中村さんの賞金は十円となります。おめでとうございます!」


 司会者は底意地の悪いニヤニヤとした表情で俺の手に十円玉を握らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

実相世界の図書館にようこそ 遠木ピエロ @t_pierrot

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ