第15話 勇者、不在【2/5】または「王国を蚕食する白い影」
『副教皇補佐代理・兼・大司祭』、略して『大司祭』は困惑し、そして辟易して困っていた。
自分が呼び出した『竜の勇者』ファラーマルズの暴虐なふるまいにではない。
もちろん、それにも困っていた。
だが今、彼は王国を留守にしている。
やることがあると言って、王国を出ていった。
せっかく解放されたと思ったが……。
「大司祭様。例の邪教の件でございますが……」
部下が資料を持って、執務室に入ってくる。
これまで見逃してきた、数多の邪教、邪派たち。
かつて大司祭が率いていた聖光教会の
大司祭は
新たな教皇となったインノケンティウス12世は、清廉潔白で陰謀が入り込む隙がない。
しかも彼らは何か、まるで十字架のような、見たこともない聖印を手にしているではないか!?
女神様の教えにあったか? あんな聖印???
十字架???
十字架て。
古代の処刑具で、残酷すぎるがゆえに使用が禁止された、あの十字架のことか?
そんなものを大事そうに抱えるなど、明らかな邪派では???
しかし、彼らは今や教皇を輩出した主流派。
媚びを売らねば。
「邪教、か。十字派の件ではあるまいな?」
大司祭は、声を潜めて部下に尋ねた。
本来は『聖十字派』だが。大司祭は、彼らに『聖』をつけて呼びたくないのだ。
「め、めっそうもない!」
「彼らは、すばらしい博愛の教えをもった宗派ですよ!」
「それではなく……白き浄化教団についてです」
「あぁ~、あれかぁ~」
大司祭は頭を抱えた。
負の魔素や闇の魔素などを浄化するという名目で寄付を募る、怪しげな教団だ。
その起源は数百年前の“天人大戦”にまでさかのぼることができる、民間信仰であった。
彼らは、「オシラサマ」や「ヤトノカミ」などと呼ばれるご神体を崇めており、女神崇拝が中心である聖光教とは無縁の存在だ。
そして、彼らが崇めるご神体は、白い虫なのだという。
真っ白い、巨大な幼虫なのだと。
「うぅ~」
「気持ちわるい~」
「む、虫を、しかもウネウネグネグネした、イモムシを崇めるなど」
「邪教じゃ、邪教。そんなもん。邪教に決まっとる」
「私はやはり、崇めるなら女神様がいいですぞ」
部下は気にせず、報告を続ける。
「彼ら、浄化教団から上申書が上がってきています」
「なんでも、『オシラサマが活性化している』『なにか良からぬことが起こる』とのことで」
「うげぇーっ、活性化!? ウネウネグネグネが、ウネウネウネグネグネグネに!?」
「しかし、なんだと言うのですか、そんな邪教の言うことを聞いていられませぬぞ」
「ですが大司祭様。魔素の流れがおかしいと、魔法庁からの報告もありますが……?」
「うーん、そういうことなら。何かあるのかもしれませんね」
「引き続き、浄化教団には間者をつけておくように」
「はぁー、せっかくファラーマルズ殿がいないのに、全然休める気配がないですぞ」
ファラーマルズは、共和国との強制的かつ隷属的な同盟協定を結んできた。
一瞬で、一国を懐柔し、支配し、属国にしたも同然である。
そのぶん内政のしわ寄せがすべて王国に回ってきて、宗教観や歴史観が異なる共和国との調停役として、大司祭が奔走している、というわけだ。
今日も
執務室で寝落ちだ。
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「おーい、ジョン。ジョンぼうや」
「起きなさい、ジョンぼうや」
「あ、いや、これは夢でした。夢なので、起きちゃダメでした」
「私が話しかけてることに、気づきなさい、ジョンぼうや」
「うーん、むにゃむにゃ」
「もう書類の処理はできませんぞ、うーーんうーーん」
「あらまぁ。相当まいってるみたいね、ジョンぼうや」
「せっかく、あなたの大好きな可愛い女神様が夢枕に立ってるってのに」
「!!!女神様!」
その瞬間、ジョンぼうやは夢の中で飛び起きた。
「いつもお祈りありがとうね、ジョンぼうや。ほかの人は、偉くなるとけっこう忘れちゃうんだけどね。キミだけはいつでもちゃんと祈ってくれるよね」
「しかもなんか最近は、すっっっごく真摯な祈りじゃない?」
「祈りが真に迫ってるっていうか、本気で祈ってる感じがバンバン伝わってくるっていうかさ」
この気さくな女神は、この世界ディルマァトの創造神、女神ディルだ。
彼女の前には、いかにもボケっとしていそうな、大きいガタイの割に頭にはあまり内容物が詰まっていなさそうな、鼻を垂らしたジョンぼうやがいる。
「おお、これはこれは女神様!」
「いつも夢でお会いできて光栄です」
「いつも、起きると忘れちゃうんですけどね。もったいない」
「まっ、しょうがないよ、そういうもんだし、夢枕って」
「だけど、今回のは“神託”です。忘れてもらっちゃ、困ります」
「ヤバいことが起きました」
「ハァ、もう、女神様が送ってきたファラーマルズ殿のお陰で、ヤバいことが起きまくりですよ」
いつも夢の中で、ジョンぼうやは女神様に愚痴ってばかりいるのだ。
しかし、どうやら今回は様子が違う。
「あーー、ちょっとそれは、ゴメン。ホントに」
「でもって、今回も、ひじょーーーーに申し訳ないんだけど、“あの男”が関係しています」
「このままだと、王都は完全に壊滅です」
「今すぐ、王都の周囲を警戒してください」
「それと……昔っからの“虫嫌い”、治るといいね。でもたぶん、今回でもっとひどくなっちゃうと思うけど……」
「なん、ですって? え? ど、どういうことですかな、女神様? 女神様? 女神様!!!!???」
しかし、すでに女神は一筋の光となって消えていた。
「うーん、むにゃむにゃ」
「女神さ……ハッ!!!!」
先ほどまで、無邪気なジョンぼうやだった男は、すぐさま大司祭の顔に戻った。
今回は、夢に出てきた女神様を忘れていない。
なぜなら、今感じている“この感覚”は高位の司祭のみが受託できる“神託”であり、彼が元々は
これは神託であり、神からの啓示なのだ。
『王都が完全に壊滅する』という、危機の知らせだ。
「一筋の、光……一直線の、光。光か? いや、重要なのは“一筋”のほうだ。一直線……そうか!!!」
大司祭がもっとも得意とするのは、神託や啓示の“読み解き方”だ。
与えられた啓示を正しく読まねば、ただの戯言にも劣る。
創造神としては、直接的すぎる言葉をこの世界に生きる民に伝えるのは、やってはならぬことなのだ。
しかし女神とて、肩入れしたい勢力がいるのも事実。
神託や啓示を“読み解ける人物”を要職に就けておくのは、女神的には裏技のようなものである。
女神的には、今回はそんな裏技を使わねばならぬような緊急事態であった。
「誰ぞ! 誰ぞおらぬか!」
大司祭が手を叩くと、すぐさま柱の影から人が現われる。
「ハッ! ここに」
大司祭の手の者だ。
「王都から見て、すべての街道、『王の道』、水路が、“曲がる場所まで”すべて確認せよ!」
「つまり、“一直線で王都につながっている”道や水路をすべて確認するのだ!」
「ゆけ!」
「ハッ!」
控えの者は、矢のように駆けてゆく。
「……その間に私は、国王陛下に嘆願申し上げる」
「国王様が抱える『竜の勇者』に、
「どうせ、王都襲撃事件で一度、
「私は派閥長とはいえただのお飾り。ファラーマルズ殿がいない間に、王都が失陥するほうが怒られそうですぞ」
「それに国王陛下であれば、ファラーマルズ殿が『蛇の甘言』とやらで洗脳してくれるし、貸し借りとかにはならないでしょう」
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今はまだ、夜がふけてそれほど時間は経過していない。
夜が深まっている時間帯だ。
にもかかわらず、大司祭の号令のもと、すぐさま王都周辺の道という道が調査された。
その結果。
もっとも遠くまで一直線につながる『王の道』で、問題が観測された。
『王の道』とは、王家の免状を持つ者のみが利用できる、特別な道。
だが、侵略者には免状など関係ない。
周囲を破壊しながら、関所を押し通り、すさまじい速度で進んでくる軍団があった。
「大司祭様にご報告申し上げます!」
「敵性と思われる軍隊が、辺境と王都をつなぐ『王の道』上に出現!」
「魔王認定済みの“湧出魔王”、序列第5位ズハインを確認!」
「およびズハイン率いる魔王ズハイン軍に属する魔族たち多数」
「魔族は、おそらく最新の魔導武装を有しております!」
「彼らと、エルフかハイエルフによる軍隊の混成軍です!」
「おそらく、共和国からの逃亡軍と推察されます」
「そして……」
「そして……! 敵軍には、『竜の勇者』ファラーマルズ様が、おられます!」
最後の報告を受けた大司祭は、意外にも落ち着いた様子だったという。
何か裏があると思っていたのか。
いや、彼なら、戯れに王都を滅ぼすこともあるだろう、と思っていたのかもしれない。
とにかく、今の大司祭にできることは一つだけだった。
「王都の守備隊を結集させなさい!」
「軍の指揮は指揮官に任せます」
「私たちは、とにかく“兵隊の数”を集めるのです!」
まず大司祭は、当然のごとく秘密裡に抱えている私兵を全投入した。
(もちろん、そんなものを組織することは許されていないが、大司祭なので黙認されている。)
次に、冒険者ギルドへ最速かつ最重要依頼として傭兵依頼を提出。
ランク最上位の冒険者に依頼するのは、地方領主の収入ほども依頼費が必要であり、一般人ができるわけはない。
だが、それらの依頼資金は懐から即金で出す。
もちろん、常日頃から私腹を肥やしているので問題ない金額だ!
続いて、同じ聖光教会の
彼らも当然ながら、禁じられている私兵を抱えているばかりか、大司祭と違って彼ら自身が相当な戦力になる。
さらに、現教皇インノケンティウス12世も叩き起こして事情を説明する。
教皇を夜中に叩き起こすなど、本来は『大司祭』にすら許されてはいない。
だが彼はいまや、『副教皇補佐代理・兼・大司祭』なのだ!
現状では、実質的な『副教皇』であるがためにできた荒業である!
現教皇は民衆の味方だ。
すぐに状況を把握し、近衛兵や自分の手の者へ呼びかけてくれている。
残念ながら、清廉潔白な彼は私兵を用意してはいない。
だがしかし、大司祭は知らぬことだが、インノケンティウス12世の周囲を“自発的に”守り固めている「円卓の騎士」は、名のある者は少なかったが、それでも一騎当千の猛者ばかりだった。
国王派閥の『竜の勇者』を含め、
竜騎士隊長レオス以下、ホウセン(鳳扇)やチュルクはすでに騎乗している。
王国の正規軍であり、王都に駐留している軍団のうち、足が速い者たちはすでに準備していた。
しかし、火を焚いて温め、もうじき活動できるようになるだろう。
プテロダクティルスやプテラノドンはもちろん、ランフォリンクスやディモルフォドンなどの小型種もいる。
さらに、ケツァルコアトルス、ハツェゴプテリクス、アランボウルギアニアといった重翼竜も、時間はかかるが出撃できるだろう。
そして、どこかの世界から迷い込んできた、ユニコーンとグリフォンの混血「ユニグリフ」を駆る老騎士も協力してくれている。
『竜の勇者』のような原理で、この世界に召喚されたり転移したり転生してきたりした者の一員だろう。
彼は実は、現在はインノケンティウス12世の食客で、義によって助太刀に来たというわけだ。
まだ夜も深い。
朝になるまで見つからぬであろうと予測していた魔王ズハイン軍は、予想外の王都の足並みの良さに面食らっている。
少なくともあと2時間ほど王都側の行動が遅れていたら、取り返しがつかない悲劇が起こっていただろう。
もしも夜が明けてから魔王ズハイン軍の進軍を見つけていたら、体勢を整えての迎撃ができず、各勢力は各個撃破されて、間違いなく王都は失陥していたはずだ。
しかし。
魔王ズハインに、焦りの色は微塵もない。
もともと武闘派で、夜の闇に紛れて襲撃など、乗り気ではなかったのだ。
それに。
彼らには、『竜の勇者』ファラーマルズがいる。
そして、王都側もそれを認識した。
大司祭は、深いため息をつく。
「ファラーマルズ殿。やはり。そなたを呼び出したのは……私の過ちでしたか……」
それは、諦めにも似た吐露だった。
「(でも、送ってきたのは女神様だしな。私は悪くないもんね)」
開き直った!
こういった欺瞞は、大司祭の得意技だった!
しかし、女神様といえば、少し引っ掛かることがある。
「女神様は、虫がなんとか言っていたような」
「そういえば、浄化教団の動きも気になる」
もし。
もし仮に、浄化教団が今回の魔王ズハインの襲撃に関与しているとしたら。
王都内に、浄化教団の施設は複数ある。
それらの施設が、王都の内側から反乱を起こしたとしたら。
そうなったら、もう終わりだ。
しかし、そうではない気がする。
何かが起こりそうだと、警告を発し、接触してきたのは浄化教団のほうが先だった。
このことを予見していたのだろうか?
それに。
大司祭は、また別の違和感を覚えていた。
「ファラーマルズ殿。今回のあなた様のなさり方は、なにかこう、違和感がありますぞ」
「こんなにも真っ直ぐではない、と言いましょうか。遊びがないと言いましょうか」
「……いつものファラーマルズ殿に見られるような、『調子に乗ってる王様な感じ』が、まったく感じられぬのです」
「(まぁこれは、さんざんファラーマルズ殿に騙されて、いいように使われてきたから感じるんですけどね。トホホ……)」
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・
先に送り出した地上部隊と、飛行可能な部隊はすでに足並みをそろえて魔王ズハイン軍と衝突するところだ。
王都からは、そこそこの距離が離れている。
気づくのが遅れれば、王都の城下で迎え撃つことになるところだった。
開けた平地であるため、魔王軍にとっても戦いやすいであろうが、王都側にとってはもっとありがたい。
施設や人命への被害を最小限にできるからだ。
いざ、両軍がぶつからんというとき。
大司祭に声をかける者があった。
「今回の
「!!!???」
いつのまに!?
大司祭は肝を冷やす。
そこには、いつの間にか女が立っていた。
白いローブをまとった、美しく妖艶で、しかし、まったく生気や色気を感じぬ、恐ろしい女司教。
「初めまして、大司祭様」
「書簡はお読みになりまして?」
「わたくし、警告を発させていただいておりました。白き浄化教団の使者でございます」
「もう一度、申し上げますわ、大司祭様」
「“あのファラーマルズ様”は、非常に危険です」
前線では、とうとう両軍が激突した。
大司祭が駆けずり回って集めに集めた王国守備隊の面々が、ファラーマルズのひと薙ぎであっという間に蹴散らされていく。
うろたえる大司祭を前に、浄化教団の女司教は話を続けた。
「“あのファラーマルズ様”をなんとかしない限り、わたくしたちに勝ち目はありません」
「そして、我ら白き浄化教団には、それを可能にする
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