第130話 利子 終

 私が意識を戻してから三回目の梅雨がやって来た時、私は外出を許された。


「拓海、付き合わせちゃってごめんね。兄貴、仕事休めなくて。」

「トシが昏睡中ずっと職場の人が仕事量調整してくれてたみたいだしな。」

「出かけられる様になったこと、仕事場の人も喜んでくれてるみたい。兄貴も喜んでた。」

「事故のこと、ニュースで見て、結構、早めの時期に見舞いに行ったんだよ。でも、その時はもうトシの命は諦めないって言ってたから、凄いな兄さん。」

「そうだね…。」

「おっここじゃないか?」


 向ったのはりおさんの実家だった。


「はじめまして。吉井利子です。」

「里桜の母です。」

「この度は、ご挨拶を許して頂きありがとうございました。」

「許すも何も…ここまでお元気になられて、本当に良かった。」

「りおさんにお線香をあげてもよろしいですか?」

「もちろん。どうぞ。」


 里桜の母は居間から続く部屋へ案内した。拓海が利子の車椅子を押す。

 仏壇には立派な花が飾られていて、娘を亡くした母の思いは未だに癒えていない事を感じさせる。拓海に補助してもらいながら、ほぼ手を添えているだけだが、線香をあげた。

 仏壇には綺麗な指輪がケースのまま飾られていた。


「りおさんは婚約されていたんですか?」


 利子は聞いてみた。


「えぇ。小学生からね、一緒の子だったの。…でもね。里桜のお葬式にも顔を出さなくて。どんなに傷ついているのだろうと心配していたんだけど…ついこの前ね、他の同級生のお母さんと会って、立ち話をしていたら、彼ねお父さんになってたのよ。もうすぐ四歳ですって。」


 私は回転が遅くなった頭で必死に考え、つい拓海の方を見てしまった。


「そうでしょ?」


 そう言って笑った。


「今更ねもう確認のしようもない事なんだけど…。少し勘ぐってしまうのよ。この事、里桜は知っていたのかどうか…知らなかった方がきっと幸せでしょうね。あの子は悠君のこと本当に好きだったから。知らないであの世に行った方があの子は幸せだったのだと思うのよ。」


 いつ頃かは分からないが、私も十分見知った笑顔で写った遺影を見て困った様な悲しい様な顔で笑った。


「私、事故に遭う前にりおさんとぶつかってしまって。」

「えぇ。そのようね。喫茶店の人もそう言っていたわ。」

「少しその時にお話をして。とても親切にして下さったんです。大丈夫?私は大丈夫だよって。私が話ししたのがりおさんの最後の言葉だから。お母さんには必ず伝えなくちゃいけないと思ったんです。とても親切にして頂いたと。意識が戻った時、まずりおさんにお線香をあげて、自分の口からりおさんのお母さんにお話したいと思ったんです。」


 本当は事故の時ではないけど、それくらいの嘘は許してくれないだろうか…私に罰を与えた‘神’も。だって本当に最後に私はりおさんと会話したんだもん。


「あの…もう一つ伺っても良いですか?隣の写真、りおさんによく似ていらっしゃいますけど。」

「これは、里桜の父親。里桜が一歳の時亡くなったの。」


 こんな都内の一軒家、きっとあの子は良い両親に愛されて育ったのだと勝手に思い込んでた。

利子は、そっと手だけ合わせた。




 長く居てしまった事を謝って、りおさんの家を出た。

 りおさんのお母さんは知らなかった方が良かったと言っていたけど、彼女なら知りたかったんじゃないだろうか…傷つきはするけど、彼女ならちゃんと立ち直って新しい恋を見つけたんじゃないかな。あの高価そうな指輪を質屋にでも入れて。


 だけど、お母さんにだけは教えてあげたかったな。あなたの娘は、沢山の人に慕われて、逞しく全く別の世界で意外に楽しそうに生きているって。そして、その国の国王に溺愛されているよって。これはハルピュイアに殺された騎士の記憶だけど…私が考える限り、あの国王はりおさん大好きなはず。でも、まさかこんな事情を説明したところで微塵も信じてもらえる訳ないだろうし。


 あぁ。だけど、りおさんからもう少し元婚約者との情報聞き出しとけば良かった。それで、車椅子で現れて、『私、姿形は変っちゃったけど、りおだよ。』って言って二人の思い出とか話し始めたらビビるでしょ?やましいことない人はビビらないけど、元婚約者は絶対ビビる。

 『結婚しよ。』って笑顔で全く知らない女に言われたら…やましくなくてもビビるか。ストーカーで警察に連れて行かれるか。


「ねぇ、拓海。」

「うん?」

「眠り続けていた間も、動けなかった間も、今も、ずっと前から変らず友達でいてくれてありがとうね。」

「なんだ?急に。」

「ううん。なんでもない。ただ、これからもよろしくって思っていただけ。さぁ帰ろう。」


 私は今日もきっと誰かの生涯を体験する。そして、殺される。朝目覚める度に、私が経験したこと、起こしたことが現実なのだと思う。


 そうやってこの先の何十年も生きていく。

 でも、それを乗り越えて頑張って、天寿ってやつを全うしたら、また彼女と会えるのだろうか。そしたら、ハグして助けてもらったお礼を言おう。ついでに婚約者が浮気してたことも。怒るかな?怒るだろうな。

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