みぞれ降る日月(短編集)
馬田ふらい
汽笛(前)
ボオオン、という深い汽笛の響きでミコトは目が覚めた。寝ぼけ眼をじっと凝らすと、暗闇の中だんだんと浮かんできた自分の部屋。ミコトは家にいた。汽笛など鳴るはずがなかった。
スマホの画面には4:17、それにもかかわらずLINEの通知が一件。
3分前
ハル:『まだ起きてる?』
こんな時間まで起きてたのか、とミコトは呆れながら『今起きた』と送信すると、すぐに既読がつき、『早起きだね』と返ってきて、続いて“すごい!”の下で変顔の羊のスタンプが踊った。
既読 『こんな時間に何?』
4:19
ハル:『散歩行こ』
ハル:『夜のさんぽ』 4:19
既読 『なんで?』
4:20
ハル:『なんでも!』
ハル:『鳥居のとこ集合ね』 4:20
無茶苦茶だ。一月の寒さを舐めてる。念のために天気アプリで現在の気温を確かめてみると、0℃を下回っていた。
『行かない』
4:22 『ひとりで勝手に行けば』
ミコトはまた羽毛布団を被って、冷える足先を擦り合わせる。
既読が付かない。
ニュースサイトやTwitterをぼんやり周回してから、またLINEを見た。まだ既読は付かない。もう一度天気アプリを見たが、やはり外は氷点下だという。いつ見てくれるかとそわそわしていたが、LINEを送って10分、さっきの送信を取り消して、ミコトは布団から飛び起きた。台所で口をゆすいで、パジャマ代わりのジャージのまま、上にジャケットを引っ掛けて、顔も寝ぐせもそのままで玄関のドアを開けた。
真っ暗闇の中、みぞれが吹き付ける。
すっかり寝静まった住宅街を踵の潰れたスニーカーで走る。風の冷たさが骨身に染みる。腕を振って、股を大きく開いて身体を飛ばす。ミコトの後ろを追いかけるように、家々の防犯ライトが次々灯っていき、口許から流れる熱い息を銀河のように煌めかす。夜は不気味に広く、神社までがやけに遠く感じる。
だんだん腹が温まってきて、かじかむ指も気にならなくなってきた。
この交差点を越えれば神社はすぐである。幸い、車は見当たらない。信号が点滅する。構わず突き進もうとする。
が、その手前でずるり、濡れた側溝の冷たい鉄網に脚を取られて、視界が滑って、尻餅を付いた。
信号は赤になった。上がった息が今さら身体の内側から圧してくる。肺の熱さと裏腹に、顔面や首筋に付いたみぞれが溶けて、汗と一緒になり、どうどうと吹く寒風に冷えて、ミコトの肌の穴はキュッと縮こまって、ピリピリと痛くなる。スマホの時計は4:40となっていた。脱げたスニーカーをちゃんと履いた。曇り夜の水銀燈に当てられて、みぞれが流星群のようであった。
神社に着くと、
「あ、やっと来た! ホットココア飲む?」
と朗らかな声を上げて、ハルは魔法瓶のココアを差し出した。ハルは真っ白のコートに身を包んで、頭にはニット帽。下は裏起毛のズボン、マフラーに手袋も欠かしてはいない。ミコトとは真反対である。
「ありがと……なんでアンタは寒さ対策万全なのよ」
「そりゃ一月の、それも朝の4時だもん。当然、とーぜん。ミコトこそ、よくもまあそんな格好で……あらやだ正気?」
と、ハルは手を口元に当ててとぼける。イラっとしてミコトは詰め寄りかけたが、この寒さの中で20分近く自分を待っていたのだと思い出して、殴りたい気持ちは仕方なくココアと一緒に飲みこんだ。身体がじんわり温かくなっていく。甘い。
「てか、ちゃんとLINE見てよね。外出るつもりなんかなかったのに・・・・・・」
とミコトが言うと、ハルはスマホを取り出して、
「ホントだ、なんか来てた、アハハごめんごめん」
ハルはまた朗らかに笑った。送信取り消しをしたはずのスマホの画面を見ながら。
「——まったく、もう」
ミコトは呆れた声で呟いて、またホットココアに口を付けた。うっかり唇の剥けた部分が染みて、甘く痺れる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます