編集済
親と子、それぞれの思いが心に沁みました。
わたしも親として子の負担にはなりたくないと思っているので尚更に。
千春さん、学生時代に大好きで良く聴いていました。
「旅立ち」そして「銀の雨」美しく切ない名曲ですよね。
ああ、カラオケいきたくなりますね🎤
追記)あと「恋」も好きでした。コメント書いていたら色々、思い出して、千春さん、聴いてます(笑)
作者からの返信
そうですよね~、子どもの負担にはなりたくない……。
最後まで適度な距離を大切にする親子関係でいたいです。
千春さん、なんだか毎朝聴いています。
どうしてこんなに……というほど透明で心に沁みる歌声ですよね。
時代的に歌詞が古いですが(笑)、「銀の雨」など芸術の極致かと。
編集済
短いですが、親子の切なさがぎっしりと詰まった短編ですね。
私も実家に母親が一人暮らしをしており、自分の子供たちの巣立ちも遠くない未来に必ずやってくる。親子の距離は、ずっと同じままではいられないですね。自分の意思でそこに住み続けることを選びつつも、昔のように寄り添うことの叶わない寂しさに目が潤む。たまらなく切ないです……(´;ω;`)
作者からの返信
温かなコメントに星まで、本当にありがとうございます。
晩年をどうするか、どの親子にも共通の課題でしょうか。
子どもや孫たちはもちろん可愛いですが、かといって半生の軌跡をなげうってまったく新しい土地へ移り住むには、相当なエネルギーと、先行きに待ち受ける変遷を受け止める覚悟が必要ですね。どちらにしても、親には耐え抜くことが求められるような……。
『ねんごろな手書きの手紙』
良いですね。
ねんごろの意味を改めて調べて、大好きな、表現になりました。
このお話、身にしみました。
自分にも老いた母親が、いるので…。
なぜ、同居しようとしないのかなと考えていましたが、母親にも自身の人生がある事を忘れていました。
子どもという立場にあまえていたようです。
いつもながら、良いお話。
千春さんの、何もかも許されそうな、あの歌声は好きです。
北海道のイメージが、みゆきさんよりもはるかに、強く感じる、不思議な人です。
作者からの返信
胸に染み入るコメント、ありがたく拝受いたしました。
そうなんですよね、年寄りは昔から年寄りだったわけではないので、その土地で築いて来た歳月への愛着はハンパでなく……。
ひところ、田舎を引き払う傾向が増えた時期がありましたが、古くからの自分を知っていてくれる友人がだれもいない土地で孤独な最期を迎える、という惨めなケースが多かったようです。しかも、老親はさびしい胸の内を子どもには言えずに……。
みゆきさんはどちらかと言えば都会派ですが、千春さんは土着派ですよね。
どちらも好きですが、ローカル色ならではの温かさ、いいですよね~。
「ビッグ」な男、矢沢永吉に続いて「小」正月かと思いきや、こちらも一時代を築いた「巨人」松山千春でしたか。一本取られました。
家族の関係性も薄れつつある昨今、「寂しい思いをさせたくない」「皆で看取りたい」という娘さんの気持ちは、お母さんも嬉しい筈。
でも、娘さんの知らないお母さんの土地での半生も、「寂しいもの」や「整理して置いていけるもの」ではないんですよね。実感出来るのは、娘さんがお母さんの歳になってからかな。
先はどうなるかわかりませんが、お母さんの心意気、お見事です。
つい懐かしくなって「このォあ〜いをォ〜、ちかァう〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」とめっちゃビブラート効かせて『長い夜』を熱唱したら、よりによって『長い信号』の交差点で、歩行者の方にガン見されてしまいました。
コロナ対策の換気の為、車の窓が半開きなのを完全に失念しておりました。ギャー!!
作者からの返信
愉しいコメントに、いつも笑わせていただいております。
松山千春さんがマイブームでして、今日もいろいろなYouTubeを観ていました。
若くて生意気盛りだったころもいいですが、チョイわるの最近もいいですね。
仕事時代の若いスタッフの十八番が『長い夜』でして、広いカラオケボックス内(いつもみんなで踊りまくれるミラーボール付きのスタジオを借りていました(笑))を存分に走りまわって「なが~~~~~い」と歌っていたことを懐かしく思い出します。ああ、カラオケ、行きたいです。( *´艸`)
二十年ほど前、こちら(首都県の隅っこ)で一緒に暮らそうという誘いを僕の母も「丁寧に辞退」しました。母はもう あちらに旅立ってしまい、こちらに呼ぶことはできなくなってしまいました。いま思うと、母は田舎を出たくなかったのかもしれません。(いや、絶対に出たくなかったのです) どんなに辛いことも笑い飛ばして生きていく…そんな母でした。「理想的なディ・エンド」だったのかな…と信じています。
僕のほうは、ここ4年間(6年かも)帰郷していません。
僕の故郷では「ほんやらどう」と呼ばれる雪洞をつくり、その中に炬燵を置いて、家族や知人とともに小正月の夜を過ごすのです。僕は年間の行事の中で、この鳥追い祭りが一番好きでした。父や母と一緒に ほんやらどうの中で過ごした小正月を思い出しました。上月さんの御作を拝読すると、楽しい風景や懐かしい風景が頭の中いっぱいにひろがります。
世は世としわれはわれなり小正月…われもわれなり かれもかれなり
作者からの返信
珠玉の掌編のような応援コメントを本当にありがとうございます。
そうですか、Mondyon Nohant 紋屋ノアンさまのご尊母さまも……ねえ。
何がそんなに? と問われても、あれもこれもと数え上げられないほど多くのものが、生きて来た土地にはあるんですよね~。たとえば何十年も仲よくして来たご近所とか、小さいけれど趣きのある駅周辺の街並みとか、都会人には「よくこんな寒いところに住んでるね~」と呆れられながら見上げる完璧な青空とか……ごくちっぽけな、でも、かけがえのないもの……。
「ほんやらどう」って「かまくら」でしょうか。まだリアルに見た経験がないのですが、ローカル大好きなので、白い“家”に温かな灯りがともる幻想的な風景に、ずっと憧れています。