第129話 利子 1
「おはよう。今日は六月十九日だ。お前が事故に遭って一年と一ヶ月ちょっと。天気は雨だ。梅雨は嫌だよな。どこか、痛んだりしてないか?それじゃ、仕事行ってくる。」
私が意識を戻したのは、六月十九日の事だった。そして、兄が朝に私の顔を見て出社するのが日課なのだと初めて知った日だった。
意識は戻ったが、体はまるで動かせず、言葉も発せなかった。ただ、意識があるだけ。感情があるのにそれを表現することも出来なかった。
ここに戻る時にまた例の‘神’に話しかけられた。それはりおさんといる時とは全く違う邪悪な姿だった。
その最後の言葉がずっとリフレーンしている。『戻ったからと罪が消えるわけではない。己のした事を忘れることなく、悔い、改めろ。』と。
そして最後に餞別として水晶玉の様な物を渡された。私が受け取った瞬間に様々な記憶が私の中に流れ込んできた。
∴∵
そのうちの一人はルネ・ピカールと言う国軍兵士だ。
ルネは王都の外れで細々とパン屋を営む家の四男。たまたま得た魔力と家業で培った体力を生かし国軍へ入った。上官で同じく王都で園芸店を営む家の出身であるシルヴァン・オリヴィエを心から敬愛している。
そんなある日、神殿が行った召喚術で渡ってきた渡り人・リオのダンスレッスンの相手役に選ばれた。敬愛するシルヴァンの代役だった。
練習場に入ったルネは一目でリオを好きになった。いわゆる一目惚れ。救世主ではなくても渡り人であれば、一兵卒には高嶺の花。それは分かっていても握る手の柔らかさや、真剣な表情や、近くに感じる息づかいに、自らの心を抑制するのは難しかった。
それからルネのささやかな楽しみが非番の日に行うダンスレッスンになった。舞踏会が終わってからも、有志でと言ってダンスレッスンのパートナーになった。
ある日は明け方まで寮を警護したこともある。それも全て一言『ありがとう』と声をかけて欲しかったから。討伐に出たときの勇敢な姿も好きだった。だから今回も進んで特伐隊に混ざって魔物退治に出た。
そして、死んだ。
彼が最後に思い浮かべたのは家族の顔ではなくりおさんの笑った顔だった。
∴∵
昏睡と覚醒の狭間をずっと行ったり来たりしながら、ハルピュイアの犠牲になった人の一生を体験し続けた。
吐き気がするほどに辛く、悔しく、苦しかった。それなのにその事すらも訴えられなかった。眠りたくないのに、自分の力ではどうしようもなく、昏睡してしまう。覚醒する時にまた誰かの一生を生々しく体験する。
そんな日々を繰り返したが、私は長い時間をかけて起き上がれるまでになった。医者は奇跡だと言った。兄は諦めかけたと泣いていた。それでも寝る度に毎日誰かの生涯を体験する。そして、最後はハルピュイアに殺される。毎日、毎日。
でも、私には体を動かせるようになって、どうしてもやらなくてはいけなことがあった。
そして、私が意識を戻してから三回目の梅雨がやって来た。
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