プロローグ 竜王、斯くして転生す【1/2】または「死因は絶望ではなく希望だ」


「承知いたしました。この罪人を殺してはならないのですね。今はまだ“そのとき”ではない、と言うのですね」

 天より声が聞こえた。

 罪人を縛り付け、ラクダで移送する『真の勇者』は、天使の声を聞き、従った。


 罪人と呼ばれたこの男。

「なぜだ、なぜ……余は、また……“また”、このような結末など!!!」

 彼は、獅子の革を寄り合わせて作られた縄紐で固く縛り上げられ、ラクダに乗せられていた。

 彼はかつて、『竜の勇者』と呼ばれ称えられた男。


 天から声が聞こえる。

 獅子の革で武装した吉兆の天使、ソルーシュが言った。

「まだなのです。この者を殺してはなりません。誰にも知られぬ山につなぎとめるのです。永遠に」


 この罪人は、かつてはまぎれもない勇者だった。

 一つの国を暴君の手から救い、まとめ上げた男。

 民衆の支持を受け、民衆に助けを請われ、求められたその通りに民衆を助けた男。

 悪に走った魔王ジャムシードを破った男。

 の暴君は在位期間700年を誇る神聖の加護を受けた王であったが、最後は善性を失って神に背き悪を為した。

 恐るべき力と魔法、盤石な兵力をもった魔王ジャムシードであったが、ついには勇者に打ち破られた。

 今この場で縄紐に縛られし罪人こそが、神掛かった超常の魔王をたおした、正真正銘のかつての勇者だったのだ。


「よりにもよって、この山とは! これが運命だとでも言うのか!」

 その罪人は因縁深きデマーヴァンド山を見上げると恐れおののき、己の運命を呪った。


 この男はかつて、偉大なる善王マルダースの子であり、王子であった。

 父王を亡き者にして、その王国を手に入れ、王となった。

 竜の力と蛇のような狡猾さ、そして優れた武力と魔力をもち、王国の武力を駆使して、700年以上も生きる暴君ジャムシードを打ち破った。

 そしてジャムシードが支配した国をも自らの手中に収めると……自身も、暴君となった。

 いや、もともと備わっていた魔王としての本性を、内外に広く知らしめたのだった。


 彼こそ、在位期間1000年を誇る悪蛇竜王、ザッハーク。

 第五代イラン王である。


 悪魔を操り、娯楽のように人々を殺し合わせ、暴虐の限りを尽くした。

 両肩から蛇を生やし、蛇たちに毎日2人の若者の脳を食わせた。


 彼こそが、悪魔イブリースから祝福を受けた、原初の悪竜アジ・ダハーカの化身その人である。

 イブリース、すなわちでも知られる悪魔の王から祝福を受けた、魔人にして魔王なのだ。


 悪魔王の祝福により、若き王はアジ・ダハーカの化身となったのか。

 それとも、アジ・ダハーカの化身になる運命を背負った若者が、悪魔王によって覚醒させられたのか。

 どちらが真実かは分からない。

 しかし、とにかくザッハークはアジ・ダハーカの化身であり、生まれ変わりだった。

 ゾロアスター教における悪竜アジ・ダハーカがもっていた竜の力を駆使して戦った、まぎれもない『竜の勇者』であり『竜の魔王』であった。


 ゾロアスター教の伝説において、アジ・ダハーカは勇者スラエータオナによって打倒されるが、殺されることはなかった。

 善神スラオシャの導きで「今はそのときではない」とされ、今なお“デマーヴァンド山”に封印されているのだ。

 いかにしてかアジ・ダハーカの魂は肉体を飛び去り、人の形を得た。

 そしてザッハークとして世に現れ、害をなした。


 だが今や正義の導きによりザッハークの星は蒼ざめた。すなわち、彼の運命は暗くなったのだ。

 真の勇者であるフェリドゥーンによって倒され、2人の美しき妻も奪われた。

 今や、ザッハークの2人の元妻シャフルナーズとアルナワーズは、今まで見せたこともないような恥じらいに頬を桃色にし、喜びのままに勇者にもたれかかっている。

 かつて勇者にして王であったザッハークに与えられているものは、縄紐と不自由だけだ。


 人の一生は、「レンガからレンガまで」と言われている。レンガの床で生まれ、死ねば一つのレンガを枕にして埋葬される。

 しかし、ザッハークにはそれすらも許されない。アジ・ダハーカがそうであったように。

 デマーヴァンド山で永遠に鎖につながれるのだ。アジ・ダハーカがそうであったように。


 だが不思議なことに、言葉少なき悪蛇竜王の目はまだ死んではいなかった。

「『人が死ぬ理由はいつだって、絶望ではなく希望のためだ』と言うしな。今に見ておるがよい」

 蛇のように鋭い顔つきをした中央の頭と、両肩の蛇の頭、合わせて三頭に付いた6つの目はギラギラと鉛のように鈍く光った。


 なぜ彼は、今なお野心に燃えているのか。

 そしてそもそも、なぜアジ・ダハーカの魂は人の形を得たのか。

 それを知るには、アジ・ダハーカの魂が拘束されていた当時を振り返ってみねばなるまい。

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