第14話

 婚約式は恙無く終了した。マリアンナは今、最後の大詰めであるベールに向き合っている。

 「ウンウン、だいぶ出来てきたわね」

 「はい」

 《花嫁達の家》で、王妃カトリーヌと共にレースを編んでいる。

 「これならなんとか間に合いそうね」

 「目が見えるようになってよかったです」

 「見えるようになったからと言って、無理しちゃ駄目よ?」

 カトリーヌがマリアンナの頬をむにむにと掴む。

 「ふぁかってまふ、おかあさま」

 「アーン!可愛い!うちの娘可愛いー!!」

 今日も今日とてマリアンナはカトリーヌに猫可愛がりされている。


 そわそわと塀の外から《花嫁達の家》を覗き見ようとする者がいる。

 ドアが開くと、急いで玄関前に走り出した。

 「いやーね、この変質者は」

 「変質者呼ばわりは酷いです母上」

 自身の婚約者が顔を出すのを今か今かと待っていた王子ジルベールである。

 「ふふ」

 いつものやり取りに、マリアンナが可愛く笑い声をもらした。

 「終わった?」

 「はい、今日の分は」

 「それじゃ、家までお送りします。僕のお姫さま」

 「お願いします、私の王子さま」

 腕を組み、颯爽と歩きだそうとするジルベールをグイッと止めるものがあった。

 「お、か、あ、さ、ま、を忘れるとは何事なの?」

 「お、か、あ、さ、ま、は、王城へ帰るのですから、別行動だと何度も申しましたが?」

 「あなたもマリーを送ったあとは王城へ帰るんだから、私も一緒していいでしょ」

 「何度もお願い申し上げましたが、数少ない時間も少ない僕達の逢瀬を邪魔しないでください」

 「で!も!結婚したらたっぷり時間が取れるでしょ!」

 「で!も!まだ結婚していないから少ない時間を大切に過ごしたいんです!」

 「ふっ、ふふっふふふ!」

 「「かわいい!」」

 呆れた喧嘩をする二人の声が重なった。

 これもまた最近の、いつものやり取りである。


 普段であれば、馬車の中は甘い雰囲気に包まれるが、今日は乗り込んですぐジルベールが真剣な顔をした。

 「明日だよ」

 「そうですね」

 マリアンナは頷く。明日、マリアンナの肉親である父と母、そして双子の妹が護送される。

 「だから今日はいつも以上に警備が厳重なんですよね」

 いつもより兵が多いことには、朝から気付いていた。

 《花嫁達の家》も場所が得秘されている訳ではない。許可無き者が踏み入れてはいけない敷地ではあるが、まれに迷い入る者もでる。

 普段は家を護るのは二、三人だが、今日は十人体制だった。

 「家に入っても、油断はしてはいけないよ。庭にも、ベランダにも出ないでね?」

 「もちろん、わかっているわ」

 マリアンナは膝に置いたベールの入った箱を撫でる。今は、心配し過ぎるということはない。確かに妹たちが護送されるまでは、気を抜くべきではないのだ。

 「あと半月だね」

 空気を変えるように、ジルベールが笑った。

 「ええ、そうね」

 「おいで」

 対面して座っていたジルベールが両手を広げた。マリアンナは箱を横において、ジルベールの腕の中に納まる。

 あとの時間はただ、愛を語らうだけだ。




 「ふぅ」

 ベルデ伯爵邸に設けられたマリアンナの自室、疲れた左目を揉んで、彼女は手を休めた。レース編みは集中力との勝負だ。《花嫁達の家》でも、屋敷に帰ってきてからもレース編みを続けるマリアンナは知らず知らず疲れを溜めていた。

 「今日くらいは、おやすみしようかしら」

 あまり進んでいない。けれど、別にそこまで頑張る必要もないと、手を止める。

 少し、気分転換をしたくてドアを開けると、すぐ外にいた護衛が、声をかけてきた。

 「お茶でしょうか?」

 「いいえ、少し歩きたくて」

 「左様ですか。一人呼びます」

 「ううん、いいのよ。家の中から出る気はないの。あなたはここを見ていて」

 「しかし……」

 「大丈夫、少し歩いたらすぐ戻ります」

 「かしこまりました。灯りも乏しいですから、足元にお気をつけて」

 「ありがとう」

 マリアンナは護衛に見送られ、廊下を歩き出した。そうだ、ついでに冷たい水を一杯、厨房で貰ってこようかしらと思った。


 「おかえりなさいませ」

 「ええ」

 「……服が」

 「転んでしまって、丁度近くにいたメイドが換えてくれたのよ」

 「左様でしたか。お怪我は」

 「ないわ。大丈夫」

 「ようございました」

 「ええ。ありがとう」

 少し俯きがちなマリアンナが部屋に入っていった。護衛は、そのドアを護り続ける。


 「ふふ…ふふふ……」

 不気味な笑い声が、部屋からもれた。

 



 水を片手に、マリアンナはドアの前に戻ってきた。護衛が無言で頷く。マリアンナも頷き返して、義父となったベルデ伯爵から貰ったブローチを撫でた。途端に、ブローチが淡く光った。

 邪魔になるであろう水の入ったコップを廊下の隅に置き、ドアを開けた。


 「ねーぇみて?私のほうが似合うと思わない?」

 不気味に、深く深く笑う、自分がそこにいた。いや、あれは自分ではない、生き別れ、分かり合えなかった妹だ。

 「髪を染めたのね」

 「こんな白髪、気持ち悪いったらないわ」

 「銀髪っていうのよ」

 「こんなの白髪よ白髪。こんな白髪より、私の美しい金髪のほうが、このベールに合うと思うの」

 「残念ね。でも、ベールを被るのは銀髪の私だわ」

 「残念なのはお前の方だ!これでこのベールは使えない!王家の宝!初代から受け継がれた神秘のベール!私が穢してやった!」

 花嫁の被るベールは、花嫁とその母親、花婿の母親と互いの祖母たち。五人しか触れてはならない。王家のベールに関しては、嫁ぐ家系の母親と祖母も、触れることは許されず、代々国王の妻となるものしか触れてはならないしきたりだった。それ以外で触れていいのは、婚姻の儀式の際の、花婿が一度きりである。双子の妹であれ、花嫁であるもの以外が触れたならば、それはもう花嫁のベールとして使用することは許されなくなる。ベールに込められた幸福のまじないが、切れてしまうのだ。

 はぁ……と、マリアンナはため息をついた。


 ガチャガチャと金属音を響かせて、大勢が駆けつけた。マリアンナがブローチに触れ発動させた信号を受信したのだ。リアンを捕らえるための家兵が揃う。

 「馬鹿ね、アンナマリア」

 悲しげにマリアンナが言葉を落とした。

 「お前が私を馬鹿にするな!!」

 「馬鹿にもするだろうな」

 家兵の中から、一人の男が歩み出た。

 「ギルバート!?」

 「何度も言うが、君にその名を呼ぶことを許した覚えはない」

 「なぜここにいるの」

 「明日護送される予定の君が、何か事を起こすとしたら今日くらいだからだよ」

 「でも、だって」

 好きだったのだ、確かに好きだった。本当なら、このベールを被ってギルバートに嫁ぐのは自分だと思っていた。今でも、諦めきれないでいる。王妃となる自分の姿が、今でも見える。

 「君たちは双子だ。あまり接する機会のないものならば騙されもするだろう。入れ替わろうとする可能性を考えないわけがない」

 言われてから気付いた。もっとうまくやれば、入れ替われたのだ。ただただ、全てを手に入れた姉憎しと、ベールを穢してやろうと、それしか思い浮かばなかった。

 ずるりと、リアンの頭からベールが滑り落ちた。リアンはとっさにそれを拾おうとする。

 「馬鹿ね、アンナマリア。あなたの襲撃に、備えないわけがないでしょう?あなたの被ったそのベールは練習用のレプリカ。本物は厳重に保管されているわ」

 ベールを拾おうとしゃがみかけていたリアンが途中で止まる。

 「あっ……えっ……?」

 「妖精たちが教えてくれた。あなたが、ベールを穢そうとしていると。それが無くとも、私は一度もベールを外に持ち出したことはないのよ?あなたの言った通り、ベールは国宝。リスクを犯してまで持ち出すわけがないのよ」

 「妖精たち、が……」

 リアンが反応したのは、ベールについてではなかった。

 「そうね、あなたは、もう見えないのよね」

 マリアンナは両目を閉じた。

 「どうして…、お前が……」

 感情の消え失せた声音で、リアンが問いかける。

 「私が、世界を愛しているから」

 マリアンナは慈愛を滲ませて答えた。

 「どうして?どうして私は……」

 リアンが、ひと粒の涙を零した。

 「あなたが、傲慢だったから」

 マリアンナは悲しみを滲ませて答えた。

 「私は……私が……」

 リアンの頭の中を様々な記憶が巡り巡った。

 両親が偽物だということを知って大泣きするリアンを慰めてくれた妖精たち。

 魔法について教えてくれた精霊たち。擦り寄るだけの仮初の友人関係に悩むリアンに、私達が友達だと言ってくれた妖精、精霊。


 自らの行いが、全てを変える。


 マリアンナの右目には見えていた。悲しげにリアンを見つめる妖精達の姿が。

 リアンがマリアンナを梯子から引き摺り下ろし、首を絞めたあの夜、リアンの瞳が黒く染まったあの日より、見えず、存在しないマリアンナの瞳は、"世界"を得ていた。


 「妖精たちが、言っているわ」


 呆然とした顔で、リアンがマリアンナを見上げた。


 「思い出して、僕達の姿を、いつか、君のそばにかえりたい」


 「わたしもぉ……!あなたたちにっ……!会いたいっ……!!!」


 リアンは泣き崩れた。




 大人しく捕まったリアンが護送されていくのを見届けて、ジルベールがポツリと呟いた。

 「一面において加害者である者が、一面において被害者であることは多くある、か……」

 「養子に出されて、友達も居ない状態で周りには妖精や精霊しかいなかったあの子は、確かに被害者だった……。例え優しい義両親に育てられたのだとしても、捨てられたのだという思いは、心を屈折させてしまう……。養子に出されたのが私だったらどうなっていたかしら?私達が引き剥がされず、共に育っていたらどうなっていたかしら?」

 「予言が悪とは言わないが、僕達が予言に振り回されているのもまた事実だね……」

 「私が砕いたわ。あの子を、砕いて星にした。私は被害者だけど、あの子にとっては加害者なんだわ」

 ジルベールはそっとマリアンナを抱き寄せた。マリアンナはジルベールの肩口に顔を押し付け、静かに泣いた。

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