第8話 勇者、他国に赴く【3/4】または「その蜂蜜には蛇の毒が混ざっている」

「よ、よろしくお願い、します」

 消え入るような声で、『竜の勇者』ノーマが挨拶する。

 猫背でお辞儀をするものだから、その背丈はより一層小さく見えた。


 だが決して侮ってはならない。

 彼女は、王都襲撃事件で『反逆の勇者』ユウマとその部隊を足止めし、数多くの人民を救った紛れもない英雄なのだ。

 なによりも彼女は、女神より「竜の火」と「竜の膂力りょりょく」を授かっている。


 それでもなお、大仰かつ不敵な態度で接する男が一人。

 勇者ファラーマルズだ。

「うむ。先だっての王都襲撃事件では、ずいぶんと活躍したそうではないか」

「此度の魔法国使節団への参加も、大義である」


 いろいろな経緯があり、この国の政治的中枢は、すでにファラーマルズの手中にある。

 それゆえ、彼はまるで王のような態度なのだ。

 いや、事実として彼は王であった過去もあるし、本人のなかではずーっと王でいるつもりなのだ。

 そしていまや、それはほとんど事実であった。

 彼はこの世界を平らげ、王たちの王として君臨すること、すなわち『王の中の王シャー・ハン・シャー』になることを目的としている。

 その第一歩として、この神聖ルーマシア王国(いわゆる「王国」)は浸食されているのだった。


 無論、その噂はノーマの耳にも届いている。

 ノーマの心中は穏やかではなかった。

 そして、極めて複雑だった。

 かつての王国は、ノーマたち『竜の勇者』を召喚し、隷属魔法によって支配していたためだ。

 王国のやり方は、褒められたものではなかったのだろう。

 権力者が弱者を虐げ、スラムが広がる様も心を痛めながら見て来た。

 しかし。

 より大きな邪悪が、既存の悪を踏みにじって取って代わったとして、良くなるわけではないのだ。

 むしろ悪くなる可能性のほうが大きいだろう。


 かといって、政治力ではかなうまい。

 それどころか、対峙してはっきりと分かった。

 武力でも勝てない。ノーマに宿る強力な竜の力が、ファラーマルズの恐るべき強大さを感知していた。

 ノーマは、ファラーマルズと名乗るこの魔人を恐れていた。


「なぁに、そう畏まることも緊張することもないぞ」

「我らは共に、大司祭のやつめに召喚された『竜の勇者』ではないか」

「王国の未来のため、世界の平和のために戦おうぞ」

 ファラーマルズは、何一つ嘘は言っていない。

 彼は、彼自身がこの世界を治めるべく動いているのだ。

 質が悪いことに、恐らく本当に、自分の手で治められたほうが世界は平和であると信じているのだろう。


「わ、わたしは!」

 猫背を正し、胸を張り、ノーマはひと際大きな声で叫んだ。


「あ、あなたなんて認めませんからね!」

「あなたが、魔法国でどんな悪事をするか! するつもりなのか、知らないですけども!」

「私の目の前で、そんなヒドいことさせませんっ。どんなヒドいことも!」

「今回の使節団についていくのも、あなたを監視するためです!」

 精一杯の抵抗だった。

 ファラーマルズの行動に、少し釘を刺す程度しかできない。


「フハハ」

「実に良いぞ、小娘。いや、ノーマよ」

「気に入った。余のことは、気軽に“ファル”とでも呼ぶがよかろう」

 勇者ファラーマルズは……その正体である、魔王ザッハークは。

“心のこもった言葉に弱い”のだ!

 彼女の必死の抵抗は、思わぬところで効果を発揮した。

「余が作る強大なる王国には、そなたのような真の勇者が必要なのじゃ」

「別世界から呼び出されて、借り物の力を与えられて粋がっておるような、偽物の勇者ではなく、な」


「(この世界の女神めは、ろくな力をもっておらぬ)」

「(女神が与える竜の力とやら。底は知れた。女神同様、浅い浅い)」

「(竜の力でも、駄女神めを信奉する教会でもない、別の力をもった存在が必要になるじゃろう)」

「(先の戦いでの活躍。そして余を前にして、これだけの剣幕で啖呵を切れる度胸)」

「(ノーマとかいう小娘、使えるぞ。実に良い)」


 女神が転生してきた勇者に授ける竜の力。

 そんなものは、悪竜王の転生者にして1000年王国を治めた魔王ザッハークにとっては、些末事に過ぎない。

 力なら、より強力なモノを授ければよい。

 魔王は、力ではどうしようもない部分を求めているのだ。


 度量の深そうなところがまた、ノーマは気に入らない。

「ぜ、絶対! あなたの悪事のジャマをしてやりますから、、、、ねっっ!」

 勇気は振り絞ったものの、魔王への恐れからか、あるいは人と会話することへの苦手意識からか、目は閉じたままだった。


 魔法国使節団は、外交特使として勇者ファラーマルズと勇者ノーマ、そして数十名からなる支援隊によって編成され、明朝の出発が決まった。


 なお、それはそれとして、女神を侮辱したザッハークの夢枕に今夜女神ディルがお説教に立つだろう。

 ザッハークは感受性が高く、なおかつ「夢の世界」がまだあの世や神々の領域とつながっていた時代を生きた、古代人である。

 彼が見る夢の領域は、簡単に神域につながるのだ。

 神託や予言を受けやすいのである。

 そのうえで、ザッハークは女神のお説教など毛ほども気にしないだろう、ということも付け加えておく。

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