第12話

  中空にあった文面が全て消え、新たに一文が浮かび上がる。

 〈片月は全てを受け入れる〉


 映像が現れた。

 おしめを変えてもらえず、泣き叫ぶやせ細った赤子がいた。時間は早く進んでいるようなのに、場面が変わることがない。赤子はみるみるやせ細り、泣くことも出来なくなっている。


 「死んでしまうわ!」


 痩せゆく赤子に、貴婦人の一人が思わず声を上げた。

 その声に応えたかのように、一人の女が赤子に駆け寄る。

 『まぁまぁ!なんてことなの!!』


 「シエラ……」

 マリアンナが思わず呟いた。

 震えるその肩を、ジルベールが優しく抱き寄せた。


 そこから、両親は一切姿を現さず、女が赤子を育てる様子が浮かんだ。

 リアンの時とは違い、女が居ない時間が多い。音声だけだが、乳母のはずのシエラを呼び付け雑事を押し付ける男爵夫妻がいるからだ。

 場面は移り変わり、幼い子どもに背中を見守られ、後ろ髪を引かれる思いで屋敷を去る乳母の姿が映った。

 そして、ここからが酷かった。


 怒鳴り散らす夫人の声、手を上げる男爵。幼いながら必死に床を磨く子供。蝿の集る食料を口に入れる少女。

 そして、鞭を持った夫人が、画面に映った。


 『あんたが!皿を割ったから!新しく買わなくちゃいけなくなったでしょ!!』

 夫人は一言発するたびにマリアンナの背中を鞭打ち、血が飛び散る。

 あまりに悲惨な映像に、何人かの女性がよろめき、それでもホールを出ずに壁際の休憩スペースへとさがった。

 『もうしわけ、ありません……もうしわけ、ありません……』

 少女は痛みに耐えながら、頭を下げ続けた。


 場面は替わる。

 『この役立たずが!』

 少女の目線なのか、大きな父親が振り上げた右手が、思い切り少女の左頬に振り下ろされ、視界が振れて暗転した。

 そして、映像が移り変わった。


 『あれ……?』

 映像がボヤけて見えた。それが少女の視点なのだと、人々は気付いた。

 少女が手を振る。

 『目が……』

 何かを悟った少女が下を向く。

 『あっ……?』

 何かに気付いて、今度は何度かペチペチと手を叩いた。

 『左耳……聞こえない……』


 ホールのそこここから、息を呑む音が響いた。


 『しょうが…ないか……私が悪いんだもん……』


 いくつもの、すすり泣きもホールに響いた。


 屋根裏部屋に男が現れ、医者が現れ、マリアンナを治療する様子が流れる。

 人々はその様子を放心したように見つめた。




 しばらく間を置いて、ニ文が一気に付け足される。

 〈片月は太陽に愛される〉〈片月は太陽を愛す〉


 幸せな姿だった。たった一時間ほど前に王子が語った、甘酸っぱい少年少女の初恋の時代。

 道端の花を、薔薇を貰ったかのように喜んで受け取る少女。少女の作った花冠を照れながら頭に乗せる少年。

 さっきまで泣いていた女性も、その二人の姿にハンカチを目にあてながら微笑んだ。


 しかし、場面はまたも替わる。


 家に、リアンがやってきた。


 場面は幾重にも移り変わる。悲しそうに妹に与えられたドレスを仕舞い、詰め襟の古めかしいドレスを着る姉。姉を召使のようにこき使う妹。食事の用意、ドレスの着せ替え、マッサージ……


 『ばっかじゃないの?健気アピール?』

 必死に床を磨くマリアンナは声に気付いていない。聴こえない左側から話しかけられているからだ。

 『ばーか!』

 少し強めな声に、やっと気が付いたマリアンナが立ち上がる。

 『あっ、アンナマリアごめんなさい、なんて言ったのかしら?』

 『おね、お姉様……白々しいわ……私を無視したんでしょう?』

 涙ぐむリアンにマリアンナが慌てる。そこに、夫人が通りかかった。

 『マリー!あんたはまた!』

 暴力の気配を察知したマリアンナが、咄嗟に右耳を庇う。

 その手に、夫人の平手が当たり、庇ったことに激怒した夫人が今度はマリアンナの左頬を打った。

 『奴隷は奴隷らしくもっと惨めにしていてほしいわね』

 リアンの呟きに、目を疑った人々が、一斉にリアンを見つめた。王国に、奴隷制度はない。奴隷として扱っていい人など、ただ一人も居ない。

 リアンはまだ音もなく叫び続けている。


 また、一文が付け足された。

 〈片月は太陽を護る〉


 『えっと、あとは……えっ……?血を……?』

 妻の守袋を横に、マリアンナがもう一つのまじないを刻んでいる。

 『ジルに、私の血を食べさせなくちゃいけないの……?』

 粉々に砕いた魔石を前に、マリアンナが苦悶の表情を浮かべる。

 『でも、そんなこと言ってられないわね』

 意を決して指をナイフで裂き、呪文を唱えて粉々になった魔石と血を混ぜ合わせる。

 場面は替わり、黒髪の王子にマリアンナがサンドイッチを手ずから食べさせていた。


 「幸せそうな顔をしている自分をこれほど殴り倒したくなることはないなぁ……」

 ぽそっと落とされた呟きに、マリアンナはクスリと笑った。

 「でもそのおかげであなたが助かったんだから、私はもしもあなたがあなたに殴られたならその頬を撫でてあげたいわ」

 「結果論だね。でも、そう言われてしまったら、これも受け入れないとだ」

 幸運にも側で二人のやり取りを聞けた者たちが、今幸せそうな二人に安堵の息をもらした。


 また、一文が足される。

 〈片月は光を失う〉


 王妃が語ったそのままが、映像として流れた。その凄惨な映像に、目を背ける人はもういない。

 そして場面は移り変わり、魔王に対峙する王子の姿が映る。


 「あれが……!」

 「……魔王……」


 人々の驚きの声を置いて、映像は激しい戦闘を画いていた。


 『くっ……』

 膝をついた魔王に油断なく王子が剣を構え、一太刀を加えるために剣を振り上げた。

 そこに、素早く立ち上がった魔王が、その硬質な腕でもって剣を受け止める。

 しばらくの鍔迫り合いのすえ、互いに飛び退いた瞬間、閃光が当たりを包み王子が目を眩ませた。魔王の手が、王子の心臓を貫いた。


 「きゃあ!!!」


 思わず悲鳴があがる。


 精霊が慌てたように王子に駆け寄った。その一瞬前、癒しが本流となり王子を包んだ。

 マリアンナの掛けた呪いが発動したのだ。

 その直後、精霊が王子に入り込み、癒しを補助する。

 動けないでいる王子を魔王が再度貫いたが、それは途中で止まった。

 精霊の力と、マリアンナの左目を代償として阻まれたのだ。


 立ち上がった王子が、怒りと嘆きを精霊の力と共にその剣に乗せ、魔王を一刀両断にした。


 『マリー……』

 王子が、貫かれたはずの己の心臓に手を当て、一粒の涙を零した。


 一文が、浮かび上がる。


 〈片月は世界を救う〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る