二章・僕の格好悪さのすべて⑤
杏里が店の外のトイレに行っている間に、僕は彼女との将来云々ではなく、その場の苛立ちの方が先立っていた。
ちゃんとした時間はわからないが、三〇分近く帰ってこなかった。
個室でスマホでもいじってるんじゃないだろうか、まさかゲームをやってたりしないだろうな? こっちは本当に真剣なのに、わかってるのか?
と悪い想像ばかりが膨らんだ。
杏里が戻ってきたとき、「ごめん」の一言でもあるかと思いきや、不機嫌そうに座るだけだった。
我慢の限界だった。
「僕は、杏里と別れてでも脚本家になるから。考える時間をくれてありがとうな」
自分でも嫌な言い方だったなぁと思う。冷静じゃなかった。それしか絞り出せなかった。
杏里は無言のまま立ち上がり、乱暴に鞄を持った。
「おい、どこ行くんだよ」
「トイレにも並んだこともない青加には、女の気持ちはわからないんだよ」
これが、最後の言葉。はっきりと覚えている。
理不尽。
でも、脈絡がないようで妙に腑に落ちた。杏里がトイレから帰ってこなかった事情を説明したところで、僕は言い訳にしか感じなかったに違いない。
彼女の一言は、その日のことだけじゃなく、今までの僕の鈍感な部分全てに向けて吐いたんだろう。
そのあと、互いに連絡をすることはなかった。僕は単純に意地を張っていたのだけれど。
そこまでは、ある意味ではしょうがない。この時点では、誰かを騙す気なんて全くなかった。問題はそのあと。
ふられた三年後。杏里から、結婚したとの連絡のメールがきた。
『いま、何してるの? 結婚式は来れるの?』とあまりに心無い、本当にお前はもう他人だという質問で締めくくられていた。喧嘩したこと蒸し返す必要すらない、過去のことなのだと言わんばかり。
まかり間違っても、コンクールに落ち続けているフリーターだなんて言えない。
自分の首を絞めるプライド。
『いま映画の脚本の締め切りやばくてさ。行けないわ』
僕の小さな虚栄心が招いたことだった。
そう、これがすべての終わりの始まり、とかいうやつ。「脚本家になりました!」と大々的に発表するのではなく、自分がさも脚本家としてキャリアをある程度積んでいて、生活に組み込まれている、という風を装って。
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