第5話 泣く人と共に涙せよ
竜也は、聖香に小声でささやいた。
「なんだか、一週間前からこの調子なんだ。うつ病かと思った心療内科に診せても全然異常なしだし。何かショックなことがあったのだろうか?」
聖香はふと、気づいたことがあった。
「ひょっとして、男には言えないことかもしれないよ。私だったら女同志ということで、わかってあげられるかもね」
竜也は、ぱっと顔を輝かせた。
「そうか、思春期だものな。女の子特有の悩みもあるかもね。とりあえず、聖香ちゃんに任せるよ」
聖香は、こういう場合どうしたらいいか。
まず、相手に質問しないで、自分の失敗談や傷ついた話を、さりげなく語りかけることしかない。
そうして、相手に共感を感じてもらうことによって、コミュニケーションが生まれる。
でも、決して友達づきあいをしようとは思ってはならず、あくまでも話相手でしかない。
沙希はいきなり聖香に質問をぶつけてきた。
「ねえ、聖香姉ちゃんって、罪人なの?」
聖香は一瞬返事につまり
「えっ、罪人ってどういう意味? 私は今のところは犯罪歴はないよ」
沙希はすかさず答えた。
「聖書の言葉に『人はみな、罪人である』と書いてあるわ。なんでも、罪というのは人間誰しももっているエゴイズムのことであり、このエゴイズムがある限り、犯罪を犯す可能性、いや危険性があるというのよ。私もそれは納得よ」
聖香は考えこんだが、納得するように言った。
「そういえば十戒の最初の戒めが『あなたは殺してはならない』ね。
もしかして自殺も含めて殺人というのは、人間の本能なのかな」
沙希曰く
「これ実話。ヒューブラウンというんだけどね、その男性は元テロリストだったの。なんでも十五歳のときに軍事訓練を受け、銃を撃つ練習をさせられていたらしいわ。
そんなとき、テレビで日本の若者は自殺が多いというニュースを見て、日本の若者は義務教育を受けていることもあり、真面目で律儀で頭もいいのに、なぜ自殺などするんだろうと疑問に思い、キリスト教の伝道師になったんだって」
へえ、未成年のときから軍事訓練を受けていた元テロリストがキリスト教の伝道師? 180度人生が転換したみたいだな。
「もしかして沙希ちゃんって、キリスト教会に行ってるのかな?」
沙希は黙ってうなづいた。
「でもキリスト教会って、なんだか品行方正な人がいくところだと思っているが、実はそうでもないみたいね。この頃は麻薬や非行などの、青少年問題に取り組んでいる教会もあるみたいね」
沙希は答えた。
「そうね。でもすべての教会が青少年問題に取り組んでいるわけではないわ。
そういった教会は牧師が元アウトローだったり、少年院出身の暴走族であり、なおかつその道から更生したケースばかりね。
でも、一度犯罪を犯した人が更生するのは難しいわ。ある元アウトロー牧師曰く、『一度、神を信じて洗礼を受ければ、神は決してお見捨てにはならない。いくら人の方が神から離れ、神を裏切ったとしても、神はお見捨てにはならず、いつも人を見守って下さる。だからあとは努力よ。努力しない人は嫌いよ』」
一度でも犯罪を犯した人は、氷の山道を登るようなものだという。
少しでも油断し、立ち止まったらたちまち山から転がり落ちてしまう。
そんなとき、山の頂上から神にザイルを降ろされ、それに捕まって生きていけたらどんなに心強いだろう。
ふと聖香は沙希に口走った。
「私、ふと思い出したの。NHKのドキュメンタリー番組で、新宿歌舞伎町の路地裏では、コロナなどで仕事がなくなった女性が、いわゆる援助交際をしてるんだって」
沙希は答えた。
「そういえば、東京の東横キッズばかりではなく、大阪難波のグリコの看板下では、いわゆる不登校で家出してきた子が、麻薬、売春などに利用されるケースが多く、一度悪党の手にかかれば、もう抜け出すことはできないというわ」
聖香が続けて言った。
「そうね、悪党ってどこへ引っ越ししてもストーカーの如く追いかけてきたり、十年経ってもどこから居場所を調べたのか、電話をかけてきたりするというわ。
身震いするほど怖い話ね」
沙希曰く
「私もそんな話は聞いたことがある。ある水商売の女性が、ストーカーに狙われ、どこへ逃げても追いかけてこられてうつ状態になってしまったが、聖書とゴスペルですっかり完治したという話は聞いたことがあるわ。
やっぱりキリスト教って力があるわね」
聖香はうなづいた。
沙希は突然言った。
「私、お笑いタレントになりたいな。今からネタするから見てよ」
沙希は、急に女芸人の真似をして、唇を突き出し、おかめひょっとこみたいな顔をした。
「はーい、お集りの皆さんといっても、観客は聖香ねえさんオンリーだけどさ。
私は誰に似てるでしょう。はっぴねすハレルヤ 感謝します。
そう、私はマリア様に似てるのです。でも、拝んではダメですよ。
拝むのは神様とその一人息子イエスキリストだけだよ」
そういって、腕を広げ十字架のポーズをとり、膝をかがめた。
なんだか、滑稽だ。沙希の表情は、少し間が抜けていて憎めない。
「ねえ、沙希ちゃん。素質あるかもね。そうだ。歌とダンスの練習すればいいかもよ。沙希ちゃん、スタイルいいからそれを活かしなよ」
途端に沙希の顔がパッと輝いた。
「私、大人から褒められたの、これで二度目」
聖香は、怪訝な表情で尋ねた。
「じゃあ、初めて褒めてくれたのは誰なの?」
「ええっと。悠太と名乗る人」
悠太? まさか同級生でホストをしているとかいうあの悠太が。
しかし、沙希とはどういう関係なの?
沙希は、声をひそめて言った。
「ここだけの話だけどね、内緒にしといてね。これは聖香姉ちゃんを信用して言うんだから」
なんだか、雰囲気が急に深刻になってきた。
「私ね、中学三年の時、あと一歩のところでレイプ寸前までいきかけたの。でも相手は逃げ出しちゃった」
聖香は、ゾ~ッとした。
いわゆる相手の男は、ロリコン趣味の変態なのだろうか?
「塾の帰り道、夜七時頃かな。
私が歩いていると黒いビニール袋を頭からかぶされたの。幸い呼吸できるように穴は開いてたわ。そして車に連れ込まれそうになったところを、助けてくれた男の人がいたの。俺は悠太って名乗って去っていったわ」
「でも深夜でもあるまいし、夕方でしょう。だんだん治安が悪くなっていくわね」
聖香は、驚愕の声をあげた。
「でもこんなことって、女だったら誰でも起こりうることだよね。聖香ねえちゃん」
聖香は答えた。
「まあこの頃は、女ばかりでなく、男でもレイプされる時代よ。
イケメンの若い男性をレイプしたあげく、裏DVDにして販売するという金目当ての悪党もいるわ。でもホモレイプって残念ながら、レイプされた被害者が、大人になって今度は、レイプの加害者にまわるの。悲劇ね。
あっ、悠太って人、私、知ってるかもしれない。ひょっとして私と同い年で細身でちょっとだけイケメンで大きなクロスのペンダントをつけた」
「えっ、じゃあ会わせてほしい。私お礼がしたいの」
沙希はパッと顔を輝かせた。
「そうだな、考えとくわ」
ひょっとして同級生の悠太のこと?
さっそく、今日にでも悠太に確認してみよう。
沙希は、ちょっぴり自慢げに言った。
「それに私、彼に非常に印象に残ることを言われちゃったの。
君は危ないところを助けられた。これは偶然じゃなく、必然だよ。
神様が君を守って下さったんだよ」
神様? 悠太ってクリスチャンなのかな?
わからない。不思議な偶然だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます