閑話:我々はなぜ蛇を恐れるのか または「悪の化身、力の象徴」

 蛇は常に、悪の化身であると同時に、力の象徴でもあった。

 では、それはいつからだろうか。そして、なぜなのだろうか。


 原初の一神教、ゾロアスター教。

 そこで語られる、一柱の悪神があった。

 その名を「アジ・ダハーカ」。ペルシャ語の発音でアズダハー。

 悪神アンラ・マンユによって生み出された、三頭、有翼の大悪竜にして、すべての悪しき爬虫類の始祖。

 吐く息は猛毒で、その傷からは無数の邪悪な爬虫類が生まれるという。


 伝説において、多頭竜の記述は珍しいながらも各地で散見される。

 セルビアでは「アジュダヤ」となり、

 スラヴ圏に伝わり「ズメイ」となる。

 ズメイ・ゴルイニチは、スラヴの英雄譚で英雄ドブルイニャ・ニキーチチと戦う三頭悪竜である。

(ズメイ・ゴルイニチを題材にした映画も存在している。その映画がなければ、みなさんもご存知のあの三頭有翼金色の怪獣は生まれなかったであろう。)

 なお、「ズメイ」の語源は「アジ」に求められる。

 すなわち、各地で見られる多頭竜の始祖がアジ・ダハーカであると言っても過言ではない。

 そして「アジ」こそは、「蛇」という意味である。


 ザッハークは、そんなゾロアスター教におけるアジ・ダハーカの神話を換骨奪胎し、ペルシャ叙事詩に取り入れたものである。

 ザッハークの別名としては、中世ペルシャ語であるパフラビー語で「一万」を意味する「ペイヴァルアスプ」が知られている。

 これは彼が、黄金の馬具を付けた一万頭のアラブ馬を所持していることに由来している。彼は若き頃、権力を求めて馬上で過ごしていたという。ザッハークは、馬を愛し、馬に乗る竜王なのだ。

 スラヴ圏の多頭竜ズメイの一種「チュドー=ユドー」は、竜でありながら馬にまたがるというが、これは果たして偶然の一致であろうか。


 ゾロアスター教では、爬虫類をこのうえなく憎む。ヘビやトカゲを見つけたら、すぐさまに打ち殺すことが推奨されている。

蛇蝎だかつのごとく嫌う」という言い回しが日本にもあるが、蛇蝎とはすなわちヘビやトカゲのことである。

 ヘビやトカゲは、さまざまな文明で忌むものとされてきた。

 そればかりか、文明をもたぬ類人猿すらも概ねヘビを恐れる。文明以前に、知性をもつサルはヘビを恐れるのだ。


 エデンの園でイヴをそそのかし、原罪を与えたのは、ヘビだ。

 ギルガメシュが到達した不死の草を盗んで食べ、不死となったのは、ヘビだ。

 ヘラクレスと戦い、死の遠因たる猛毒をもたらしたのは、ヒュドラという多頭のヘビだ。

 スサノオと戦った日本神話における最大級の魔物ヤマタノオロチは、多頭のヘビだ。

 ドラゴンの語源は、ギリシャ語のドラコーンにある。ドラコーンとは、すなわちヘビを意味する。

 吸血鬼としても名高いドラキュラの名は、ドラゴン騎士団に由来している。ヘビの遠い親戚だ。


 ゾロアスター教に、爬虫類忌避の思想を持ち込んだのはマゴス神官団という宗教組織である。

 マゴスとはマギであり、すなわちイエス・キリストの誕生を祝福せし東方三博士が属している組織と由来を同じにしている。

 なぜ彼らは、こんなにも爬虫類を嫌うのか。なぜ我々は、ヘビに言い知れぬ恐怖を抱くのだろうか。


 蛇は常に、悪の化身であると同時に、力の象徴でもあった。

 いつからだろうか。おそらく、人類誕生以前から。

 なぜなのだろうか。おそらく、実際に力をもって、悪を為してきたからだ。

 恐るべき力で、恐るべき悪を。

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