第8話 勇者、他国に赴く【2/4】または「その蜂蜜には蛇の毒が混ざっている」

 王都襲撃事件の責任を負わせるため、無抵抗のままインノケンティウス8世が引き渡された、その翌日。

 かつてインノケンティウスを派閥長として後ろ暗い策謀を巡らせていた者たちが、またもやはかりごとを練っていた。


「それにしても、引き渡してよかったのですか、シモン・ペテロ師」

「インノケンティウスは、扱いやすい駒だったでしょう」

 大聖堂の最奥で……いまや勇者の居城たる宮殿、その名も「聖なる家=ガンゲ・デジュフフト」となった、かつての神家かみのいえ派閥の拠点で、旧派閥の幹部ブッタデウスが話していた。

 相手は、同じく旧派閥幹部のシモン・ペテロである。

 そして彼らはいまや、勇者が興した新派閥、聖家せいなるいえ派の重鎮でもあった。


「かまいませんよ。今は、流れに逆らうのは下策でしょう」

「無策のままにあの勇者ファラーマルズと事を構えるのは危険すぎる」

「それに、インノケンティウスが“聖職者を聖人に列する権威”をもっていたのと同じように、わたくしも“教皇を命じる権威”をもっているのでね」

「また同じように、使える教皇を任命すればいい」

「まぁもっとも、わたくしが任命できるのは“聖光教会における教皇”ではなく、我々の世界における“キリスト教の教皇”ですがね。少々まぎらわしいですが」

 シモン・ペテロは、思案しながら答えた。

 聖職売買シモニアによって「ペテロ」の聖性と権威を買い受けたシモン・マグス・“ペテロ”は、初代ローマ教皇たる十二使徒の筆頭、ペテロと同じ力をもっているのだ。


 それを受け、ブッタデウスは少し悩みつつも言葉を返す。

「“我々の世界”ですか……」

「シモン・ペテロ師の世界と私が生きた世界は、同じ地球ガイアながらも少々異なる歴史を歩んでいるようですが」

「(なにせ私の世界では、シモン・マグスが聖ペテロに持ちかけた聖職売買は、跳ねつけられて失敗しているからな)」

「(私が神の子より直々に“不死の呪い”を賜って以来、呪いを解くためにずっと十二使徒の行方は見て来た)」

「(ここにいる『シモン・マグス・“ペテロ”』ではなく、本物の『シモン・ペテロ』にも会ったが……)」

「(聖職売買などに応じそうもない、神の子に心酔する気難しい老人だったぞ)」

「(おそらく『シモン・マグス・“ペテロ”』は、私が生きていた地球とは異なる、いわゆる『平行世界の地球』とでも言うべき場所から来たのだろうか)」

「(だがそんなことは、この男が今この世界で利用価値があるならば、些末なことだ。つまり……)」

「そこは、それほど問題ではないでしょう」

「一刻も早く聖光教の女神なんぞの影響力を排して、イエズス・クリストゥスを信奉する世界にしませんとな」


「おやおや。そこは、当代風にイエス・キリストと御発声なさい、ブッタデウスよ」


「おお、すまぬな。どうも昔のクセが抜けぬのだ」

「2000年も昔のことだというのに、気を抜くとつい、不死になりたての頃の言葉が出てしまうな」

「ともあれ」

「インノケンティウスは廃された。使える男だったが、少しばかり俗っぽすぎたか」

「さて、次の候補は決まっているのかね、シモン・ペテロ師」


「目をつけている者は、いるにはいるのだが。少々やっかいでな」

「聖十字派なのだ」

「つまりは、我らと同じ“キリスト教がある世界”から来た“キリスト教徒たち”なのだよ」

 少し言い淀んだが、同じ陰謀を抱く者同士、隠し立てする必要もないだろう。

 シモン・ペテロは、思案しながらその名を告げる。

「円卓騎士団と……それから、別のインノケンティウスだ」


 シモン・ペテロもブッタデウスも、異世界に来る前に直接キリストの奇跡に触れていた。

 すなわち「すごい奇跡の力」を目の当たりにしたことで、それを理由にして信仰していた者たちである。

 彼らは、力にすがっているだけなのだ。

 それは心からの信仰とは言えない。


 しかし、後年の者たちは違う。

 その理念や思想に共感し、感銘を受け、あるいは教育によって思想を知り、信仰している。

 キリストの奇跡を見ていないにも関わらず、信仰できるのだ。

“本物のキリスト教徒”が教皇になってしまうと、彼ら陰謀を巡らす者たちにとっては、何かと都合が悪いのだった。


 ブッタデウスは、眉間にシワを寄せた。

「彼らか。これはまた、面倒な者たちだな」


「だとしても、な。ファラーマルズとか言う『竜の勇者』の思い通りになるよりは、いくらかマシだ」

 シモン・ペテロは忌々しげに吐き捨て、そして続けた。


わたくしはサマリア人だが、キリスト教徒だ。一応な」

「ブッタデウス、そなたはユダヤ人だが、一応はキリスト教徒だろう」

「そして、やっかいではあるが、円卓騎士団も別のインノケンティウスもキリスト教徒だ」

「だが、ファラーマルズは……あのアラブ人は違う」

「いや、彼の者は、わたくしが見てきたどんなアラブ人やペルシャ人とも違う」

「彼の者は、おそろしい力をまとっている」

「まるで悪魔そのものだ。我々キリスト教徒の敵だ」


 シモン・ペテロの推察は、あながち間違ってはいない。

 勇者ファラーマルズの正体は、魔王ザッハークである。

 ザッハークは、悪魔王イブリースの祝福を受けているのだ。

 イブリースの別名はシャイターンであり、それはキリスト教圏ではサタンと呼ばれている。


「できれば、清濁併せ呑む俗物が良かったが……」

「今は、清廉潔白で扱いにくい者たちに託すほかない……か」

「それでも、悪魔に全財産を賭けるよりはマシだ、と」

「リスクの分散は商売の基本中の基本だが。ずいぶんの悪い賭けをやらされるんだな」

 ブッタデウスは、すぐさま脳内でそろばんをはじき始める。

 “本物の、清廉潔白なキリスト教徒”に教会権力を明け渡すリスク。

 邪悪な者が、何もかもを思い通りにしてしまうリスク。

 それらを天秤に乗せたうえで、自分がもっとも利益を得るにはどうすればいいか。


 同じくシモン・ペテロも計算しているのだろう。

「大司祭は……生粋の女神信者で、我々が聖光教を乗っ取ろうとしていることも知っている」

「ヤツを教皇にするのが『竜の勇者』の策略だが、なんとかして覆さなければな」

 聖職売買を得意としていることからも分かるとおり、彼は金の力に物を言わせつつ周囲を思いのままに動かしてきたタイプだ。


 ふと、ブッタデウスが顔を上げた。何か思いついたのだ。

「そういえば、勇者は魔法共和国への使節団派遣を国王に打診しているらしい」

「勇者のことだ。他国にちょっかいを出すために、自分もついていくのではなかろうか」

「その際に大司祭も連れて行ってもらって、彼らが不在のうちに教皇を決めてしまうのはどうだろうか」


 シモン・ペテロはしばし思案したのち、口を開いた。

「……いや。大司祭は足止めし、王国内に残ってもらおう」

「どうやら大司祭も、実は自分が教皇になることには積極的ではないらしいのだ」

「恐らくだが、大司祭は勇者に都合よく使い走りにさせられているというのが現状で、そこから抜け出したいと願っているのではないだろうか」

「“大司祭を教皇にしない”ために我らが結託すべきは、“大司祭自身”なのかもしれん」


 なるほど合点がいった、という様子で、ブッタデウスは頷く。

「よろしい。それでは、手の者を使って魔法国使節団の話を進めるか」

「それとなく、派閥会として大司祭も召集し、連絡をつけておこう」



 数日後、王城の一室。


「ふうむ」

「こうも早く魔法国使節団が組織されるとは」

「誰かが裏で動いておるのう。まぁ、よい。都合がいいものは、都合がいいうちは利用させてもらおう」

 魔法国使節団への招集状を手に、『竜の勇者』ファラーマルズは考えを巡らせた。


「まずはこの魔法国とやらを押さえるのが先決じゃ」

「魔法国をこのまま放っておくと、余がこの世界を治めるための障害になりかねぬ」

「どうもこの魔法国とやらの技術体系と魔法と妖魔は、あまりにも不気味すぎる」

「エルフとドワーフと人間が手を結ぶ、魔法共和国」

「その在り方は、いびつだ」


「まるで、これから何か別の存在になる過程であるかのようだ」

「エルフは長命だと聞く。余ほどではないにしろな。で、あれば。気長な計画も立てやすいというものよ」


 勇者の目が、暗くにぶく光る。

「たとえば、そう、たとえばの話じゃ」

「1000年かけて、自分が操りやすい国を作る。とか、どうじゃろうかのう」

「今はその途中で、せいぜい800年目といったところか」

「エルフの代表が、これまで築き上げてきた地位や名誉や権威を使って、民主的に『永世皇帝』にでもなろうというのじゃろ」

「ルーム(※)も、共和国から帝国に変わったと聞くしのう」

(※中世ペルシャにおける、ローマのことを示す呼び方)


「じゃが、それをエルフがやったら問題じゃぞ」

「1000年以上も在位すれば、それこそ定命じょうみょうの人間たちにとっては、逆らえぬ絶対者が君臨しつづけるようなもの」

「それではまるで、人間にとっては神に等しい存在がいるのと同じことだ。それはかつて、余が目指した王の在り方だ」

「人間の『生涯現役の永世皇帝』と、エルフの『生涯現役の永世皇帝』では、意味がまるで違うからのう」


 そしてこのとき、街での噂が思い起こされた。

 路地裏を飛び交うゴシップ。

 取るに足らない三流のウワサ。

 しかしそんななかに、ひっそりと真実はまぎれているのだ。


 噂によるとどうやら、とあるハイエルフの議員は、不老不死らしい。

 ほかのエルフや並のハイエルフとは違い、決して老いることなく、そしてとんでもない生命力をもっているとか。


「……もしも、不老不死の『生涯現役の永世皇帝』がおったら」

「それはもう、エルフだ人間だという話とは、程度が違ってくるのう」

「見極めてやるか。余の配下にふさわしいなら、ヨシ。そうでないなら排するまでよ」

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