第2話 竜の勇者、最初の任務【2/6】または「情勢を知ろう」

「代表の男の名は、インノケンティウス」

「副代表の男の名は、シモン・ペテロ」

「そして不死身の男の名は、ブッタデウス、でございます」


 大司祭が、倒すべき敵の名を告げる。


「それが敵の名、そして能力か。分かった」

「よし、それでは早速、我が敵を殲滅するとしよう」


 勇者はすぐさま立ち上がって、背を丸める。

 もごもごと背筋が盛り上がっていく。翼でも生やそうというのか。


 このまま黙っていては、勇者はサッと敵陣まで飛んでいくだろう。

 まるで近所の商店に買い物にでも行くかのようなフットワークの軽さに、大司祭は驚愕する。

 真夜中に深夜営業の便利商店コンビニに買い物に行くときのほうが、もう少し躊躇するのではないかと思われるほどだ。


「お、お待ちくださいファル様!!!」

「いくら『竜の勇者』様とはいえ、そのように一朝一夕に彼らを倒すことはかないません」

「我が配下の別の『竜の勇者』様がおられます。彼らや我が手の者と、まずは合流していただきたい」

「それに、ファル様はまだ、この世界の仕組みや情勢をご理解されておりません」

「いきなり敵陣に乗り込んでは、必ずや不便に見舞われることでしょう」

「どうかまずは、情勢の理解を。次いで、我が手勢との合流をお願いしたく」


 勇者の、盛り上がっていた背中が縮んでいく。

 翼を生やし、敵陣を強襲しようという試みは諦めたようだ。


「ふむ。そなたがそこまで言うのであれば、聞いておこう」

「たしかに、女神めが余に与えた情報は、欠損が多すぎる」

「この世界のことを、つまり、余が支配すべきこの世界のことを教えるがよかろう」


「承知いたしました。それでは、執務室へお通しします。そこで説明いたしましょう」



 勇者は、大司祭の個人的な執務室へと案内された。

 十分以上の広さがあり、権勢を示す調度品や下賜品の数々が、これ見よがしに飾られている。

 整然と整えられていながらも、どこか嫌味さがある豪華さを備えた執務室。

 しっかりと実務に耐えられるスペースでありながら、個人的な自尊心も満たしつつ、訪問者を恐縮させる仕掛けがそこかしこに見受けられる。

 勇者ほどの人物でなければ、大司祭を見直してしまうところであっただろう。


 壁にかけられた世界地図を前に、大司祭がこの世界の構造と情勢について説明する。

 その用途には本来不要な黄金の箔打ちがなされた、過剰装飾の地図だ。



 この世界には勢力が概ね4つある。


 一つは、女神ディルを奉ずる神聖ルーマシア王国。

 勇者がいるこの国だ。

 女神を唯一無二の神聖な存在として認めており、聖光教会が絶大な権力をもっている。

 国王と教皇の二頭政治のように見えるが、その実は派閥争いが頻発する危ういバランスの上に成り立っている。

 教義の前に種族は平等であるため、人間、エルフ、ドワーフはおろか、オーガやゴブリンですらも平等に接するという、ある意味では珍しい思想をもっている。


 一つは、トゥーラキア魔法共和国。

 女神を認めながらも依存することは否定しており、高い魔法技術が特徴の共和制が敷かれた国である。

 しかしその実、世襲制の貴族院と、同じくほぼ世襲制の元老院、ここ数百年は代替わりしていないエルフとドワーフによって運営される枢密院によって政治が運営されている。

 一部権力者によって実権が握られ続けている実態で、到底民主的であるとは言い難い。

 その性質上、人間、エルフ、ドワーフには寛容だが、オーガやゴブリンは排斥されている。

 なお、この国も独自に『勇者』を召喚しているらしいが、それが『竜の勇者』と同じ思想によるものかは不明とのこと。


 一つは、グルマジア魔導科学帝国。

 魔法のような生来の魔力素質に依存する技術ではなく、ましてや女神の奇跡でもなく、再現可能な「魔導科学」を信奉する国である。

 女神に依存する社会構造を完全に否定しており、公共機関への魔法の導入も最低限。

 建国者の理念により人間至上主義国家ではあるものの、エルフもドワーフもそれほど過激に排斥されてはいない。

 人間こそが至高の人類種で、エルフ、ドワーフ、オーガ、ゴブリンはいずれも同等に人間より劣る、とされている。

 ただし、エルフやドワーフといった魔法的な長命種は、彼らの蓄積された科学知識が有用であるため、やや優遇されている側面もある。


 これら3つの各勢力が、それぞれ属国や衛星国、連邦を形成しつつ、ゆるやかに牽制しあっているのだという。


 そして最期の一つ、異質な勢力なのが魔族だ。

 各所に魔素と瘴気が濃い地域があり、そこには一定の期間で“魔王”が“湧く”。

 湧き出た魔王の影響を受け、周囲の動植物が狂暴に変質することがあり、彼らの勢力を魔族と呼ぶのだそうだ。

 明確な国家を形成することは稀だが、ないわけではない。

 イデオロギーは、発生した魔王を頂点とする完全階級社会。

 発生した魔王1体につき一つの勢力としてまとまるため、異なる魔王を奉ずる魔族間の争いも多いという。



 この4つが、この世界にある勢力である。


 そのほか、細かい法律や貨幣制度、産業構造なども教えてもらった。

 勇者が生きていた時代よりもいくらか進んだ社会システムが構築されているようだったが、女神から前提知識を得ていたおかげもあり、それほど理解に時間はかからなかった様子だ。


「なるほどのう。この世界のことはだいたい分かった」

「よし、それでは早速、我が敵を殲滅するとしよう」

 勇者はすぐさま立ち上がって、背を丸める。


「お、お待ちくださいファル様!!!!!!!!!」

「我が手勢との!!! 合流が!!! まだでございます!!!」

「それに、もう少し落ち着いてくださいませ!!!!」

 こらえ性のない勇者の様子に、大司祭は辟易している。

 この恐るべき勇者に対して、思わず語気を荒げてしまった。

 大司祭は、ふと我に返る。殺されるのでは……!?


「むう。そうであるか。すまぬな。では、そなたの手勢を呼び寄せよ」


 意外にも、勇者は落ち着いていた。

 それどころか、語気を荒げたことに対して、若干引きぎみの反応を示している。


 汝ら読者諸氏はすでに知っているかもしれない。

 この『竜の勇者』たるファルは、「心からの言葉」に弱いのだ。

 心の底から発された言葉には、思わず反応して委縮してしまうのである。



「お、お分かりいただけたようで何よりです。今、手勢の者を呼び集めておりますので、お待ちください」

 安堵した様子で、大司祭は椅子に座り直す。


「(いや、待てよ? 我が手勢の者どもは、みな曲者ぞろい。ファル様の怒りに触れてしまうのではないか?)」

「(今度こそ、私ともども食われてしまうのではないか?)」

 新たな不安が、大司祭の胸を締めつけた。

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