プロローグ 竜王、斯くして転生す【2/2】または「死因は絶望ではなく希望だ」

「『人が死ぬ理由はいつだって、絶望ではなく希望のためだ』と言うしな」

 3つの首を持つ巨大な悪竜、アジ・ダハーカは息まいた。


 ここはいつの時代か、どこの空間か、どの次元か、何もかもが曖昧だ。


「(あなた人じゃないでしょう、というツッコミはさて置いて)それ、パンドラのかめ(箱)の話してます?」

「最後に希望が残された、的な」

「だが実は希望こそがもっとも恐ろしい災厄なのだ、的な」

「あーーあ、あんなにゼウスからの贈り物は受け取るな、って言ってたのに……パンドラの夫、僕の弟なんですよね」

 アジ・ダハーカの発言に、少し嫌そうな顔で横やりを入れたのは、人に火を与えた英雄神プロメテウス。


「そうか、プロメテウスくんが大事にしていた『人間という種』を貶めるため、憎きゼウスの命令で鍛冶の神ヘファイストスが『女』を作って与えたのだったか」

「そして最初の女『パンドラ』が過ちを犯した、と。パンドラさんの旦那さんはプロメテウスくんの弟、エピメテウスくんだったな」

 アジ・ダハーカに勝るとも劣らぬ巨躯きょくをもつ暴竜テュポーンが、嵐のような大声で、しかし極めて冷静に言い放つ。


「くだらん寓話だ。アイソポス(イソップ)の作り話のほうが、いくらか面白いぞ」

「そう、本当にくだらないね。『女』こそ神が作った最高傑作なのにさ」

「たしか、鍛冶の神ヘファイストスは妻に触れさせてもらえなかったからな。妄想で作った『作り物の人形フィギュア』こそが最上だろうな」

「いやいや、過ちを為すのは常に男だろうよ。だが、それもすべては女のためだ。愛だよ、愛」

 ほかの者たちも、やいのやいのと茶々を入れる。


 ここは、SNS(ソーシャル・ネットワーク・ソウルリンク)のなかで会話ができる空間、「スペース(念話虚空)」。

 そのなかでもかなり人気がある、『つながれし悪神会議』の部屋だ。

 さまざまな神話に登場し、神々に敗北し、あるいは罰を受け、そして滅びることすらも許されず、時が果てるまで“つながれ、生かされ続けている”悪神たちの精神が集う場所。


 つながれて身動きが取れない本体に代わって、魂のきずをちょっとだけ癒す、憩いの場である。


「スペース(念話虚空)」を主催するには、ある程度の「フォロワー(信者)」が必要となる。

 この部屋の主な主催者と発言者は、以下の通りだ。


 ゼウスと戦い、一度は勝利したギリシャ神話の嵐竜テュポーン。

 同じくギリシャ神話出身で、人間を愛するあまりゼウスの不興を買ったプロメテウス。

 北欧神話のトリックスターにして悪戯の神、ロキ。

 同じく北欧神話からは、ラグナロクまで解けぬ鎖に縛られ、主神オーディンをたおす宿命をもつフェンリル。

 ゾロアスター教の悪竜で、すべての悪しき爬虫類の王にして三頭を持つ原初のドラゴン、アジ・ダハーカ。


 彼らを筆頭に、そのほかさまざまな神話、さまざまな世界や宗教で“つながれた”悪神、悪魔、悪鬼の精神が集まっている。



「今、ちまたでは転生とやらが流行はやっておるのだったな!」

 アジ・ダハーカは、皆の茶々を無視して続けた。


「そうなんだよ! 悟りし者ブッダが最近は有名なんだ。輪廻転生の死生観をもつ仏教の開祖なんだよ」

「ヒンドゥー教でもいいよ。アジの兄さんが属するゾロアスター教的世界観と、ヒンドゥー教的世界観では、善悪が逆だしね」

「ヒンドゥーなら、ゾロアスターで“悪者”のアジの兄さんも“いい者”側なのかな?」

 耳が早いロキが、最近神霊の間で流行りゅうこうしている転生について吹聴したのだ。


「うむ! その転生だ!」

「なんでも、転生すると、こう……チート的な力を授かったり、特別な生まれになってチヤホヤされたり、『あ、またなんかやっちゃいました、オレ?』的な感じにイキり散らかしたりできるらしいのだ!」

「正直、アンリ・マンユとアフラ・マヅダの最終決戦まで待ってるの、退屈で退屈でしかたがないのだ」

 興奮した様子でまくしたてるアジ・ダハーカ。


「その通り! ブッダは、かつて自分の身を焼いて旅人に食料を与えたウサギだったこともありました」

「そこから転生して、天部てんぶから三十二相さんじゅうにそう六神通ろくじんつうといった凄まじいチート能力を与えられ、王子として生まれてチヤホヤされ、当時の宗教のほとんどを一瞬で極めて、教祖を弟子にしたりして『オレやっちゃいましたか感』を出しています」

「まさに、転生系主人公と呼んで差し支えないでしょう」


「仏教の天部てんぶ……ヒンドゥー教のデーヴァ神族か。天部てんぶは、シヴァやらインドラやらの、仏教的な呼び名だったのだよな」

「元気にしてるかな、みんな。同じゾロアスターのダエーワ(=悪魔)としては、やっぱりそういう転生的なこと、同郷の天部てんぶに教えてほしいわけなのだ」

 少し懐かしむようにアジ・ダハーカはくうを見つめる。

 ゾロアスター教におけるダエーワとは、ダイモーン、すなわちデーモンと語源を同じくしており、ゾロアスター教においては悪しき側である。一方で、ヒンドゥー教ではダイモーンたちはデーヴァ神族として、良き者の側として位置づけられている。

 ヒンドゥー教における代表的な神、シヴァやインドラは、ゾロアスター教においては悪魔なのである。

 彼らヒンドゥー教の神々は仏教に取り入れられると天部衆てんぶしゅうと呼ばれ、ブッダを導く善なる存在として描かれるようになった。

 反対に、ヒンドゥー教における悪魔的存在である阿修羅(アスラ)は、ゾロアスター教ではアフラ・マズダとして善なる存在とされるのだ。


「私もラグナロクまで待つのはちょっとツラいんですよねぇ……。だからちょっとアジの兄さん、転生してみませんか? 一旦、お試しで。フェンリルも、『待て』はイヤだよねぇ?」

 ロキがフェンリルを見る目は穏やかだ。フェンリルは、ロキの子なのだ。

「ワン! ワンワン!」

 フェンリルは無邪気に尻尾を振る。


「アジ・ダハーカさんで実験しようってことです、ロキさん? ヒドいひとだなぁ」

「でも転生って話、僕もすごく気になりますよ。僕も一応、ヘラクレスさんが助けてくれることになってるらしいんだけど……。予定日まで、あと2万年くらいあるんですよ。それまでずーーっと、毎日毎日、肝臓を食べられてめっちゃ痛いし、なんとかしたいんですよねー」

 アジ・ダハーカとロキの話に割って入ったのは、プロメテウスだ。

 彼の本体は、山に縛り付けられ、肝臓を大鷲に食べられ続けている。

 彼は巨人族であり、神と同等の再生力をもつため朝には肝臓が再生し、また食べられるという地獄の苦しみを繰り返す罰を受けている。


「おのれ忌まわしきゼウスめが。しかしゼウスの子であるヘラクレスに救われるとは、プロメテウスくんも皮肉な運命よなぁ」

 テュポーンはゼウスによってエトナ山の下敷きにされ、今も封印されている。ゼウスを貶められるような話題には、このように嬉々として食いつくのだ。


「まぁ、僕の肝臓をむさぼり喰ってるの、テュポーンさんのお子さんの大鷲なんですけどね」


「うむ。力強き子であろう。グハハハハハハ!」


「まぁでも、SNSやってれば、気づいたら何百年か過ぎてるし、2万年なんてすぐじゃない?」

 やんややんやと、悪神たちは脱線しつつ話に花を咲かせる。


 もはや、彼らの声はアジ・ダハーカの耳には届いていない。

 転生するのだ!

 そのために、一度死ぬ!


 状況に絶望しても、決して命を絶つことはない。もちろん、絶望が死因になることもない。

 前向きに、ただひたすら耐えて生きるのみ。

 しかし転生という希望が見えた今、命を失うことに何の躊躇ちゅうちょがあろうか。

 身をよじり、傷口を広げ、再生を停滞させ……その悪竜王は、もう数百年を待たずに息絶えるだろう。

 そして、転生を果たすであろう。

 その結果、何に生まれ変わるか我々はもう知っている。


 おお、よ! まわ天輪てんりんよ!

 なぜこのような恐るべき運命をつかわすのか。

 囚われし悪を、なぜ世に解き放つのか。

 汝ら読者諸氏がもしも運命を己の味方だと思うのなら、考え直さねばならない。

 廻る天輪は誰にでも平等に微笑み、誰でも平等に刈り取ってしまうのだから。


 作者は、このような運命という重荷に疲れ果ててしまった。

 しかし今しばらく、この者の行方を見守ろうではないか。

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