二章・僕の格好悪さのすべて④
杏里が結婚したのは、五年前。結婚相手は澄郷の、僕と杏里の同級生だった。しっかり話したことはない、そんな程度の知り合い。
杏里がそいつと仲がいいとも聞いていなかった。学生時代から仲が良かったのか、卒業した後で距離が近づいたのか。
わからない。知りたくもない。
元々、僕が脚本家だと偽るようになったのは、彼女の結婚がきっかけだった。
杏里とは、大学に上京した後も、遠距離恋愛をしていた。
ただ、すれ違いがあった。杏里は、僕が大学で就職先を見つけるだろうと考え、卒業とともに結婚しようと思っていたのだ。
僕は就職先が全く決まっていなかった。当たり前だ、就職活動をまるでしていなかったのだから。
大人に気に入られるために髪を切る。そんなことさえ格好悪いと思っていた。大学三年生の秋を迎えた頃には、ついこないだまで明るく染めたりしていた髪を短く刈り込み、黒くして「さぁ僕たちも大人の仲間入りをする準備をしなきゃ。今まで遊んでいたけど人生にちゃんと向き合うんで」などという白々しさが僕の周りにも蔓延し始めていた。
怠惰だったと言われてしまえばそこまでだろう。でも、周囲の態度に白々しさを感じていたのは確かだ。
ついこないだまで、教授やバイト先の店長やら、大人たちをつかまえては馬鹿にしていたのだ。ダサいだの格好悪いだの好き勝手言っていたのだ。
ただ、脚本家になれると信じていた。それだけだった。
大学卒業直前、杏里が東京にきた。卒業後の進路を言おうとしない僕を、問い詰めにきたのだ。近くのデパートの中華料理屋で話をした。
「就職先は決まっていないけど、脚本家を目指そうと思っている」と告げたときの杏里の顔は忘れない。侮蔑の目。なのに、口元だけ笑っている。
「就職決まってないの? てか、就活しなかったの? しないってある? して駄目ならしょうがないけど、しないって」
要は「この甲斐性なし」という内容だったんだろうけど、杏里はずっと壊れたように笑いながら同じ内容を繰り返していた。
「私たちの未来、考えたことある?」
それに関しては、ない、としか。
僕は結婚のことなど頭になく、仮に就職に失敗したところで、杏里に怒られたり失望されるなんて考えてもいなかった。
もちろん杏里に、真剣に脚本家になりたいのだと告げた。
高校生の頃からずっと言ってたし、遠距離中も大学で映研に入り、仲間と映画製作をしていたことは度々話題に挙げていた。受賞こそ逃したものの、『舌味のキャラメル』で参加したコンクールでの結果も喜んでくれていたはずだった。
杏里に「なにそれ、初耳」みたいな反応をされ、僕らはまるでお互いを理解していないのだと痛感した。脚本も趣味程度に捉えていたのだろう。言い争いにさえならなかった。
「別れたほうがいいのかな、私たち」
遠回しに、「お前が悪いんだ」というのをちくちく言ってくるだけで、僕がどう答えても「でも、私は将来のことを考えていたんだよ」としか返ってこず、まるで会話にならない。
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