プロローグ 魔王、斯くして転移す【補足】または「言語を知れば世界が分かる」

「? この程度の児戯では意思疎通に難があるじゃろう。ここの術式をこうして……。」


 女神のお粗末な言語魔法に手を加え、情報量を圧縮する。

 出来の悪い言語魔法を施されるなど、千年王たるザッハークのプライドが許さないのだろう。


 元の言語習得魔法による脳内への直接学習の、概ね9倍以上もの情報量を詰め込むことができた。


 当初の言語魔法は、人が生まれて成人年齢たる15歳前後まで成長する過程を疑似体験し、その記憶のみを移植する、というものであった。

 実体験を経ずとも、経験で得た知識だけを脳内にインプットすることによって、日常生活において不自由しない言語能力を獲得可能である。

 すなわち、強引に“自然言語習得させる”、という魔法である。


 しかしそれでは、この世界を理解する解像度としては不足している。

 仮想上の一個人における経験では、圧倒的に情報が足りない。


 そこで、文法、言語成立の歴史的背景、各単語に辞書的な語釈も追加してインプットできるように改良した。

 足りない情報は、女神の経験や記憶から直接引き出して補完している。


 これによって、「女神の経験で得られる言語能力」を習得することが可能となった。


 無論、通常の人間はこの情報量に耐えられない。

 ザッハークの生来の魔法的な素質と、複数の脳を持つという身体的特徴が可能にした、ある種の奇跡である。


 ザッハークは、自らが強化した言語習得魔法を通してこの世界の言葉を知り、同時に、この世界のことを知った。


 わずか数秒にも満たない魔法施術の間、引き延ばされた時間のなかで、彼は夢心地で世界を俯瞰していた。

 言語が世界の概念や物を切り分け、“分けられること”で、世界が“分かる”のだ。


 この世界は、女神ディルが創造した世界。ディルマァトという名があるようだが、あまり知られていない。

 その世界に生きる人々にとって“世界は一つしかない”ため、あえて“自分がいる、たった一つの世界”に名をつけたり、区別して呼ぶ必要がないからだ。

 別の世界を知る神々や転生者、転移者、別次元から力を引き出す高位存在などのみが、この世界の名を意識しているようだ。


 この世界には人間がいる。

 しかし、人間以外の人類種もいる。

 ザッハークもかつて属していた、いわゆる“人間”は、もっとも広く分布し、人口も最大であることから「普通人」や「通常人」という意味で『ポピュリス』と呼ばれる。

 あるいは単に、人間やヒューマンと呼ばれる。


 主に森に住む、長耳の超長命人類種がいる。彼らはエルフやアールヴなどと呼ばれる。

 主に山に住む、小柄で頑健な長命種がいる。彼らはドワーフやドヴェルグなどと呼ばれる。


 オーガやオグルと呼ばれる角を持つ大型種、ゴブリンと呼ばれる繁殖力の強い小型種などもいる。


 彼らを総じて、女神は「人類種」と呼んでいるようだ。


 魔法的な存在である妖精、精霊、スピリットもいる。

 悪霊、アンデッド、吸血鬼もいる。

 悪魔も天使もいる。


 魔法も存在している。

 武術も存在している。


 国家も宗教も存在している。


 魔法だけでなく、自然現象すべてを解明しようとする自然科学も存在している。

 魔法を含めた自然科学を生活に利用するための、工学も存在している。


 おおよそ、“いわゆる剣と魔法のファンタジー”に属する存在は、多くが認められるようだ。

 女神の知識のなかに、“いわゆる剣と魔法のファンタジー”という語彙と経験があったのだ。

 ザッハークは、首を傾げた。彼にとっては、魔法的な存在も悪魔や天使も決して幻想ファンタジーなどではなくだったからだ。

 一方で、エルフやドワーフなどの存在は、幻想ファンタジーとしてすらも、まったく知らなかったのだ。

 彼は、この“いわゆる剣と魔法のファンタジー”という概念を理解することに苦労した。


 そのほか、女神の知識は俯瞰的すぎる神の視点であるため、欠落している情報が多すぎたことにも苦労した。


「人間、エルフ、ドワーフと、オーガ、ゴブリンが同じ『人類』として手を取り合っているとは、到底思えんがな。」

「女神にとっては、等しく『わたしの可愛い人類たち』なのだろうが。彼らはお互いのことを、『自分と同じ人類』だとは認めておるまい。」


 人々の暮らしや生活の仕組みにしてもそうだ。

 どのような職業があり、人々はどうやって生きているのか?

 国は、地域は、コミュニティは?

 文化や宗教やイデオロギーや価値観は?


 そういった『今を精一杯生きている人類たちの視点』は、女神の経験からは獲得できなかった。

 女神の理解はあまりにも大雑把でざっくりとしたものであったため、あまり信用できなかったのである。


「『人類とは:人類はみんな、私を愛している。私はすべての人類を愛している』か。うーーむ。そう言われてもな、伝わってこぬのだ、何も」

「やはり細かい文化的背景は、直接現地で確かめるほかないようだのう」



 引き延ばされていた意識が戻る。

 言語習得魔法が完了したのだ。


「そ、そんなバカな!? 効率が何倍にも上がって……でもこんな量の知識、一気に頭に入れたら気が触れちゃうでしょ!?」

 女神が驚くのも無理はない。

 これほど器用な魔法改良は、悪魔から直接魔法を学び、千年以上も研鑽けんさんを続けた魔人しか成し得まい。


わしの脳の容量は常人よりも大きいのだ。そもそも、“”も多いしな。適切な語彙量であろう。」


 さて、転移して最初にやることは、そこそこの地位にあり、悪賢く世界の表も裏も知る人物を配下に加えることだ。

 そして、その悪賢い小悪党から、世界の常識を学ぶことである。


 我々は知っている。

 哀れ、彼を召喚した大司祭がその役目を担わされることを。

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