第117話 里桜のグローブ

 里桜は、イザベルの居室で身なりを整えてもらい離宮の庭を眺めていた。手にはレオナールから貰ったグローブが握られている。グローブを渡されたその日の事を思い出していた。


「いよいよ、明後日出発だな。楽しみか?」

「はい。この世界に来てお醤油やお味噌の味はもう食べられないものと思っていたので。」

「リオが行かずとも、リュカに頼めば融通をしてくれるだろう。」

「私の生まれた国ではお醤油やお味噌はこちらの塩やバターの様に料理には欠かせない調味料なんです。だからちゃんと自分で買いたくて。出来れば毎日食べたいから。」


 里桜が笑うと、レオナールも嬉しそうな顔をする。


「そんなに好きなものならば、初めから言えば良かったものを。」

「伝承記には東洋人の特徴を持つ渡り人がいなかったようでしたし、この世にはないものと思っていて。それに私は製造方法を詳しくは知らないですし。菌が必要なので一朝一夕で作ることは出来ませんし。言ったら皆さんを悩ませるだけだと思って。」

「そうか。」


 レオナールは少し笑って、紅茶を一口飲んだ。


「外遊が決まってから皆に何度も言われているだろうが、あの国は少々厄介だ。」


 レオナールは自身の側に置いてあった、薄い箱を里桜の方へ差し出した。


「開けてみろ。」


 里桜が箱を開くと、ドレス用のロンググローブが入っていた。そのグローブの裾に近いところには王の紋章がレオナールの深紅色で刺繍されている。

 里桜はレオナールの方を見た。


「この国…近隣の国も含め、貴族女性は成人すると社交の場では必ずグローブをしている。リオも尊者の仕事以外はしているだろう?」

「はい。アナスタシアが用意してくれているので。」

「男が女性へグローブをプレゼントするって事は…‘君の素肌に触れて良いのは俺だけだ’と言う意味になる。」


 里桜はその言葉をゆっくり頭の中で巡らし、箱を閉めるとスッと箱をレオナールの方へ突き返す。


「いや、返すな。」


 レオナールは困った顔をする。


「外遊にこれを持って行って欲しい。」

「何か理由があるんですか?」

「リオに無体なことをする者がいた時このレオナール王の紋章を見せれば、リオが王にとって重要な人物であることが相手にも分かるだろう。リオの短刀と同じように、もしもの時身を守る手段だと思って肌身離さずに持っていて欲しい。死ぬよりは俺の婚約者だと勘違いされる方がマシだろう?」


 レオナールは里桜の表情を見て、苦笑いをする。グローブを箱から出し、裾を折り返す。


「ほら。折り返しても使えるようなデザインにしたんだ。これだったら普通のグローブとして使えるだろう?」


 里桜は少し納得した様な顔をする。


「この国では、紋章付きのグローブは寵愛の印だ。束縛する様な意味もあるから、その言葉の重さから婚約者からもらえない女性も多い。もらった女性は普通、喜んで紋章を見せつけるものだぞ。俺だって贈るのはリオが初めてだ。しかも…俺の紋章を俺の色で刺繍したのだ…。リオに言っても甲斐ないか。」


 そう言っておかしそうに笑った。



 里桜の目の前に白いハンカチが差し出された。イザベルだった。その時、里桜は初めて自分が涙を流していたことに気がついた。

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